ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

言葉を説明する

企画

企画とは非常に伝わらない言葉だ。
そう。企画をがしがしやっている人の「企画」と、
企画を全くやったことないと「思っている」人の「企画」は
全然意味が違う。

では問題を一つ。
「企画」と聞いて何を思い浮かべますか?

ここで、
テレビ番組とか、お祭りとか、町内会の寄付集めとか、
色々出てくるかもしれないが、ありがちなのは「イベント運営」。
イベント運営といえど、腐るほど種類があり、一概に括れない。

また企画といっても、
旅行をすることも、献立を立てることも、美術館にいくことも、
友人と遊ぶことも、欲しいものを買うことも、デートどこにいくかを考えるのも、サプライズを仕掛けるのも・・・企画といっていいだろう。
というか、企画なのだ。

だから、企画が不得意という人は、
その枠、つまり企画っぽくないものが企画であるのに、
それに気づかない。気づけば終わり。

枠があると、実は隣にいても、見えない。触れない。非常に辛い。
めちゃくちゃ好きな子が目の前にいて、話かけられないとか、
目が合わせられないといった経験がある人は多いのでは(笑)

そういうところで、企画は常に身近にある。
企画をするとは、組み合わせであるのだけど、
それが面白いものではないと、意味がない。
コーヒー牛乳が良い企画なのは、それが旨いからだ。
まずい企画は組み合わせなくてもいいのだ。コーヒーと牛乳を
別々に飲めばいいのだから。

例えば、道具とは既成概念の象徴でもある。
本棚は本を入れるものと思っているかもしれないが、
金魚鉢を入れてもいいのだ。別においてダメな理由はない。
こういう発想はひねくれているとかいう人はいそうだが、
何かを疑ってみる、常識とか疑うの好きな人は、
こういう訓練なしで次のステップにいけるから有利だろう。

企画する際に、イメージのストックが多いほうが
当然有利。だから経験と知識は多いほうがいい。
が、それらを枠で固定化すると最悪だ。それなら経験も知識も
無い方が良いと思えるからだ。とはいえ、あったほうがいい。
とはいえ・・・ということになる。

イメージのストックを一歩進んでも、それを保留できて、
そのままさらに一歩・・・そうすると、絵がどんどん重なり、
映像となっていく。そして人々が笑うシーンが出来たら、
実はそれはすでに企画として成立している。

いかん、熱くなってしまった。
とにかく、企画って面白いから企画って言葉を使うときは
面白いって思いながら使うべし(笑)

ビッグワード

BIGWORDとは、
言葉がその人が使いきれてない感満載の言葉、
もしくは、こなれてない言葉、または結局なにいってるか
分からない言葉・・・。

要するに、示す言葉として、それ以上、BIGということだ。

最近、BIGWORDという言葉を連発している。
この流行が消えるころには、きっと
僕もビッグワーダーになるだろう。

ってダメじゃん。

タスク

Task。
コンピュータでは、タスクとは、1つの処理のことを指す。
ちなみに、アプリケーション、プロセス、スレッド、タスクと
並べると、なかなか分かりづらい。

実際には、「タスク」という言葉は、
仕事の1単位、1処理という形で使われやすいと想像する。

タスクA、タスクB、タスクCとあったときに、
タスクには、TODO的(やらなければならない的という意)が含まれる
かもしれない。
タスクをどんどんこなして、さっさと帰るのが、僕の理想だが、
さっさと帰っても何もやることがないというのも
一つの理想でもある(笑)

仕事の単位と書いたが、
例えば、ブログを書くだけでも、
1.ブログのネタを探す
2.ネタをメモする
3.ネタを解釈・咀嚼する。
4.分かりやすい文章にする
5.参考となるブログ、サイトを調べる
6.関連情報を探す
7.ネタのために色々動いてみる
などの「タスク」に分けることができる。

