ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

セミナー・イベント

元永定正展

津へ。

一言でいえば、最高。
元永さんやっぱいいなあ。

抽象画=情報の圧縮
→見る・読む側に「展開」するだけの知識・経験を要する。
だから、自身の展開力、つまり展開できるイメージの総量またはその幅が大きければ
「具体的」なものより、想像力を喚起する。
むしろ、抽象的な図形(例えば四角)を使って何かに見立てるというクリエイティブは
基本中の基本だけど、それがどうできるかって、自分の感性というよりも、
何を考えて、何をみてきたという経験に大きく依存する。そして、何を伝えたいかは、
その最終的なベクトルの方向を少し、ほんの少しだけ決めるだけかと。

一般的に、具体的な情報のほうが「分かりやすい」のだけど、
実は抽象的な情報のほうが「情報が圧縮」されていて面白い。

それは分かる人にはわかる、マニア向けというと終了で、
そうではなく「情報の圧縮」と捉えたときの面白さは相当のもの。

さすが、元永さんとしかいいようがない。

さらにいうと、
具体的であれ、抽象的であれどちらも脳内では、どちらもお互いに使っているということは
重要な気づきかもしれない。

例えば、おでんのだいこんみたいに・・・といったとき、
これは具体的な感じがする。比喩だけど。
そのとき「おでん→だいこん→うまい、あつい、味噌?冬?」といろいろ出てくる。
時間、食べる場所、食べた人、そのときの話・・・色々。

これってそう、上でいってる情報の圧縮(おでん)に、つめられたものが「展開」されていると
いうことだ。
これって、思い出の写真・音楽とかの話で、その頃を思い出す。それ。
それを僕は「企画タイトル」「企画」というものでまとめている。

面白い話もこれと同様。気づきも同様。
ある話=ストーリーとするか、引き出しにそうやって「ラベル」を仮想的につけて、
(もちろん、そんな引き出しは脳内にイメージとして勝手に作っていて、実際の管理は
知らない。ただ、「おでん」のようなキーワードが出てくればそれらが出てくる。これは
多分脳内の仕組みだろう)

だから、「具体的」でも、具体→抽象→具体となって、結果は具体だけど、
ほら抽象化してるねえと。
そして「抽象的」でも、抽象→具体→抽象となって、結果は抽象だけど、
ほら具体化しちゃったよね。
となっているかもという話。


最後はトドメ。
抽象化されたもののほうが、ノイズがない(現実的なものがない、具体的に想起する
情報がないため、解釈リソースを使わない)ため、
脳にダイレクトに伝わってくる。
それが元永さんの絵だ。作品「zzzzz」がやっぱ最高。

結論は、社会が面白くなるのは、理屈ではなくて、
脳に直接訴える「抽象」というところでいく。


津にあるchumというビルにあるドトールがあるけど、
そこの絵が全て3枚とも「カンディンスキー」だったのは、
感動した。お店にいい絵ですよねーと店主に言おうと思ったくらい。
カンディンスキーとか、図形で何が描いてあるか分からないから
分からないって人は多そう。
僕も分からないんですが、なんかいいって、感覚で思えるだけの世界。

ソーシャル・クリエイティブの可能性

久しぶりに講演を聞いたなあと。
が、勘通り、役に立った。上田さんありがとうございました。

ざっくりいうと、
Think the Earthプロジェクトというものの説明と活動、
これが上田さんの仕事の主として、
後半は、ソーシャル・クリエイティブな事例。

僕にとっては、懐かしい社会起業家な話として、
良きメンター(といっておこう)が紹介してた、
ベン&ジェリーズのアイスクリーム、
TheBodyShopとかの事例。ああ、懐かしい。

上田さんに、質問時間があったので、質問してみた。
なぜ、ソーシャル・クリエイティブのようなことに
興味を持ったのか、と。

答えはざっくりいえば、「面白い」ということだった。
むう・・・素晴らしい。

百年の愚行という本は、土井さんという人が、
じてんしゃ図書館で宣伝した?せいか、
というより、あの本は一度見たけど、かなり衝撃的ー。
逆に、それがThink the Earthプロジェクトから
出ていた方に驚いたりする。

面白さ、というところで、
上田さんが言われている感覚がものすごく分かる気がした。
社会との接点というか、関わり方をどこに持っていくかというところで、
頭に出てきた質問だったのだけど、
実に参考になる。

人間というか、社会というか、関わっていくことは前提で、
で、そういう人間って実はものすごく人間くささがあって
面白い。

銀河系とか太陽の衛星?である地球を考えると、
自分の動きはどうでもいいようにすら感じるが、
でも、そうでもないなあというか、
逆に、どうでもいいなら、好きなようにやりたいというのが
落としどころになる。というか、そういう思考が好きだってだけの話。

面白さというところでいえば、
例えば、広告とかデザインの分野では、確かに顧客や生活者がいて、
それに対してどう訴えていくか・・・というところで、
色々なアイディアでやってくのだろうけど、
でも、それって、結構やりつくされた感があるらしい。
意外にそういう感覚、他にないかな、面白いことないかなって
考える嗅覚みたいなものって、鍛えないとできないというか、
生まれてくるものもないんだろうなあって。ふと思う。

例えば、いくら自分が天才だと思っていても、
何もしないのは天才じゃあないだろうとか(笑)
あと、面白いものを求めないのに、面白いものが出てくるわけがなく、
意外に人は観ている、とくに自分が意識してない領域で
カウンター(笑)みたいなものが飛んできてはっとすることが
あったりする。それは面白さって意味で。

社会は、広い。
色々な自由なカテゴリがあって、どこにでも、例えば、
デザインって手法を取り入れたら、100人いれば100人の
アイディアが適用できる。と思う。多分(笑)
だから、上田さんは多分、そういうことを「宝探しの金鉱」みたいな
表現をしたんだろう。おそらく。

僕は、なぜか知らないけれど、
個人も大切だけど、なんか社会って言葉が好きで、
社会って別にそういうものがあるわけじゃなくて、
時には二人、時には1万人、時には5人の集団でしかないし、
何か属性が常にあるわけでもない。

でも、人って面白いので、
必ずそこで、何かできるんじゃないかと思っている。

というわけで、良い話を聞き、良かったです。
上田さんありがとうございました。

関連リンク:
Think the Earth オフィシャルサイト

第4回レビュアーのためのワークショプ参加


参加案内、イベント詳細はこちら。
第4回レビュアーのためのワークショプ
http://reviewer-workshop.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_d7b1.html


近いうちに、レビューがあるでしょうが、ひとまず先に展開。

今回のWS(ワークショップ)で得たというか、問いがいくつかあり。
問いとしては、「演じる」とか「表現する」って言葉を、
自分に限りなく近しいもの、それは自分の肉体を構成する繊維であったり、
水や血であったりするかもしれないが、そういうものに
落としこむ必要があるのではないかということ。

例えば、「演じる」を「演る」と書いて、「やる」というのは、
ものすごく格好いいと思う。実際にそのような話はなかったが。
ここで僕が何かを書くこと=「やる」ことなのかなと、ふと感じる。

i do it.
といって、文意が通じるかは謎だが、
つまり、you can do itが意味する、doは常に変化する・・・動詞の
言い換えになるか、同時にdoはなんでもするみたいな意味に
とってもいいのだろう。多分。
そういうdoをもっと人が持っていれば、いや持っていたら、
ものすごく社会は豊かになるというか、
例えば、隣の騒音が五月蠅くて殺人事件とかは起こらないかもしれないし、
まあそんなのとは全然関係ないのかもしれないが、
起こらなさそうな気はする。

もちろん、dodoいっても、好き嫌いがなくなるわけじゃないから
世の中は難しいのだけどね。


自分が好きなところへ落としこんでいく作業を、
どういう言葉で世の人は表現しているかわからないから、
自分探しとかいってみたり、やりたいことが分からないとか
いっている人もいるかもしれない。

