ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

造語

ワークショッパー

ワークショップをやりまくる人のこと。
または、モバイル一式アイテムに
「はさみ、のり、紙、使う道具」一式が納まっていることを指す。

いつでも、どこでもというのが「ユビキタス」というのは、
指に来すみたいで、微妙。
それよりも、モバイルワークショッパー、略してMWSの方が
最強にかっこいい。インパクトがある。
ワークショッパーというところで、何か動的で、どこへでも
飛んでいくイメージが想像できる。

これからはワークショップの時代になる。
そこには個人の価値が共有され、緩やかに学べる場が作られる。

ワークショップスキルを持った人間こそが、
今後のプロシューマーを主導する。

かもしれない。

携帯はさみ購入・・・!

好奇心閾値

低刺激でトリガーが動く人を、好奇心の閾値が低い人という。
高刺激で動く人を、好奇心の閾値が高い人という。

造語だらけ。

刺激が高いとは、影響の大きいものという意味。
好奇心の閾値とは、「閾値(いきち)」が低いと、ちょっとの刺激で動いちゃうこと。
高いと、ちょっとやそっとでは動けない。「高い」方がマイナス的に僕には写るわけですな。

好奇心なんて、あらゆるものに関心がある人はいないから、
例えば、タマネギが嫌いな人が、タマネギに好奇心があるとはおもえない。
けども、あるキッカケでタマネギをスキになることができる・・・気がする。

そのキッカケこそ、好奇心だったりする気がする。

おお、説明が二重になってる。分かりづらいね。

自分を突き動かすのは、好奇心で、なんで生きているのという問いを連発しているのも、
好奇心じゃないかなとか思ったりする。

とにかく、好奇心自体も、人生を楽しむ一つのトリガーかなあと。
トリガーってスイッチみたいなものね。多分。

ディスティニィ

造語ではないけど。

使い方は「運命」部分をそのまま上記の語で置きかえるイメージ。

「そういう運命だったんだよ」
というフレーズは、大抵「悪い意味」で物事が起こり、それに対して
「仕方がない」「それには逆らえない」「そうあるべきだったかも」という
意味で「運命」という言葉を使う人が多いと思う(自分だけ?)

そこを
「そういうディスティーだったんだよ」と言ってみる。
ちょっと、感覚が変わって、「ディスティニーか、そうかー」という
そんな感じになる。これぞ言葉の不思議(え、そうならないって?ouch!)

自己肯定感と密接に結びついているとはいわないけど、
己の運命を受け入れるには、このような「ディスティー」戦法で
余裕を見出して・・・というのも必要な気がする。

それくらい生きるって「ディスティー」だと思うから(きゃは)

鳥ガー人間

何かきっかけを与えてくれるとか、
そいつのおかげでやる気になったとか、
そういう人間が必ずいるーというか、いるなあーというのに
エラク同感した。いや、そういえば、そうだなと思ったというのが正確か。

それを「トリガー」ならぬ、「鳥ガー」人間と命名したい。

鳥がガーとなくと、鳥が集まってくるように(本当かよ)、
(そういえば、なんでハトはノドを鳴らすか。気になって夜も眠れません)
鳥ガーになれるような人間に、

そういう人間に、わたしはなりたい。
(このフレーズなんだっけ。忘れちゃったよ)

エイリアン

エイリアンとは。。。

自己認識に欠け、他人への配慮、他の立場への思慮、他者への想像力の欠如をフルスロットルに行い、そのため周りからの顰蹙(ひんしゅく)を買いやすい。
確信犯という言葉の本来の意味が妥当?かもしれない・・・?・・・そういったエイリアンは、本当にエイリアンであるべきかどうかという自己への問いも当然発生しない。
自己犠牲精神が見とめられず、自分の小さなフィールド、もしくは井戸の中で、暴れまわるが、誰もそれを認めてくれない。
認めてくれる人は、同様の井の中の「蛙(かわず)」であるといえる。

人には必ず良いところがあるから、悪いところばかり見るべきであるという反論は
ここでは通じない。
なぜなら、エイリアンはこちらのまず「悪いところ」をついてくるからである(笑)
そんな人間に良いところを見出す人がいたら、僕は会ってみたいものだ。