どちらかというと、「タスク」には、
ある1つの仕事をやり遂げるまでの、「過程」みたいな
イメージが僕にはある。

また、終わったタスクよりも、進行中のタスクが
一番「タスク」という言葉に相応しい気がする。

実際にそういうことを考えていくと、
仕事の単位というよりも、
「1つの仕事をやる過程で出てくるこれ以上分割できない1つの仕事」であり、
また
「進行中の仕事」が
相応しいような気がしてくる。

WindowsXPにあるタスクスケジューラというのは、
タスクをスケジューリングしてくれるので、
時間になったら何かアプリケーションを動かすとか、
そういうことが可能です。
実際には、週1のこの曜日で、時間はこことこことか、
そうやって事細かに選べる。

「タスク」という言葉を使うことで、
仕事ができるようになるかは微妙だが、
「タスク」という概念が頭にある人は、「分割」して
物事を考える人のような気がする。


リソース

Resource。資源とかの意。
転じて、自己の力、内在パワー、潜在パワー、実際の体力、
精神的気力、興味の量、動ける時間、自分の源となる全てを指す。

として使っている。

「リソースを投下する」というのは、友人の好きな言葉だが、
これは、「自分の興味を傾ける」くらいの意味。もうちょっと
大きいかもれないけど。

リソースは投下するのではなく、資源なのだから、
「リソースを割り当てる」「リソースを適用する」といったほうが
言葉的にはいいかもしれない。

投下という言葉は、ある物体が落ちるという意味あいがあるせいか、
投げるというより、下に落ちる「落下」の意味合いを僕は
強く感じている。
だから、リソースをどんどん当てて行くみたいなニュアンスがある
かもしれない。

自分の源といわれると、なかなか難しいが
それは自分の割り当てることができる、調整が可能な力や
時間のことを指すことになる。

認知リソースとは、認知することに使える量のことになる。
例えば、何かに集中しているときに、他のことに使える
「認知リソース」は少ないというような形になる。

レバレッジ

レバレッジは、てこの意。
「レバレッジを効かす」などは、「てこを効かす」というそのまま
言い換えることが可能。

てこといえば、てこの原理が一番に思いつきやすい。
そう、少しの力で、大きな力を生み出す。

月を動かすには、理論上長い棒があれば、動かせる。
もちろん、普通はできなさそーだが。

てこを効かすことで、「できなさそうなこと」でも
実は「できること」が結構でてくる。

問題なのは、何が力点で、何が作用点で、何が支点だと
そういうことが分からないから、見えてこないだけだとにらむ。

例えば、考え方次第だが、
人に何か「優しさ」を与える、いや提供するって言葉の方が
なんかいいけど、その「力点」によって、
ぐっと、自分が「豊か」になれるという作用が増加する
ような気がする。

人にやさしいって結局そういうことなんじゃないかと。

また、仕事などでも、力を合わせればできるとかというのも
月並みだが、ある。
そして、自分の中でのやり方を考えることで改良はいくらでもできる。

フレームワーク

ところで、言葉の説明とは、ものすごく難しいことを
意外にやってみないと分からないという類のこととして、
認識している人はどれくらいるだろうか。

そんなのわかっとるわいという人は、軽くスルーをば。しなくても
いいですけど。

ある言葉を説明するには、その言葉を使ってはいけないルールが
存在する。はい、もう一度いいますね。

ある言葉を説明するには、ある言葉自体は使ってはいけない。

くどいですかね。

これ2つのことがいえて、
1.メタ的に、階層を上に戻る
2.噛み砕いて水平に展開して攻める

の2つがまずやり方で言えそうです。

1は、例えば「後悔」という言葉を説明するなら、
後悔の上位概念、もしくは、後悔を含む言葉を考えるといったほうが
いいでしょうか。
「悔しい」「恨み」「復讐」「大失敗」などなど。
類語っぽいですけど、気にせず。あくまで例です(笑)