しかし、純粋でいいのだけど、面白いことをやる・・・という
姿勢はおそらく人を「素直」にさせる効果がある。
それは、演じることにおいて、真摯にぶつかって、
(ここには計算高い戦略があるかどうかはどうでもいいことだ)
そうやっていくのは面白い。

今回のWSでは、演じる側、つまり役者と、
観る側、つまりお客と、
作家、つまり主催者の3者の構成で、展開された。
この視点はややオーソドックスなのだが、試みとしてはあまりない。
少なくとも僕は初めてだ。
ちなみに、僕の周りで演劇を観るのが好きな人は、
実際にほとんどいないのは、補足しておこう。
それくらい「小演劇」という世界はマイナーだといえばいいのだが、
別にこれに悪意はない。メジャーはつまらんということもない。
さらに脱線すれば、本を読むということ、いや本を買って、
作家を追って読む・・・こともマイナーだという認識はある。
要は、本をコンスタントに数万部売り続けることはかなり難しい。
著者は、その本を刷って、人気があるなりしていくと、
時代が経っても刷れるから、そのメリットは大きい。
が、時代が経つとは自分の食わねばならないから、新作などが
期待される。これは「作家」という文字通り、書いて食べる人の
ことにいえるのだけど。

3者の視点は、三角形によく例えられがちだが、
これは実は幻か、もっといえば嘘のような気がしてきた。
これは問いであって、そのような場とかいうことではない。
いわゆる、役者と客は対等かどうか。
そんなことはありえない気がしてきた。
とはいえ、芝居の代金=役者の価値とも全く思えない。
といって、消費するように、代金2500円の価値があるかどうかというのは、
やや貧しい気がする。なんていうか、2500円の価値にあうかどうか、
というのは一つのものさしでいいのだけど、それだけで、
劇を見るってなんか寂しいというだけの話。

だから、役者はどこぞの方角から、舞台なり、演じることを目的として
やる場合は演じる稽古を行う。ちなみに、「稽古」って
普通に日常語で出てくることがない、意外に特殊な気がする。
訓練って言葉が近い。が、稽古と訓練は違うんだろう。
リハーサルと稽古は近そうで違うか。あ、どうでもいいな、これは。

そして客もどこぞの方角から舞台を見る。もちろん方角ってのは、
客の見る椅子の位置とかじゃなくて、立場の話です。

3者の関係についてどういうこともないのだけど、
ただ、対等ではない、ということだけが残っている。
もちろん、対等ではないから、なんだということなのだけど、
やはり、勝負というか、共通の場である、舞台で
勝負するのが「対等」なんじゃないかと思ったりする。

それは今回のWSがダメとかイイとかの話ではなく、
役者と客の関係においてだ。
僕はそういう意味で、きっちり距離をとりたい・・・人間になるかもしれない。
それは、役者に近しいほど、別の観点で芝居を見れるってのが
メリットでもあるが、それは単純に楽しめないというデメリットもある。
これらは別に芝居を観ることだけに話は限らない。
より知る、より突っ込むとは結局そういうことなのだ。
こういう気付きと再確認は、意外に多い。


場としての空気は、非常に心地よかった。
意外に「場づくり」は難しい。それは、役者も含めて
その場に参加する参加者の関係性を、「参加するまで」が
掴みづらいことが多いからだ。
簡単にいえば、場は作るのではなく、できるものだという
考えがある人は、場を作ることは出来ないだろう。
ここでいう「できる」とは、勝手にできるみたいな考え方。
それは一理あるが、やや弱い。ある程度コントロールするというのが
ある。しかし、コントロールとは、場をコントロールするということではなく、
場を作るのにどこまでコントロールするかを考えていくことでしかない。


レビューという表現手法を入れた人々でもいいし、
ブロガーでもいい。そういう人々がどこに着地するのかは
ものすごく興味がある。僕もまたその一人かもしれないが、
少なくとも文章で人を動かすということは
僕の頭の中にない。文章は2つしかないと考えるからだ。
それは、面白いか面白くないか(笑)


人には必ずその人の固有の面白さがある。
それが分かればその人の魅力だと思うだけだ。
それが分からなければその人の魅力に気付かないだけだ。

芝居を観ていると、「お話」がいくつもあって、
非常にありきたりな話でも、そうじゃなくても、
一つの話、物語パターンとして、現実とは違っていても、
現実の人間が書いているのだから、現実へ還元できる
落としどころを考えてしまう。
それは、非常に社会批判とかそういうことが好きというよりも、
非現実な話でのリアルと現実な話のリアルとでは、
結局リアルさを表現する上では、どちらも手法としてはありで、
別に現実の話をしたら現実っぽい、つまりリアルさが増すかというと
そうでもないところに奥深さがある。

貪欲に、観て、書いて、時には歌い、詩を書き、
また時には踊り、演じ、時には、語り、時には企画し、
豊かに自身を構成していくこと。

その学びは、きっとどこかではなく、今ここにある。


ピーター・ヴュートリヒによるブック・プロジェクト「本と遊ぶ」

行ってきました。

初めてこのような作家がいることがしったのですが、
非常に面白い。

AngelProjectというものは、本をランドセルのように背負って、
天使の羽根みたいにするもの。
それらも、ワークショップの中で行いました。

WS内でやったものは、
1.本で家とか、建築物を作って遊ぶ
2.ペットみたいに本を芝生とかにおいて遊ぶ(階段に設置もあり)
木の上に載せてみる。
3.天使の羽根風に背負ってみる。(AngelProjectの一部?)
4.本を投げて鳥になった本で遊ぶ
の4つを大体2時間かけて遊んできました。

非常に面白かったです。
まずは、作家のピーター氏最高。といいつつ、
振り返っていきましょう。

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まずは1から。
これ観て何か思う人いるかもしれません。
そうです。ラピッドプロトタイピングですね。
パスタとセロテープの本来の機能を軽くスルーした目論見。
こういうのって、意外に「感性」しか役に立たない感じです。
もちろん、実際に目的とかもありますけど、
これは、本ってもので遊ぶだけであって、別に競争ではないです。

家のようなものであっても、建築物・・・というところから、
色々なものが10分くらいで出来てました。
皆さん本好きなんですね(笑)


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お外へ。続いて2です。
これ我が作品です。鳥の羽をお尻に。
なんかキュートでしょう。んなことない?

そして、鳥、もしくはりんご(笑)のように
木の上にも。
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群れをなすペット。
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続いて、3です。
うーん・・・素敵ですね。

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4は写真なしです。うまく撮れず!なんてこったい!

で、色々学べたことを整理。

本の機能をスルーして、本で遊ぶって非常に感性には
素敵な体験だと感じました。
それを「うまい」具合にもってく、ピーター氏はさすが・・・。
本人の前ではいえませんけど、センスあるなあって(笑)
ちなみに、愛知県美術館の中での作品は、絨毯風な山?と、
栞カーテンです。ああ、本好きにはたまらんっす。

例えば、本は読むことって概念がありますけど、
既成概念かな、それって別に破ってもいいというか、
破るのがアートかもしれんと。そのようなことって、
アートの基本かと思ったりしますが、意外にその点を
破れずに、というか破れないからこそ、アートにならないって
結構ありそうです。

という意味で「遊び」感覚で何か創る・・・のは大切です。
ラピットプロトタイピングのノリでもっと遊べるような
気がしてきました。一つのネタとして、本で遊ぶを
軽くぱくってしまおうかとすら思いましたが、
さすがに羽根つけてたら、オリジナリティーないので、
それはできませんが・・・。ぐむむ。

また、意味間違えてるかもしれませんが、
「つなげる」という言葉もでてきました。
要は本でつなげていくということですね。それは、
1の建物を本でつなげていく、つまり本が家でもあり、
道路というか通路にもなったりするということです。
また、同時にWSをやることでのつながりもありそうですね。

不要な本を1冊もって遊べるってなんか素敵じゃないですか。
そういう感覚大事かなと。

ふと思ったのは、お面です。オメンね。
自分に仮面とかをつけて、とにかく、作品もしくは、
成果物で形を残して、表現していく。
何を言っているkというと、「仮面」をつけた人をみても、
何か読み取れないじゃないですか。表情とか。
土俵というか、表現者、創り手というところでは、
やっぱ、形が全てではないんですが、そのもので
表すってのが極意かなと。例えば言葉で語っても、
分からないものは分からないってのがあるので、
別に言うことでもないのですけどね。


で、当たり前ですが、こういう本の遊び方は大好きですが、
でも、読むのも同じ程度に楽しいと。
そこは忘れたくないところです。
ああ、でも、本をこうやって使うことに抵抗ある人は
いるかもしれませんねえ。

Skype会議

フィードバックの大切さ。
それで今回、初の試みであったSkype会議は終了した。

Skype会議とは、有効利用しづらいと思いがち、少なくとも
僕は想っている、時間帯に「満足感」を高めていこうという
実験の1つといったものだ。

満足感とは?実験とは?