今ある言葉で意味がないもの

うつ、引きこもり、自衛隊、社会人・・・?
負け組、勝ち組・・・

なんというか、言葉の意味を理解するとかじゃなくて、
「言葉に踊らされる」人のほうが多い気がする。と勝手に思う。

自分が勝ち組か負け組どっちなんだ?と思ったら、重傷じゃないかと思う。
というか、誰に勝つんだ・・誰に負けるんだ・・・。

「うつ」気味というのはあるだろうが、普通は感情の起伏はあるもの。
常に沈んでいる人を「うつ」とはいえない。そういう性格であるかもしれないからだ。
安易に「うつ」だとかいってるのは、馬鹿しかいない。
「引きこもり」もかなり長期になると病気といっていい。
しかし、これを肯定する(出るに出られない人への共感)する人もいる。
僕は決して肯定したくない。でもその人を否定できない。自分は弱いなあ・・。

自衛隊にも意味がない。自衛隊という言葉の意味が。
社会人も同様。天皇みたいに「象徴」的な言葉になってしまっているのかしら。

言葉のセンスが高い人と話したいとです・・・。

ありがとうございます、ましたの違い

造語カテゴリが混乱中っと。

注文をするときに、「?、お願いします」。といい、
会計の時には、「ありがとうございます」というのが習慣になった。
無言はどうも嫌だ。おそらく相手も何か言葉が合った方が「リアクション」としていいかと。

で、どうでもいいことですが、
「ありがとうございます」と「ありがとうございました」の違いを考えてみた。

ありがとうございます、と僕が言うとき、どうもサービスありがとうという意味で言っている。
ことになる。
で、それは「現状へのお礼」ということだ。今こうしてサービスしてくれてありがとうという意味だ。

で、「ありがとうございました」は、店員が言う。
それは「ご利用してくださってありがとう」という意味で、行為が対象だ。
それは過去のことだから、過去形だとも思う。

同時に「ありがとうございます」は、現状、つまり現在であり、現在形だ。

そこに気付いて、おおーと思う。

店員が「コーヒーでよろしかったでしょうか」といった言葉を発するとき、
「よろしかった」ではなく、「よろしい」ではないかという話が以前あった。友人ともしたかな。

その時は、まあ
「若いんだし、多めに見る」説、
「過去形は英語のwouldのような丁寧を表す意味もある」説、
「自分としては過去の情報であるので過去形」な説、
などなどがあったかしら。

使いどころだ。
例えば、店員がミスって、注文を書き間違えたり、もうコーヒーがない(普通はないけど)とか、なんらかの事情で、確認したいときなど、
そのときに「コーヒーでよろしかったでしょうか」と確認することは普通だろう。

だが、お客が席について、「ご注文は?」といって、一人が席にいてコーヒーを飲んでいて、もう一人があとから待ち合わせで来た場合に、
店員が「コーヒーでよろしかったでしょうか」というのは、ちょっとおかしい気がする。

あ、なんかどうでもよくなってきた。

コーヒーの方お持ちしましたとか、1000円からお預かりしますとか。
そういうのですな。

これらをボカス表現といえば、聞こえはいいのだけど、
この言葉に「決定力」のなさを感じるのは僕だけだろうか。(うん、あんただけだよ。ぐはっち。

サッカーでいえば、決定力とは、FWのゴールを入れる力、チャンスをものにする力、
そういうものだ。チャンスが5回あっても1回もゴールできなければ、決定力がないといえるし、
5回のチャンスを全部ものにすれば決定力があるといえる。

決定力とは、決断力、行動力と似ている言葉だと思う。

だからあやふやな言葉、あいまいな言葉は、それ自体は「気持ち良い」ものだ。
聞く客は気持ち悪いと思うかもしれないが、そうではなくて。

その決定力がない言葉を発するということは、極論として「曖昧な人間」ということになる。
まあ言いすぎは承知。だけどそういう傾向があるんじゃないかと。

曖昧にして濁す。そういうのが処世術とはいわないが、
それに長けることで、結構なんでもこなせると逆にたちが悪い。あとで一発でかいものを食らいそうだから。お節介その13っと。