2だと、「後から悔やむこと」でいけるんじゃねーかとか、
「悔やむ」って「過ぎ去ったことを現時点からも心に残っているかのように
すること」とかになるのかなーとか。
そういうのですね。

で、これはここでストップ。

フレームワークというのは、IT世界では、土台とか、モデルとか、
そういう意味合いで、フレームは枠ですね。枠組みの意のはず。

枠ってのは、結構意味合いとしても、分かりやすいんですが、
例えば、窓の窓枠。窓は枠があって、ガラスいれて
枠+ガラス=ガラス窓。木枠+スリガラス=学校の教室の窓(笑)
みたいなことになってます。

四角・・・の窓が多いとは思いますが、
その四角を定義することで、窓となりえる。
という意味で、窓を創る土台が、フレームじゃん。
となるわけですね。

ただし、僕が最近使うのは友人の影響もありますが、
土台というより、雛形的な、型、自動製造とか、そっちに近いものが
あります。

流しそうめんは、そうめんいれたら、流れていきますよね。
そういう流しそうめんの竹=フレームワークじゃんとか言ったりします。
仕組みとかもそうですね。

世の中は、結構基本的なことを理解できてないことがあります。
まあ、僕がその最たる人ですが(笑)、それを踏まえて。

例えば、会社で働く人がお金をもらえるのはなぜか?
そんなの、社長がくれるんだろうとか思っていたら、やや回答は微妙。
別に社長は責任者であって、お金をあげている・・・というのは、
実際には違うでしょう。

まず、お金の発生源という意味なら、ビジネス相手、それは
お客というのが正解。お客の財布から、移動して、会社に入り、
会社がそこから役職、実績などを考慮して、再分配す。
だから、実力主義とかをうたうところは、その結果分が
給料に反映されるわけですね。ちなみに、くどいですが、
給料とは従業員側視点。給与は経営者側視点の用語になるっぽいです。多分。
という意味で、給料と給与の言葉の違いを意識したトタン、分かるものも
あるんだなーって好例ってことで。

そして、お客の財布のお金は、盗んでいるわけじゃなくて、
会社が、サービスもしくは製品を提供している対価で
もらっているわけですね。普通は対価以上を提供する、
もしくは満足度が高いから、「得意様」みたいになるんですね。

個人や自営やフリーでやっている人は、
直接これらをやりとりする機会が多い(そりゃエージェントというか、
代理店というか、仲介的なものが入ることはあるでしょうが)
ので、また税の深刻、じゃない申告をやるのも多いので、
そういう「お金」の流れに敏感でしょう。

大分ずれてきたので、ここらで戻して。

フレームワークは、魔法使いじゃないので、
そのフレームにはめたら、わーい、なんでもできるもん♪って
わけじゃないです。これは、気をつけないと、
占い万能主義者(笑)みたいになります。遊びならいいんですけど、
真面目にそれをやりだすと、まずいんじゃないかなあと。

抽象化の考え方もここに投入できそうです。
例えば、「ストレスがなんでこんなに溜まるんだ!」という
問題を解決したいときに、
客観視も含めて、
「自分に問題がある」「環境」「特定の人」「ある出来事」とか
色々でてくると思います。
その時に、
自分がうまく解決できたモデルを1つ作っておくと楽です。
こういうこと結構人はやっているみたいですけどね。

例えば、ストレスを解消するなら、
「バッティングセンターでしょ」みたいな人もいれば、
「愚痴るひらすら、愚痴る。俺の相棒に」みたいな人もいるでしょう。
「食う食う。ひたすら食う」みたいな人も。

これって、ストレス発散法。くらいのレベルで、
フレームワークじゃないじゃんということはいえそうですが、
でも、根本として、
「問題発生→解決したい→今回は・・・」
という一種の流れ、仕組みがあると考えるわけです、僕は。