それは少しおいておいて、この会議、別に「会議」とついているが、
話し合うということを「会議」というだけで、
まだ明確な目的、明確なゴールが定まっているわけではない。

集まったメンバーは、以前の絵本作り合宿となったLEPIP合宿の面子。

フィードバックという大切さとは、
それは結構時間がかかるし、意識という意味ではほとんど「無意識」レベルで
自分の糧になっているから、一見単発のイベント(ここではLEPIP合宿のこと)が力になったかどうか、
そういうものは分かりづらい。

しかし、参加メンバーのマスカゼさんによれば、それは大きなとは
言ってないかもしれないが、肌感覚として「短期間」でつくりあげると
いうものがあるというところで、活きているということを
フィードバックしてもらった。グレイト!


僕自身としては、自身の課題もそうだが、
この熱(結局、3時間しゃべり続けだった)をどうにかもっともっと
色々な人にぶつけたいし、また熱そのものを感じてない人に
ぶつけていきたい、ぶつけて欲しいとおもった。

例えば、なんで「Skype」で「3時間」も「話し続けて」、それを
「面白い」と思えるのか?
という根本的な問いをしてきてしまうと、お手上げだが、
ちょっとでも何か「面白さ」「魅力」を感じたなら、
そこに突っ込んだほうがいいと思っている。

それだからこそ、今回の会議も実現可能だった。

次回は、「休日」の朝で、来月にやる予定。

客観的に見ると、非常に低コストで、学びが得られる仕組みだと認識。
低コストとは、時間やお金がかからないという意味。
Skypeはご存知ではない人に説明すると、インターネット経由で
電話ができるというソフト。よって、通話料は一切かからない。
音質もかなりクリアなので、ヘッドセットで耳が痛くなるとか、
そういうことを我慢すればかなり快適だ。
時間も、メンバーが実際に集まることを考えるとかなり高コストになるので、
もちろん実際に会うのはそれで価値はあるが、
低コストなのに価値があるというのが注目すべきところ。

学びとは、発見・刺激であり、他の人の意見を聞くというところでもある。
そもそも、形をとりあえず作っていく的な発想は参加者のぱいんさんの
考え方がベースというか、考え方に基づいている。
このSkype会議もそういう流れの一部だ。もちろん、LEPIP合宿も同じく。

また学びには、考え方の共有といったものもあり、非常に深い。

普段、会社や学校で、深い議論、もしくは話し合い、もっといえば、
ざっくばらんな言い合いというのが出来るかどうか。
それは環境にもよるが、何人か(これは本当に何人かだと思うが)の
環境作り役が必ずいることによると思う。
それは、実際には、話せる場を創るとか、もっとこうしたいんだという
想いがある人、熱がある人がいるからこそ、出来ているのだと、
おそらくそういうことなんじゃないかと感じる。
熱さなきところに、生まれるものはなし、である。

実験とは、結局試行錯誤でしかない。結果として、形になって
継続していくものが出来ていくだろうというものでしかない。

満足感という意味で、ほぼ狙い通り、満足感のある平日夜を向かえ、
床につくことができた。妙にテンションが上がってきているし、
何よりも、そういう仲間がいることにまず感謝したい。

そして今後も圧倒的な熱さでさらに実験をしていこうとそう感じた。


他の参加者のSkype会議フィードバック
マスカゼさん
Skype会議@LEPIPメンバー | マスカゼパッション

ぱいんさん
skype会議とかいうもの|実験とプロトタイプ

アカネイロさん
スカイプ会議 - アカネの毎日

ラピッドプロトタイピング in IAMAS


行ってきました。
IAMASという芸術に関することを学問している大学院での
公開講座が、OPENHOUSEになります。

狙うは「ラピットプロトタイピング」。

とりあえず雰囲気を写真でどうぞ。
ちなみに、僕らが作ったのではないです。優勝者のパスタです(笑)

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参加者は4チームに分かれて、10名弱くらいでしたか、
パスタとセロテープを用いて、どれだけ長く、机から伸ばせるかを
競います。

実際にやったことは「パスタ」と「セロテープ」で
「長くなるもの」を創った「だけ」なので、
やったことの報告は以上ですが、発見したことは
LEPIPのときと同じく結構あります。

まず、1つ目に、コミュニケーションというところで、
初対面の人がチームを組んでいるのに、あまり「ぎこちなさ」が
見られなかった点です。僕も楽しんでしまいました。
パスタで長くするだけなので、結局「頭」で考えてもしゃーない
世界です。だから、「手を動か」していって、そこで
ああ、三角形は安定するなーとか、束ねるといいなあとか、
どうしても重力で下がるからそれをどうするか。

講師からは、自然物もヒントになるかもしれない、建築物とかも
どうだろうとかいくつかヒントをもらいながらも、
あまりその話は聞かずに(笑)手を動かして、創っていきました。


2つ目の気づきとしては、
結果物が、色々な形、特徴がある5作品だったかな、になったものの、
チームが見つけたポイントを追うような印象を受けました。
例えば、重力がかかるから、引っ張るように釣れば、もっと
距離は稼げるかと考えたからこそ、ものすごい強力にパスタを束ねて、
セロテープで強度に固定したものができたりしたわけです。

僕らのチームは、ほとんどパスタ一本を使うところで、
なかなかキレイな恐竜の頭から尻尾までの曲線みたいな
きれいな曲線ができたのがすごく満足でした。距離はまあ、そこそでした。

そういう意味で、2つ目としては、試行錯誤していくところで、
結局何かを2時間という限られた時間でみつけて、
手を動かして、完成形にもっていくと。
ちなみに、完成していなかったチームはどこもありませんでした。

3つ目としては、このラピッドプロトタイピングの手法は、
もっと色々使えるんじゃないかと感じ、
それは道具としてもっと遊んでいいような気すらしました。
要は、コミュニケーションツールとして、偏愛マップとか、
マインドマップとか、GTD、ライフハック系としてもいいですけど、
とにかく使えるなあと感じました。
別にそういうことをあえて「ラピッドプロトタイプ」といわなくても、
いいんですけどね。

4つ目は、規模の大小の問題です。
パスタはだいたい30cmくらいですか、それを数本重ねた距離なら
結構すぐにものができます。長い棒を作るならなんとか。
しかし、それをもっと長くすると、僕らのチームでは1mこえると
厳しい点でしたが、距離が長くなると当初の予定とは
全然違う話になるという講師からの話にもありましたが、
ラピッドでつくっていく、いけてしまう魅力もあるものの、
結局「でかい」ものには向かないかもしれないと。
そういうデメリット的なものも見えました。
完成物がでも目の前にあるのは、すごく魅力的なんですよね。ホント。

5つ目は、パスタとセロテープ以外で面白くできないかという
僕の課題みたいなものです。
結局、擬似テーマ、例えばMBAコースでいえば、ケースメソッドに
近いものでしょうか。そういうのではなくて、実際のものでやりたい。
もちろん、パスタとセロテープは、コンピュータで何か創るというところでは
ディスプレイ上での創作行為を、実際に別の形で転化した、シミュレートした
ことにはなるんですが、それとは別に、
実際の課題・問題でやれればもっと面白くなると思ったわけです。
実際にやっているからこそ、面白いという逆算もできますけどね。
これは、テーマにもよりますけど、ものを創るというところでは、
かなり強く使える手法だなとまたまた感じたわけです。


講師は、JamesとAndreasのお二方。
勉強になりました。あざっす!!