?したいなあではなくて、?します。といってしまえばいい。
そうすると、出来なくてもきっと変な方向にはいかないと思う。

ちなみに、インドに行きますといっておいたが、それは実行せず、
韓国に行こうとしているが、寒いみたいなので、まだまだ行かないという己のことは
タナアゲしているので、あーる(笑)

キャラとか。

あ、こいつは造語じゃない。まあいいや。

characterのキャラだ。ってスペルあってるかな。

「俺そういうキャラじゃないし」
「そうだよねー」

という会話が成立しちょる。
世の年輩は嘆いておる(笑)
いや、そうでもないか。知らんけど。

とにかく、
「キャラ」至上主義みたいに聞こえるっすね。
なんかつまらん。

例えば、普段、活動的じゃない人が活動的なことをすると、
「そういうキャラだったっけ?」
となる。

非常にあほくさい。大学にはこういう連中がゴロゴロしとる。
玉をみつけたら絶対逃がすな。もう2度と会えないかもしれないぞ、と思う。
大学卒業するから、もう言いたい放題で。

キャラ・・・という言葉は「性格」という意味合いだが、
それ以上の何かが含まれている気がする。

というわけで、僕は「キャラ」という言葉は嫌いで、使わない。

似たような?もので、「?な人」「?系」というのがある。
これも、あほくさい。たまに使っちゃうが、そういう人に合わせて使っているので、
本意ではない。言い訳?でも、そういう言葉使う人にはそうしていくのが我流。
でも、そんなの30分くらいで限界だなあ。無理。

「?な人」「?する人」かな、これは、そのまま。
?な人といってるのに、二人称。あなたを指している。
日本語は、「あなた」という二人称が弱い。私も省略する。彼とかの三人称もだ。
主語を省略することで、なるべく「一体化」をつとめておる。というのは否定できん事実か。
そう解釈せんでもいいけど、実際に略すしなあ。

脱線。

例えば、「本読みとかする人なの?」という風に使う。
初対面、もしくはあまり交流がない人に使う言葉だが、なんか違和感。
この例は良い方か・・・。
「人」なんていらなくて、「本読みとかするの?」で十分だ。
「とか」もいらないんだけど、「本読みするんだ」くらいでいい気がする。

「とか」も「ぼかし」表現とみなせば、「人」も同様。
x2でぼかしがはいってるから、違和感があるんだろうなあ。

「?する人なの?」って言われたら、「え?誰が?」と言う事にしたい。うふ。

「キャラ」を使う人間には、徹底的に「あんたはこういうキャラ」なのかと問い詰めることにしたい。
こうして、あほを減らしていくことにする(笑)
まあ極端にやると、誰もから逃げられそうなので、バランスが重要。うう妥協しちゃう。

「キャラ」の言葉には、「キャラ」が全てのようなニュアンス(意味合いの意で)がある。

そういう「キャラ」じゃないから「できない」だの、
そういう「キャラ」だから「できる」だの、
そういう「キャラ」じゃないから、どうだの。

なんだかうっとうしい。

キャラがなんやねん(笑)

性格なんぞいくらでも変わるし、変えれる。
そう思ってるだけさという問いも出来るし。

自分を受け入れてそういうものになった、なっている。
だから「キャラ」なんていう安っぽい言葉で語らないで欲しい(誰にいってんだろ)。

もちろん、役割みたいなものはあるけど、キャラとは別だ。
夢とか、自分の使命とかあっても、それはキャラじゃない。

明るいキャラ、おっちょこちょいキャラ、しっかりキャラ。

そんなのうっとうしい。

キャラという言葉で、ある人間を一面的、一義的にしか見ないんだって、
そういう風に僕は捕らえちゃうし、そう考えることにする。

例えば、この「キャラ」の話を、「キャラキャラ」言ってる人に話すと、
おそらく「理解しよう」という以前に「難しいこといってるね」とか、
「別にそんな深く考えなくていいじゃん」って、返事が容易に予想できる。

いや、別にそうだけど。と思う。そうだけど考えるし、面白いじゃない?
と思うわけだ。でも、このオモシロさは分からないんだろうと思う。
安い優越感に浸る前に、「むなしさ」が優ってしまい、そのまま逃げたくなる(笑)