例えば、恋人・友人と会う時間もない!なら、
会えないので、「しょうがないな、飲む」といって、一人で飲む選択肢
になるとか。
「バットフリテー」とかいっても、バッティングセンターが
なぜか改装工事中とかで、できないとか。
そういうことも諸々考慮して、何を選ぶか。

ぼーとしてればいいやとか、寝る!とかで回避もできそうですけどね。

そういったストレス解決方法にも、一種のフレームがあるんじゃないかと。
それを実行できるのはやっぱ、大本に土台があるからじゃないかと。

そうじゃないと、何もできないし、何も進みませんね。
多分。

メタ

軽く説明しようとしたんですけど、
Wikipediaが分かりやすぎ。くう、やるなあ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BF

本についての本は好きですね。これ人から言われて気付いたかも。
でも、本好きなら本についての本ってフラット(誰でもという意)で
好きだと思っていたけど。

メタ言語もいいですね。
私はうそつきです。とか。

メタ認知も最高。
あくまで自意識の話であって、仮に自己以外の存在を仮定した
位置からの認知だと思っても、その存在は
多重人格や二重人格などとはならない、というか、
キャパ(容量)として、自分が全てであるというのは
ちょっと窮屈な気がするって、関係ないな(笑)


あと、こんなエントリ発見。面白い。
http://blogs.itmedia.co.jp/itphilosophy/2005/12/post_294b.html

階層って概念ですねえ。いいですねえ。


で、メタってことをそんな意識しているかというと、
よく「考える」ときには、それは意識せざるをえないというのはあります。

例えば自分の見解Aと相手の見解Bは不一致な部分が多い。
それはなぜか?
仮定でも事実でもなんでもいいですけど、
自分の理解する、考えるところを越えられることはまずないので、
そのレベルでどんどん追求していくと、
ある種共通的なものに戻っていきます。それがメタなんじゃないかと、
勝手に思っていたりします。

僕は、メタ=一歩前のという認識があったんですが、
実は一歩後なんですね。本来は。
なぜ前と後ろが逆になるかは思考の面白いところですが、
例えば、Wikipediaにあるように、哲学などの形而上学は
物理があって次にできる考え方だなあというのは納得。

湯飲みにお茶が入っているのは、
物理的には、お茶という液体が湯飲みの中で、停止しているに
過ぎないといえそうですが、あ、これおかしいのか、
まあ、それはいいですが、そういう現象があって、
じゃあ、なんで湯飲みにお茶が入っているのか、
別に隣のコーヒーカップでもいいじゃん。
机にこぼれていてもいい(何がいいかはスルーしてくださいね)、
とかとか。

それって、物理とかそういうのじゃ説明できないんですね。
といって、じゃあ哲学がそういう諸々のことに全て応えているかといったら、
もちろんそんなわけがなく。
といっても、先人の思考はやはりすごいものがあるわけですので、
この意味をお間違いなく。

例えば、ダンスを見たときに、感動したと。
ではなぜ感動したんだろうということを、言葉にする場合、
1.自分が感動したから感動した
2.感動する要素があったから感動した
3.他の人が涙していてより感動した
4.期待値が低かったがあまりにも実物は高すぎた

など色々な要素が出てくる・・・はず。
そういった場合に、どこか、物理的な思い(現象ではない?)を
一つ次のところにもっていって、それが哲学か、思考するか、
考えるか、分析するか、落とし込むか、どういう言葉になるかは
その人次第ですが、それを考える・・・と。

考えた結果は、1+2+3みたいな要素だったんだなと。
で、この作業は「ダンスをみた感動」で「感動」するみたいな
メタ認知作業みたいなことも、
書いたものをみて、本当にそうかという「メタ言語」みたいなことも、
やっぱメタばっかりじゃないけど、メタ的な要素があるかと。

例えば、文章って人が書きますから(そうじゃないのはしらん!)
その書き手って何をいいたいかってのはやっぱ気にしますね。
それも一種のメタなんじゃないかと、乱暴かもしれませんが、
思いますな。

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