関連リンク:
IAMAS OPEN HOUSE 2007
公開講座プログラム
IAMAS

関連リンク2:
LEPIP合宿まとめページ

シュルレアリスム展

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シュルった。
一言でいえば、かなり面白かった。

これは朝感ネタにしてしまおう。ぐへへ。

自動記述とか、変な応用効かすと、こっくりさんとかに
なってしまうかも。
まあ、そういう楽しむ余裕ありでも、
そうではなく、全力で見るってのもアリかなと。

猟奇的というか、サディズム的な・・・とか
解説にもあったりする作品もあるんで、
そうですね、例えば、シュルレアリスムなんてものは、
現実に見えているものが全てだろう?みたいな
考えの人は絶対面白くないので、
オススメしません。

んじゃない人、例えば、星の王子様とかが
好きな人は結構いけるかもしれません。
もちろん、話の内容に共感する人が、ですよ。
例えば絵がかわいー?とかだと、
間違いなく、死ねます。

要は、目に見えない、精神レベルのもの、
オカルト的なもの。。。でもないけど、
でも、哲学要素ふんだん、形而上的・・・

まあ、気になる人は岡崎美術館へGO!

で、このシュルなネタというか、
すごく可愛い友人が、このシュルレアリスムが大好きなやつがいて、
でも、だまし絵的にみるんだろうなーってことを聴いて、
かなり安心したというか。

が、以前、まんまの本を読んでいたので、まずいと思ったが、
見方が違うから、まあそう焦る必要もないと思ったりする。


自動記述ってのに惹かれるなあ。
教えてもらおうとすると、すげー新興宗教っぽくなるから、
一人でやらないと。くくくく!

とうわけで、ダチのアンテナを利用して、自分も吸収消化して、
しかもより楽しむというこの、素晴らしきアンテナ。
反射アンテナとこれを命名する。

『地域デザインと地域再生』

たまには、こういう話もいいでしょう。
もちろん、このブログで、という意味で。
といっておきながら、まあ感じることは基本ですが。

メモった11項目から1項目について書く。
それが濃縮化されたアウトプットとなる。
と、書いておきながら他の10項目はそのうちどこかで
出てくるわけだが(笑)

最も印象深いのは時間についてだ。
この地域デザインというのは、街づくりという言葉に一番近い。
デザインとは、目論みであり、たくらみであるが、
地域をコントローラバル?な状況にするというのは、
ほぼ政策か、市レベルの話になってきて、デカイ。
もちろん、政策として提言することはしつつも、
自分らで動いていく、という素敵なものだなあと感じたり。
おっと、脱線。

で、ここでの時間といっているのは、
例えば人の成長には時間がかかるということとか、
そういうことだ。
本来の話はそうではない(言われた話はそうではない、厳密には)。

例えば、石油というのは植物など?が蓄積されて使えるようになるまでは
年月が膨大にかかるわけだ。
しかし、石油採掘というののコストは、採掘費用、人件費、輸送費くらいしか
考慮されない。

これは、森も同じ。木材も同じ。

転じて、転職時代(と僕が呼んでいる(笑))という今では、
その転職をすることで失うもの、継続できなかったものの意味は?
より継続していく(批判的にはジョブホッパーというか?)ということに
どういう意味をおいている?ということなどが頭に浮かぶ。

つまり、ここで「会社勤め3年」の神話に言及したいわけだが、
そこは人とのコミュニケーションもあり、組織へのコミットメント
(僕はここでやるんだぞ、とか)、衣食住環境の適応、
田舎ならばとくにムラ社会へのコミット(これは正直嫌っすね。といって、東京に代表されるホームタウンが東京というのもアレで。別に東京生まれ、育ちの人が悪いわけじゃなく。嫌なところ一杯あるんでしょうよ。どちらも(笑))、自分の力(仕事で出来ることから色々ね)、さらには、
自分の仕事というのもあって・・・。

むう、でかい。でかすぎるが、3年くらいはいるというか。
友人に10年くらいいるよ、という人がいたが、やつならやりそうだ。
それくらいの覚悟みたいなのは正直欲しい。

この覚悟は、10年やるなら10年でモノを見れるし、そう見えていけるというか。
なんというのだろう。ここから逃げることがいつでもできるというような、
それはちょっとダメだと思うのだけど、
そりゃ失敗してリセットは可能だが、人生リセットとか、
積み上げたもののリセット的なことが「いつでも」出来ると思ったら、
多分大間違いで、色々やりたいことがある中で、
ある程度選択していくことが重要となる。

ああ、やっぱあと1つだけ。
稼業と仕事という表現をこれからどんどん使っていく。
稼業はサラリーマンであり、というところで、
仕事は、そのサラリーマンも含めて、自分のやっていることを入れていく。

多くの人がどんづまるとか、つまらなくなるのは、
仕事=稼業と割り切っているから、他の仕事があるなんて
考えにくいのではないかなと感じてきた。

例えば、陪審員制度は、多分仕事なんだと思われます。
でも稼業じゃないと。そういうのって、腐るほどあるし、
多くあるんじゃないかと。

人が一生に出来ることは少ないかもしれない。
でも、それで自分の人生をすげー楽しかったと、
そう送れれば、あまり量は関係ないような気がしてくる。

地域デザインとは、おそらく関係ないことだが、
でも、残念ながら社会に生きることを考えたとき、
哲学的なことも含め、それこそ、社会のマナーから、
インターネット、そして、毎日の生活まで、
全部を含めて考える、いや考えざるを得ない気がする。

それくらいでかいから、いくらでもアプローチができる。

やっぱ面白いぜ。ぐひひ。

他者のまなざし

という、展示会へ。
場所は名古屋ドーム前矢田駅そばの市民ギャラリー矢田。

この他者のまなざしというテーマがまず面白い。
5人かな、アーティストがそれぞれの作品をおいている。

個人的には映像があった、水野さんと水谷さんのものが良かった。

自分という存在は、他者を意識しないと確立しえない。
もし集団と同化したいなら別だが、自分の考えとは、自分の存在って
何かって気になるなら、まず他者を意識せざるをえないし、
自分も同時に意識せざるをえないだろう。


というわけで、おすすめの展示会。
詳細はこちら。
http://tasha.nobody.jp/
今月末で終わっちゃうのでお早めに。

あと、帰りに他者を意識してこんなものを撮ってみた。

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箱は、チョコレートお菓子の箱。
無残に捨てられたこの箱は、なんと僕の歩いている人の手からはなたれた。

さて、ゴミを捨てるという行為に敏感ではないが、
なんでココに捨てることができるかを想像するに、
ここは自分の家ではないから、自分の部屋ではないから、
関係ないから、「誰も見てないから」・・・。

おお、誰も見てない?
いや、僕は見ていた。

他者を意識すると、ゴミをポイ捨てしなくなるわけではないだろう。
ただ、自分の行為を客観視するとか、見つめなおすということは、
必ずあるタイミングで(自分を否定された時とか、大失敗したときとか、
それこそ不幸なことにあったりとか、逆にうまくいくというところでも起こりうるので、どんなときかわからないけど)起こると思っている。

彼は、何を考え、これを捨てたのだろうか。

バタフライ効果のように、
1つのゴミが世界を滅ぼすこともある。
と、過激なことをいいだすとダメだが(笑)

自分の社会に他者がいなければ、
何も存在しえない、いや自分が存在しえないことを知っている人は、
人にやさしくなってしまう。そうせざるをえないからだ。

「すいません、オトシマシタヨ」と、
親切な声をかけられなかった僕はやさしい人ではないらしい。

チェックポイント黒点島

見てきました。
観衆の年齢層が高め。確かに、学生に4000円オーバーはきつい。
よって、観劇が好きな社会人で若い人は少なめ。いるけど、少なめ。
40代?60代が多かったかな。