「キャラ」という言葉で、一瞬のうちにそういう思考をし、
相手の意中を探る。そして、主観的にみて(というかそれしか出来ない)、
相手の人間レベルが高いかどうか判断する。

大体言葉に気を使ってない人は、人間レベルが低い。
だから、言葉遣い(敬語もそうだけど)で大体分かる。

やっぱ社会は良く出来てる・・・。

言葉がぶっきらぼうだからって、その人が悪い人って意味じゃなくてね・・・。
言葉を知らないからその人が馬鹿だとか・・・そういうことでもなくてね。

言葉遣い。

例えば、顔をみて、顔が「整っている」かどうかじゃなくて、
「顔つき」が問題だと思うという話と似てるはず。

顔が良い悪いはどうでもいいけど(そりゃ良い方が見てて気持ちいいけどさ)、
顔つきが腐ってると、良い顔も意味がない気がする。

たまに「不細工」な顔だから嘆く人がいるけど、そういう人って大抵、「顔つき」が悪い。
不細工なものはしょうがないじゃないかと思う。
と、不細工な人がそういうことはないのかってことは、自分はどうなんだ?。おっと無視。

顔つきは、顔そのものより大事ってことが言いたいだけ。
不細工なんだけど、どうすりゃいいのさって疑問は一切無視(笑)脱線しちゃう。

何かやろうとしている人は目が輝いてるし、
失望した目とか、希望の目とか。目は大きなポイントっすね。

口の周りの筋肉も、良く笑うかしゃべるかで変わっちゃうしね。

書いてて面白くなってきたなあ。

「?」の?のような

えっと、表現ですね。

「?」には本の名前が、?には何でも本のないように関すれば。

例えば何がいいかなあ。

「金持ち父さん貧乏父さん」のあのお金作る話のようにさ、発想が大事だよ。とか。

いや、深い意味ないですよ。別に本読んでるぞ!って見せびらかしたいわけじゃないよう。うわーん。

なんか本読んでると本の話でてくるんですよね。
「?」の?の?みたいにって出てくると、うわーやっぱその本読みたいってなります。
あえてその表現をしているか、たまたまそういう風にしたか分からないのですけど、
まあ自分が使いたくなるんですよね。ただそれだけ。

一応狙いは、
「RM軌跡」に書いてあるようにさ、って言われてみたい。
いや、なんとなく。そうなると権威になる。
権威になると、何か来る。面白そうな誘惑が。
その誘惑を全てことわる。

すると、TVでない、ZARDとか大黒まき(なんか古いね・・)とかっていわれる(笑)
TVなんで出ないかっていわれて騒がれる。

なんかいかん変な妄想だ(笑)

文章が変わる

造語というか、フレーズ。

本を読むことでその文章に影響をうけ(もしくは内容)、自分の文章が変わること。
とくにこの時期だと卒論の文章に影響あり。


影響前:
xx(1996)によれば、自分の作った文章が高確率で変わるとある。

影響後:
xx(1996)によれば、自分の作った文章が高確率で変わるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

(笑)

だから何をやってもだめなんだよ

これも兄貴から。

小学校くらいからずっと聞いている。
別に叱られたとかそういうことではなくて。
例が難しい。というか、この言葉を最近は封印してる。
あまり気持ち良いフレーズではないが、冗談では結構面白い(笑)

何か失敗しまくっている人がいたら、そういう人に使ってみよう。
ただし、フォローと理由付けとアドバイスはもちろん必須。
それか相手を追い込む時に使う。

なんかそんな僕ってヒドイ人間みたいだねえ。(他人事

使うと
「だっから・・・なにをやってもダメなんだよう」
みたいな風になる。

多分ブログを見ている人で、僕がこれを使ったことを知っている人はいない。
伝説のフレーズ。

まじポン

「まじ」の意。

九州で流行ってたらしい(むちゃくちゃ信憑性がない。

ちなみに、兄貴から大分昔に聞きました。
「まじぽんー」

ポン酢じゃないっす。っすっすうっす。

くまったくまった

大前研一氏のどれかの本に、そういうジョークがあった。確か。
「困った」は「こまった」だが、それにのっとって、「くまった」とする。

親父ギャグと非難する人は、底が浅い人だと思う。
「くまったくまった」という。
なかなか素敵な響きだろう?(上げ口調)

確か親父ギャグというのは、ここでは
「クマッタべあ」とか使うのでは?