それはいいとして、内容。これまだ全国でツアー公演だから、
続くのでネタバレっぽくなりますが、まあいいっか。

話としては、黒点島ってのがあるって話で、
それと対比させて、竹島とか対馬っていういわゆる島の領土問題について、
スポットライトを浴びさせる狙いがあったかどうか知らないけど、
そういう劇だと思う。
前みたスタッフ・ハプンズもそうだけど、やや風刺っぽいけど、
喜劇でもないし、といってカタクもないから、
あと役者がやはり場数踏んでいる、熟練した人々で構成されているはずなので、
見てて安心できるなーってのはいつも感じたりする。
それは安定ではなく、やはり挑戦し続けているから、面白いものが生まれるはずで、若い役者って経験もそうだけど、続けてきたものってのが、
単純に少ない(時間的、量的の話で、質的な問題はここでは関係ない)だけってことを思う。

まあ、それはいいとして、やっぱ領土問題は熱いなっというのが、
正直な感想で、やっぱ気になることは調べたいし、
もらったパンフにも用語解説あるし、フォローなんだろうなあって
思いつつ眺めるわけですわ。

竹島は話題になりましたが、対馬ってやはり僕の中では全く知らなくて、
ああ、九州の上らへんにある島ってイメージでしかなくて。
そういう知らないものを知るってのは、あるときは知らなくても良かったこともありますけど、大抵そうではなく、知っておいてよかったなあって
そういうことが多いですね。

というわけで、やっぱ良かったなあって感じです。
主演の竹下さんは、生で見るのは初めてですが、
やっぱ女優とか、役者の人って、見られているってことがあるせいか、
若くみえますよね。まあ、どうでもいいですが。

環境デー

某ボラサークルの前を通った通行人として参加(笑)

ま、それはともかく、なかなか楽しかったです。
とりあえず、僕はうるせーガキ(笑)より、
おとなしいけど面白いガキが好きです。
いや、子どもさんですね。ええ。いかんいかん。

ダチからの話で、
冗談が分からないとか通じないのはおかしいぞと。
とどのつまり、切り返しまでいけないのだから、
それは違うと言われた。とりあえず謝る。さすがRM。

今日、初で、裏RMの存在を知る。
そこまで、RM、ところで、RMってのはReadMasterのことですが、
裏RMには会えず。表がいるときに裏はいない。
そういうカラクリがあるようです(ホントかい


初対面の高校生に、面白い方ですね、と褒められた。
普通に嬉しかったが、ちょっと喜ぶのもLikeKidなので、
「まあね」と、軽く受ける。さすがRM。

ってか、今日は楽しかったな。

帰りに、飲んでた店で、お客さんが暴走して、
吐いたのは、意外だったが、まあよくあることさ。

少年ライブラリィ8月号

観劇してきました。

面白かったですね。
印象に残ったのは、音楽と演劇の組み合わせですかな。

でも、これって漫才の顔芸を大分前に、NHKの爆笑オンエア・・・
でやってたのをみてて、それを思い出した。
新しい技術ではない。が、それを使いこなすのがプロなりなり。


で、ここで教訓めいたブログなら、
「あなたは道具を使いこなしてますか?うふ」
ってなるし、そういえば、魔法の質問って、まだやってるのかしらん。

個人をあったかく迎える言葉が氾濫していて、
何も言葉の重さがないというのが僕の感覚。
別にコーチングとか、カウセリングを否定したいわけじゃなくて、
結局そこらへんを信仰宗教だの洗脳だと、同じ属性のものと、
しないのが嫌というか。

同じものといいたいのは、それは人の心について言ってるだけで、
その観点が「やや」違うだけで、似たようなものという、
多分、怒ってきそうな人はいそうですが軽くスルー。

ちょっと違うだけで、全く違うってのはありますからね。
例えば趣味が同じでも話が合わない人っていますが、
その説明ができないのと同じかしら。

当然、このブログは教訓ブログではないので、
かといって、毒を吐き散らすようなものでもないので、
つまりこうなります。

少年ライブラリィは多分見た方がいいと思う。

お疲れ様でした。

ハニーポッドサイドカー

観てきました。

いいっすね。
二本立てで、30分x2の約1時間なり。

「かっぱらった」は、かっぱがなぜか出てきたところで、
僕の頭は想像の世界に連れていかれたわけですが、
紙のシュレッダーが何を表しているとか、さっぱりですね。
あれ、なんだったんだろう。
かっぱらったっていうと、何かお金を強盗で奪って・・・
だから、あのシュレッダーの山は金の山!
そうして、金の山で、「(旅を)致しましょう」という話。
だと勝手に想像。間違っててもいいわ(笑)

旅をするわけですが、そこは想像。
つまり、旅の想像を想像するということになります。(うん?
えっと、劇を見る人は劇を見て想像するわけです。
でも、劇自体も想像しているので、さらに想像すると。
想像のズームイン・ズームアウトといってもいいでしょう(最近見た本から無理に引っ張ってくるあたりがRM流)

コメディというわけでもないと思いますが、笑える面白さがあって、
それはもう観客が世界に引き込まれたってことなんでしょう。
例えば、漫才でワライの波にのれば、グラスが倒れただけで
笑ってしまうというようなものとかね。

「怪獣」(正式にはもっと長いんですが、省略)は、
夫の不倫相手とその妻が、怪獣になってしまった夫をどうするか・・・で、
怪獣に立ち向かう話です。これは面白いっすねえ。
やっぱアレですな。
例えば、あるストーリーを設定して、その世界観を出すってところは、
ある程度は出来るんでしょうが、そこに台詞を配置していくと。
で、さらに役者が演じるところで、世界を深めていくと。
そういうのはやっぱ力いるんだろうなと思ってしまうま。

話としては、両話とも、バカらしいね、で片付けることもできますし、
面白かったといって終わらすこともできます。

で、僕は、面白かった、次みたいなあって感じですね。

にしても、ハニーポッドサイドカーって何でしょうねえ。

追記:
公式ブログチケットにのってました。おっと。
http://blog.goo.ne.jp/hpsidecar

ココカラワークショプ

そういうのがあるってことで。細かい説明はなしで。

色々気づきがあったんですが、それ大分消化しちゃったので、
細かくは書きません。

とりあえず、時系列的?にまとめてしまうと。

楽しいこと・好きなことでお金を得るには、それをひたすらお金にできると
信じてやりこめばいいんだろうなということ(そういう教えを説くセミナーでは
決してございませんので(笑))

例えばカタリベカフェってところで、僕は何をしていたのかと。
別に何もしてないわけではないんですけどね。なんていうんでしょう、
好きだ、楽しいとかいってるわりに、「おいおい、それで本気かね?」という
突っ込みは常にあるわけですわ。そこらへんとの関わり合いが足りないなと。

一応、がんばらない主義と社会主義をモットーとしてるんですけど(嘘)、
「もっとがんばれ」っていう人は嫌いですね。それが単なる励ましだと
もっと言葉が宙に浮いてしまってるので、さらに嫌ですね。
だから僕は黙るわけですけどね。うはは!

岩盤浴はどうなんでしょうね。個人的にはマッサージとかは、
やるとはまりそうなんで、やる気はないですね。最近は首が痛いですけどね。


ビジネスと趣味の境界線。
多分、公私充実っていう言葉で、仕事とプライベートって意味になると思いますが、
なぜオオヤケが仕事で、プライベートが趣味なのかと。それはおかしいなと。
実際に間違ってるのですけど、そういう意識はあります。
変な話、囲碁をさして食べれればそれで生きていいわけです。
今、時代は変わってますけど、まだまだアウトサイダー的な印象はありますね。
でも、囲碁さして食おうが、会社勤めて食おうがどっちでもいいわけです。
あとは世間体とか、周りからどう思われるか、現実的に収入の問題とか、
金銭が不足してしまうのではヤダからとか、そういうのくらいですね。

そういうところで、仕事ってやっぱお金もらえれば仕事なんでしょうね。単純にいって。
趣味でもお金もらえるものはあるかもしれませんけどね。

時間の使い方も同じようなことがいえますかね。
プライベートと仕事のってところですね。
仕事だけに生きる人ってあんまり疑問視されませんけど、
僕は、仕事ってその人にとってどうなのかってところのみ常に疑ってます。
会社人間的で、会社べったりな人には、まったくダメですね。それは仕事に生きるというか、
単なる会社依存人間なので、ダメですね。少なくとも僕の参考にはならないです。だから
どーしたってのはありますけどね。

自分がやりたいことで勝負していくってのが堅苦しいってのはあるんでしょう。
でも、趣味って言葉を、村上龍なんかは、老人の行為だとぶったぎってますから(笑)、
まあ響きは良くないですね。オモムキゴトとかいうと、いいですけど、
所詮ごまかしであって。仕事はこうやってこうでといいたいし、趣味はこうでこうだと。
その境がないのがいいですね。その境をなくそうとはしてますけどね。まだまだなり。


差別化の話。
差別化ってのは、結局、A,Bといたら、Aと区別して、価値を上げるわけです。
実際に、需要と供給の話を単純にあてはめれば、少ないものは価値があるわけですが、
差別化したところで「めちゃくちゃでかい170cmくらいのお菓子」とかそんなケース入りの
お菓子って誰が買うんでしょう。そもそも運搬に無理があるし。
で、そこで携帯できるようにするだとか、そういうアイディアはいいんですが、
差別化して満足してしまえば、差別化の意味はなく。
自分で自分の落とし穴を掘るという行為ですな。


家を3回建てる話。
建て直しというところで、3回目にしっくりと満足がいくものができるそーな。
なんでかっていうと、1回目立てるときはやはり想像力とかないわけで、
建ててみて分かるところはあるわけですよ、きっとね。
会社も同様か。1年目で何やるんだーといって、さまよい、2年目でなんとなく
わかって、3年目で分かってくると。
だから一般的に石の上にも3年は分かるんですよね。
でも、逆にいったら、こういうイメージだというのがあれば、「3」って数字からは
自由にはなれるんだろうと。そういう証明はしてみたいっすね。
勝手に僕のテーマですけど、そういうこと考えた人もいるはず。

モノを売るときは、その郵送費なり、流通費を加味してみるべし。
これは、結局ですね、ある商品Aを100円でうってもですね、
原価50円でも、運搬してこなきゃ物はないわけですよ。そのコストってところは、
「消費者」だと分からないですよね。
単純にモノ作って売ればいいっていうのは、物を売れる場にもってくなり、
買う人のもとに届けるなりってところで、物体AがB地点に移動するにはCのコストがかかると。
これは現実で、スターとれっくみたいな物質間移動がなきゃ、改善できませんよね。
人の移動もそうだし。だから移動ってところに目をつけている、
トラックとか、輸送とか、引越しだとか、そういうビジネスはまあ利益の良し悪しはあれど、
なくならないでしょうねえ。人が減れば絶対的な市場のパイは減るんでしょうけど。
なんとなく、うっすらと意識しときたいところですな。

プランナー、コーディネーター、コンシェルジェ・・・。ソムリエもか。
ある人に対してベスト、もしくはベターな提案を、自分の知識・経験なりを
フルに活用して、してしまう人々ってところですか。
一緒くたにするのはよくないですけど、多分そうなんでしょうね。
結局これらができるってことは、視野が狭くちゃアウトですね。
どうでしょう。ある言葉でどれくらいイメージできるか。その関連付けという作業は、
簡単にはできないはず。野菜のソムリエって聞いて、ワインのソムリエを
イメージするのは「誰でも」できそうですけど、図書館司書を思い出すことは、
それに興味があって、関連付けて、本のレファレンスとソムリエの選びは
共通するものがある!と、間違っていても言ってしまえる人間が好きですな。

収納スペースを増やしても、結局部屋は片付かないという話。
ですので、収納スペースが2畳増えると、2畳またモノを増やして詰め込むってことです。
飛躍すれば、人は永遠に不幸だとか、そういうことも言ってしまっていいですね。
でも、逆に永遠に幸せだともいえるんですね。あんまり意味がない言葉ですけどね(笑)
その視点は大事かなと。こうすりゃ良くなるってのは単純じゃないときもあるわけですな。

生き方・働き方ってところで、切り口(得意分野)が違うだけで、最終的なゴールに向かう
根底にあるものは同じなのかなと。だから、その人が好きなんでしょうね。
そこらへんはすごく感じました。気分が悪くないという程度で、居心地が悪くないというのは
非常に好きなところです。あいまいが大好きですね。といってる割に、
言葉の定義も好きですが。といえ、法律家にはなれんぞ(笑)


信念=思い込みというもので世界は成り立つ。それは自分の世界というものが。
ということは逆にいえば、猿は穴を掘って生きるといえば、それを信じてしまえば、
本当に猿は穴を掘ってしまうかもしれない。このパワーは恐ろしいけど、
使い方を間違えなければ「良い」方向に行く。絶対報復といって、誰か人を殺すというのは、
可能でしょうね。そういうのは間違ってますが、悪い例として。
それで、自分が価値があるぜと思ったものはトコトン、それこそもうダメだくらいまで
やるべきでしょうね。と、自分に言い聞かせたいんですが。
それで、自分のもてうるもの全てをぶちこんで、それで勝負。
あとはもう見る人次第っすね。だから、あとは知らない。お金を取るのも自由領域ってところですな。


知縁。
知的好奇心でつながるネットワークのこと。地縁とかけている。
言葉もうまいけど、そういうつながりはいいなあと。刺激的で面白いっす。
決してふざけて生きるって意味じゃないっすよ>面白いとか刺激的ってのは。言うまでもなきか。

カタリベカフェ第二回目

終わりました。

よく分からんのですが、皆さん(参加者の人のことですけど)
わざわざ来て、話してくださるなと(笑)

ぶっちゃけていえば、何もしてないんですがね。
まあ、僕も本について話せる場があれば、多分参加してるから、
単に自分がやろうといってやったか、そういうものがあるから
参加したかの違いってだけでしょうね。多分。


なんでしょうね。
ふっと思うわけです。
なんかいいなーと。まあ、自己満足というわけじゃなくて、
「いいなあ」ですよ。「いいなー」でもいいですけど「いいのう」のほうが
分かりやすいかも。

話吹っ飛びますけど、
滅茶苦茶可能性があります。これは自慢のように聞こえるかもしれませんが、
まあそう聞こえてもスルーなんですが、考えた結果であり、まあ力です。
そこは譲れません(おぉ
別に可能性があるのは、力だといっても、可能性なんぞは、
目に見えなくて、こういうことやりゃ、面白いって程度の話ですね。

逆にそういう可能性がすごくあるってのは、
下手にやると、萎縮して力を出し切れんってこともあるわけです。
W杯で、イングランドのレノンって選手の動きはかなり面白かったですけど、
彼なんぞは10代なわけでして。
そりゃプロスポーツで10代なんぞゴロゴロおるやもしれませんが、
W杯というステージってのは、また他のスポーツともサッカーの試合とも
色々違う重みがあるわけで。

国家とか言葉は嫌いですけど、応援するのってはほほえましいっすね。
まあどっか負けろっていうのも同様に面白いですけどね(笑)

そんな重みと、比べちゃ変かもしれませんが、まあ変じゃないんですが、
萎縮しちゃうようではいかんと。
だから自分の土俵で勝負はしたいし、すべきだと思ってます。
最も、他人の土俵をみないとか、他のところに足を踏み入れないっていう、
視野が狭い話じゃないっすよ。残念!