まあ、それも一興。

らっしゃい

普通は、「いらっしゃい」の略。
で、「らっしゃい」というと、威勢の良い八百屋風なイメージ。
だから、概して「気合いが入った、愛想のある挨拶」となる。

が、友人はメールの語尾に「らっしゃい」と何日間に多用していたので、
釣られて使用している。

意味はないが、余裕をアピールできる効用があり。
つまり、「らっしゃい」とあると、文意全てに余裕感を与えることが可能。

ただし「意味不明な言葉」を嫌う人間に使うと「なんでらっしゃいなの?」とか、
「らっしゃいって何?」とか、聞かれること間違いなし。
それを承知で使いましょう。

え、使わないって?

自我粘性度

友人が「前こんなこといってなかった?」と言ってたので、反応。
げ、思いだせん。というわけで、今も、あんなのあったっけと考えております。

安部公房『他人の顔』の51ページにある方程式みたいな関係式があります。

自我粘性度(すなわちこの低下は,自己の確立であると同時に,自己の硬化でもある。おおむね年齢に逆比例するが,その軌跡の曲率は,性別,性格,職業等によって,かなりの個人差が認められる)

で、ちらっと見た52ページかな、には、
厚化粧の女性は、ヒステリーで、ヒステリーは幼児化みたいなことが書かれていて、
ってことは、厚化粧の女性は、自我粘性度が高いってことになります。


自我粘性度の「粘性」という言葉が意味が分かりづらいというか分からないのですが、
まあ自我が確立されている人は低いわけです。

造語ではないですが、まあこれから機会があれば使って見ます。

あまり乱用すると、文学少年だと思われます(笑)

ブログの見えざる手

神の見えざる手にかけてみた。
ちなみに、神の見えざる手をご存知でないかたへ。
これは要は経済社会において、市場というマーケットが誰かに操られてるかのように!
需要と供給で価格が決まったりすることをいいます。アダムちゃんでしたっけ?

それはいいとして、ブログの見えざる手とは?

つまりというか、まあなんというか。

ブログって下書きあるみたいですけど、僕は全部公開してるんです。
そんなのはどうでもいいって?

で、公開するわけで、公開日記なんて、めっちゃ親しいか下心(笑)あるやつしか
みないんじゃないのかなあと思うわけです。

昔、「Webサイトに日記を載せるのはおかしい」とかいう話がよくあったと思います。
それもどうでもいいんですが、結局日記というのをプライベートで誰にも見せないものとしたら、
それをWebで公開するのは変ですよね・・・?
逆にいえば、誰にも言えないから日記にかくみたいなこともいえるわけです。

で、このブログについていえば、俺はこんなことを考えたんだ、皆聞いてくれ!っていうことに、自ずから。本当に自ずからなんですが、なるわけですよ。

自分が気づいたこと、面白かったことなどを書けば、なぜかそれはそういう風に伝わる。
いや正確にいえば、そう伝わりやすいんでしょうね。

これをブログの見えざる手といいます。OK?
え?全然分からないって。

要は一言でいえば「意図してないんだけど、ブログで公開されていることで、自然と人に見てもいいような文章になっていくこと」をいいます。

先ほどのアダムちゃんとの対応をいえば、
需要はまあ見てる人の見たいものですか、供給は自分のブログネタですか?