率直なところで、1回目はまあ1回目だしってところで、
運がよかったなーと思ってます。2回目はどうでしょう。
告知はとくにせず、そのまま放置プレーで、1回目の参加者の人が
大分参加されて、後は新しく来た方も。

1人の人間に、10人の人間が隠れている説によれば、
まあ、100人単位のニーズはあるなーと勝手に推測。
皆が望むものを作るよりも、俺はこういうものがあったほうがいいぜと。
だからこれどうだ?というほうが、やりやすいですね。
別に人の話を受け入れるのが嫌ーなわけじゃなくてね。

最近考え付いた、「3」回目説によれば、
3回目で大分なれることかなと思います。
という意味では、今の気持ちとしては、何かしかけていくのではなく、
慣れたいというのがあるんですな。

イメージとしては、
「ああ、カタリベカフェって場があるね」
って脳にインプットされるところまで。
それは参加者の・・・っていうのよりも、自分の脳にですね。
そうしてイメージを焼き付けておけば、核がぶれることはありませんからね。


で、まあ、2回目にして、調子乗りすぎだろうということもあるので、
参加者の意見とか、ストレートやボディブロー(笑)なものとか、
なんだろう、すごく勉強になりますね。

すでに楽しい方、面白い方とか、色々な色が出てきました。
それはカタリベカフェって場の参加者が固定して、常連で・・・というのではなくて、やっぱ社会人としてとか、本好きとしてとか、
一人の人間としてですかね、真っ当であるとか、生きているとかね、
そういう哲学的なものも、すごく感じています。

人に恵まれる人生は楽しいとは簡単に想像できますでしょうか。
自分の人生はどうだろうと考えたときに、
すげー楽しいじゃないかと、自分のキャパの中で考えるわけです。

本好きのイメージ、そしてカタリベカフェのイメージもぶっ壊しながら、
全てを壊して自分も壊れる感覚でいきたいっすね。

それだ。やっぱそうでなくちゃならん。
って意味で、縮こまらないようにいきますかね。うはは!

カタリベカフェ第一回目

ぐはは。

とりあえず、お疲れ自分。

まあ、予想外に参加者が多くて嬉しいのですが、
その分、こうテンパり具合が増した気もしました。
まあ、それは最初なのでそんなもんでしょう(ほう

一回目としてはまあ、ダメ出しはとりあえずしたので、
おっけーちゃんでしょう。
次に活かすってところを考えねば。
ということで、盛会な気がします。

さあどうやって展開していくかですねえ。
まあ徐々に。進んでみましょうか。


演劇を。

メガチカのドラマリーディング最終。
気付いたら6回終わってましたねえ。

刈馬さんのコメントで、経済的に厳しいってあったんですけど、
そうだろうなーと思いましたね。

僕なんて2000円券買ったので、一回あたり300円ちょっとで見ちゃったことになります。
安すぎですな。

おそらく試験的な意味合いからってことで安くしたんでしょうけど、
まあ、観客としては全体を見たら非常に面白かったので、ありがとうという感じです(笑)


一時期このブログで「表現者!」なんて、大分かましてましたけど、
やっぱり表現だなーと思っちゃいますね。結局のところですけど。そこに行き付いちゃう。

昨日の飲み会の話じゃないですけどね、考えるってところに結局行き着くように、
そこになっちゃいますね。

役者はやっぱ表現してるし、さらに劇作家も音響も舞台衣装も、全部そうだし。

映画もそうですしね。舞台と映画は違うというか、別物と一応考えてますけどね。
音楽のCDとライブみたいな関係でしょうかね。別にどちらが悪いっていうよりも、
まず五感をフルで使える観劇か、ライブかが楽しいですよね、やっぱり。
といって、CDや映画は悪いともいえませんしね。
媒体の話ですね。まあいいや(おぃ

絵描き、芸術家という人も、表現者ですねえ。
写真もそうですね。アラスカでの写真を一杯とりまくった星野道夫氏という人もいますけど、
あの人なんてまさに写真で表現していたんだなあと。

で、問題は、「アーティスト」だから表現しているかというと、多分違っていて、
「表現したい」から「アーティスト」と総称されるだけなんだろうなあと。

それで飯が食えるかどうかはそれこそ、未知ですけど、
やってみんとわからんねーというのはどこの話でもあるわけですな。
それこそ、一般企業で自分が通用するかなんて分からんもんですしね。
仕事は表現なんですけど、これは結構説明が必要なところかなあと。
同期に説明したら、多分3%くらいしか理解されなかった感じ(笑)

例えば自分がこういう仕事をしていて、こういう人々に役立っていますよと、
嘘じゃダメですけど、イメージでもいいから、大体の感覚があれば、
それってやっぱ仕事を通じて表現して、結果的に表現者になっていると僕は考えるわけです。
仕事は報酬と結びつくが、芸術的なものはそうじゃないというのは、
もう大分言い尽くされた議論かなーとは思いますが、
やはりここでも、かなりごちゃごちゃしてて、あらゆる要素が一緒になってるだけだなと。

働くと仕事をするは、多分違っていて、
働いていもお金がもらえないのは、仕事じゃない可能性がありますが、
仕事をしてお金がもらえないのは、仕事じゃないという、滅茶苦茶分からない説明をしてみました。

とりあえず、働くとか仕事って言葉はどこかにおいておいて。

自分がこうしたい、こういう気持ちを表したい、これはこういうものなんだよって、
そういうことを表す(現す)のって楽しくないですか。って、ところから
始まると思うんです。
で、楽しくにゃーという人は結構少ないと勝手に思ってますけど、
楽しくない人もいるんでしょうかね。いやいや面白いよーとは思いますけどね。

それって才能とか力とか、科学的な証明とか、どうでもよくて、
その人のレベルで成長するなり、変化するなり、表現するってのが、
カッコイイなあと。というか、そうじゃないと「等身大」の自分、つまり、
自分を表現することは絶対できないなと思うからなんですけどね。

偽った自分を出しても意味がないというか。
才能がないなら、ないなりにやる。あるなら、あるなりにやる。
これって言葉としては嫌なんですけど、でもそれでやるしかないってのは
現実の話なんでOKとしておきますか。

で、表現して少しずつ変えていけばいいし、ダメなら止めればいいし。

ラジオなんかで、歌手とか作詞した人が、音楽を作るときは、
よくメロディーが上からふってくるとか、湧いてくるとかいいますけど、
あれは絶対に「表現したいんだ」という思いがあるからで、
そういう意識がなきゃ絶対湧いてこないですよね。

それは僕でいえば、ブログのネタを探しているというか、
ネタというと軽い響きがありますけど、話題ですね。
自分の切り口は完全なオリジナルなんて口が裂けてもいいませんし、
そんなことはほとんどなくて、感じたこと考えたことが元なので、
そいつをいかに表現するかって形ですね。

だから、表現したいんだって意識はやっぱりあって、
こいつを書いていったら、絶対面白いブログになるんだろうという
妙な自信はあって、今こんなこと書いてるわけですな。

視点ってのは、上っ面舐めただけじゃ絶対出てこないですからねえ。
考え方っていってもいいですしね。

おっと、それでメガチカですが、
今後も楽しませて頂きます。いやあ、ありがとうございます。
なんか、やっぱりいろいろなことに挑戦している人をみると元気でますね。普通に。

まよなかのじかん 公開録音へ

ラジオを聴いてて、あら、今日じゃないかと気付き、調べる。
ふむ、栄にヴィレヴァンなんてあったのね。全く知らず。

店内を物色してたら、岡本太郎の本とか、奥山・・ひでお?の本とか、
妙に気になって欲しかったな。またヴィレバンいって買うかな。

で、ご存知のよーに、ヴィレヴァンでやるのはいいけど、
滅茶苦茶狭いからどこでやるのかなーと思ったら、
2Fがあって、そこの1Fから2Fへあがる階段の全く広いとはいえないスペースで(いや、ホントですしねえ)で、
田野崎さんと神田さんが公開録音を開始。

意外に短く、個人的にはもっと長くてもいいなーと。
録音だから大分編集すると思い気やそうでもないんですかね。

田野崎さんは歌を2曲、その間に神田さんがホントに絵を描いてた。すげー。
絵は完成はしてないけれど、イメージを絵にしているってのを間近にして、
ふむ・・・これが歌と音楽のコラボレーション、もしくはポエトリーリーディングかと、
妙に納得しちゃいました。