結果的に均衡点は、「なかなか面白いねえ」「頑張ってるね」「ふむふむ」と見ている人がいい、
そして僕が「こんなことあったけど、ここは割愛だけど、こうだったよ」みたいなことになるんだと思います。

これは僕のブログの性質ですね。他のブログについては、分かりません。
ただ本質的なことをいえば、ブログをずっと書くとまあ、100回くらいかけば、
自ずとその人がどういう人か分かりますよね。見てる人は。

だって、自分じゃない人間を偽ってですよ?それを100回も普通は書けないですから。
もし偽った人を演じれたなら、それはある意味ブロゲンティナーです。



万が一

造語じゃないですが。まあいいや。

最近「万が一」ということを考えるようになった。友人の影響。

別に年金について真剣に考えた上で老後は大丈夫だ!とか、そういう「万が一」ではなくて。

世の中にエラーやミス、トラブルはいつも向こうから突然やってくる(あ、これ村上龍の「69」の文章の1節思い出す。懐かしい。あ、映画化されますね。前もいったし)。
そうなんです、こっちは防衛しかできない。その一つとして・・・「万が一」という発想があるんじゃないかと思います。

約束の時間の5分前などに着くというのは、電車がもしも遅れたらとか、まあそういうのがあるかもしれません。計画。未来。
前もって予測できないから、とりあえず今予想できることに対する対策をする。それしかできないんですけどね。

ビジネスについてもおそらく万が一という発想は重要じゃないかと睨んでみる。確認作業というのがそれに当たると思う。

そういえば「信頼しているからこそ確認するのだ」という話を聞いて、これを信じられないと一喝!する(そこまでしなくても、怒る?)という話を思い出した。

親友や友人を信頼しているから、何も覚書?等を書かないのはそれは僕は違うと思っている。
そうではなくて、それは「ただそうやって責任の所在を曖昧にすることで、なんとなくお前とは友人関係だからな」と押しつけているようにすら思える。考えすぎ?

まあ、考えすぎにしても、信頼=紙に書く作業をしないというのは、ちょっと違うなと思うわけですね、ええ。

万が一・・・。万が一のことを考えるわけです。そこには「お前はいつ裏切るか分らん」という考えがあるんじゃないかと、思えるわけです。まあ、その当たりは考え方次第かと思いますが、お互いに気持ちの良い関係さえ築ければいいなと思います(ごまかす)。

バニラエッセンス的

友人からぱくる。
バニラエッセンスは「ほんの数滴で、周りに大きな匂いを与える」ということから転じて・・・

「小さなことで大きな影響を与えること」と決める。決めちゃった。

バニラエッセンスという言葉で単独では使えないので「バニラエッセンス的?」という形で使う。

例えば、
「僕はバニラエッセンス的な仕事がしたい」
「なんでいつもバニラエッセンス的なことばかりするの?」
「そんな簡単にバニラエッセンス的な行動はとれないぞ」

なんか使い方がおかしいなあ。

一番上の事例以外使えないというか、使いづらい(笑)

精算

普通は、お金を支払ったりする時に使う言葉。あれ、正確な意味知らないなあ。まあいいや。

造語としては一気にデフォルトへ戻すということ。

例えば、「人間関係を精算する」」という時、「自分の嫌いな人間に嫌いといい、好きな人間に好きといい、自分の人間関係をリストラクチャアすること」だ。

自分の部屋を掃除して、模様替えとかするようなものです。HPのリニューアルとか。そんな感じ。

で、実際に人間関係を精算している人はいるのかしら。多分「自然淘汰の法則」が大きくて(だからよく人は「時が解決してくれる」とかいうのじゃないかしら)、そんなに人為的に構築するとか思っている人少ないと思った。

ところで、goo辞書より、


細かに計算すること。最終的に精密に計算し直すこと。
「運賃を―する」
三省堂提供「大辞林 第二版」より



らしいですよ。

言葉で遊ぶ

造語カテゴリを作ってみた。
今後、マイブームとして勝手に言葉を作っていくつもりなので。

個人的にやはり定評があるのが「罠」という言葉。
悪い意味に使うが、良い時にも使える。良い意味に使えば、より良い!という意味でインパクトを与えられる。

「罠」・・・名詞
用法
1.すでに決まっていたことに対して自分が知らなかった時。例「それは罠だ」

2.不可解、不満、納得がいかない時の感情を冷静に表わす時。例「それは罠だ」

3.はめられた!と思う時。例「それは罠だ」


冗談まじりなので気にしちゃだめです。

後は、
類義語として、「トラッパー」「トラッピー」。

あとまだまだ一杯あったような。
思い出したら追加します♪
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