「自分」って歌を生で聴いて、いいなーと思ったので、自分が入ったアルバム「結び音」をゲット。

公開トークの中で、田野崎さん自身が、地元から東京にきて、
やっていけるかどうかみたいな不安があった話をしていて(確か・・・)、
そこから、神田さんの話で、人とどこで出会えるか分からないし、
歌を歌っていて、そして絵を描いていたから、二人が出会った。
それって確かにすごいことだと、再認識。

結局、今の時代生きてくには、そういう人と出会うことを純粋に楽しめないと、
ダメというか、それが楽しいもんだと思いますね。

田野崎さんは、歌、もしくは音楽、または詩で、表現し、
神田さんは、手描きで表現する。
それこそアーティストだと。自分の道具を磨いてそこで勝負する。
勝負ってのは決して他人と競うというよりも(それも大事ですけどね)、自分と、
もっといえば、自分の表現できるものとの葛藤みたいなものですかね。
あと、それが聴く・見る人に伝わるかっていう勝負ですかね。

JAZZピアニストの上原ひろみさんでしたか、彼女の言葉をちらっとここにも書きましたけど、
自分の表現をつまり、音楽になりますが、それを聴いてくれるワンチャンスは欲しいって
言ってて。
それは、面白い考えで、僕のそれがいいなあと思ったものです。

別に好き嫌いの話でもなくて、それがいいかなーて思うかどうかですけど、
そのためには一度足を運んで聴いたりするチャンスをくれってことでしょうね。多分。

僕は文章でえんやこらとやっていきたいものです。
文章のパワーというのは、やはり結構なもので、恐ろしいパワーがあるからこそ、
きっちり表現していきたいところです。
そのために、ふんばっていかなきゃいけない時期かなと妙に思いつつあります。

とりあえず、計画通り、自分はここのブロガーであると(笑)
書き込みしてくれた神田さんに渡してみました。
どこでどうつながるか分からんものですな。

僕はラジオ聴いてかけつけるタイプじゃあないっすよと、思ってたりしましたけど、
妙にかけつけたくなって行ったって感じですね。
そういう衝動は結果的に、すごく良かったなあと。

お二人はとても素敵な方でしたし、生で歌も絵も見れましたし、
ああ、ラジオの声と顔が一致するってのはかなり重要です(笑)
サインもありがとうございます。大切に保管しておきます。

ヴィレヴァンの皆様、FMAのスタッフの皆様、そして田野崎さんと神田さん、
お疲れさまでした。

機会があればまた参加させて頂きます。

っと、やはり組み合わせ(ここではコラボレーションを指しますが)は
楽しいなあと。どんどん組み合わせたりしていくのは、
発想法かなんかでもあったような気がしますけど、
やはり発想とかじゃなくて、それが目に見えるもので創造物として出てくるのは
非常に刺激的ですねえ。

listening to 「自分」(田野崎 文)

まよなかのじかん ブログはこちらへ。

マッチ売りの少女

観て来ました。
危うく5分前入りってところで。飯はやっぱ起きてすぐ食うものですかね。
腹へっては上演中に腹が鳴るかなと思ったので(笑)

マッチ売りの少女。
もう内容ほとんど忘れてて、あれ原作ってどういう話だっけという興味が。
調べんといかんですな。
http://www.hyuki.com/trans/match.html

あ、やっぱ別役実って人の劇作品なのね。
原作は、そのまま死ぬだけですが、今回のメガチカは別役さん「マッチ売りの少女」を
演じていたので、なるほど・・・。
そのアレンジが面白いってことになりますね。結果的に(笑)

で、劇は良かったです。やっぱえーのう。
でも今のところワーニャ伯父さんがトップ・・・。次にマッチになるのかな。
とまだドラマ6回終わってないのに勝手に評価し始めるなりなり。

にしても毎度くどいですが、これ500円か・・・やすー。


人間国宝展

行ってきました。

うーんと、一番面白いと思えたのは「茶器」(笑)
戦国武将なら必須のアイテム。いや武人じゃなく、文人がか・・・。よーわからんけど。

金工という、金属を加工したものと思われる作品は、
こう説明があった。印象的だったんで。
加工の仕方は3つあり、鋳工、鍛工、彫工とある。
鋳工は、型に溶かした金属をいれて固める。料理のアレですね。分かりやすい。
鍛工は、金属を伸展性を活かし、金属を延ばしてつくる。すげー。
彫工は、金属自体に彫っていく。

で、なんで印象的だったか。
そもそも、金工というジャンルも言葉的に新鮮でしたが、
それに3つもやり方があるというのが驚きマンモスだったということです。
普通というか、僕は知らなかったのですが、金属に彫るくらいしか
イメージできてなかったわけですわ。
でも、それは3つの主なものの1つでしかなかった。

単にこれを「金工」の話で、ある芸術展の話といえば、終わりですわ。
まあ、そういう世界観で生きるのもありなんですが、
世の中ってそんなに狭くないし、いかようにもなるわけで。
そりゃ油と水みたいにうまくマッチしないこともありますけど。
でも、やってみないとマッチするかどうかも分からんわけですよ。

その動ける領域ってのは絶対広い方がいいなーって思ってます。
わきゃい頃に、そういう目はつぶさない方が絶対いい。
後から多分5年とか10年レベルの感覚で、「あー毛嫌いしておかなくてよかった」と。

なんかそんなこと思うんですよ。
自分なりに楽しむっていうスタイルでやるのみ。

Driving in a Nail

アンサンブル・ゾネという団体のダンス公演。

ダンス?って何という僕は新境地に開拓しにいったようなものです。
いや、しにいきました。パイオニア精神は常にあります。
単に怖いもの見たさでやってるだけだったりします。自分はどの程度の人間か、
「ぼろぼろ」に言われても「自己」さえあればやっていけると思ってます。
なんか妙な方向に行きつつありますので、流れを変えませふ。

ダンス自体は、演劇から入っていけば、ミュージカルとかそういうのが
近いと思うんですが、ミュージカルではない。ダンス公演ですからね。

で、不覚にも途中うとうとしましたが、本当に身体の動きを舞台でやってるんですよ。
マジで焦りました。やべー、そんなことできんの?と。
これまた吉原治良展で思った「その表現もあり」だなーと思ったわけです。
別に「なし」と思ってたわけじゃなくて、「そういうのもあるってこと」を知らなかったんですわ。
そういう意味で視野の開拓ができたんです。すげー、これは1年に1回あればすげーよという
僕の中ではそういうレベルの話です。

といってるほど、内容は分からなくて。不覚ですが。
釘を打つというのが実際に釘を打つのではないんでしょうか、それとも
そういうテーマで表現したというのでしょうか。分からんことだらけ。

実際にはダンスはグループ単位で動くものもありましたが、個人で動いて
表現しているのは、ほとんど分からず。あれは何を意味しているのか・・・。
ああーくそ、分からん。

で、分からんは分からんでいいと思うのですよ。自己を可愛がるので。
でも、分からんなりに考えて、あとこういう風に感じたって人もいるんでしょう。
それが知りたいですな。

まあ、ダンス結構面白いかもしれません。
なんでかっていうと、もしその身体表現で伝わるもの、伝えられるものがあれば、
それをまた僕の表現スキルにぶちこむことができるからです。
やべーなーとか勝手に思いつつ、まっとれダンスよ。制覇してやるぞと思ってるわけです。

これで「表現」する手段で、
「絵」「音楽」「文章」に加え、「ダンス」が入ります。
これ10個くらい並べたいですよね、「絵」でもこういうのがある、
「音楽」でもこういうのがある、「文章」でもこういうのがある、
そして「ダンス」でもこういうのがあるってね。

音楽といえば、JAZZ聴きたい。あれは面白そう。
やべーやべー(あほ

吉原治良展

潜水夫?かな、の絵が印象的ですね。
あれ最初何の絵か分からんかった。さすが己(笑)

で、インスピレーションに来たからいっただけあって、
得るものが多かったです。

前衛的な考えというものが、雑誌「前衛」とかとは別だと思いますが、
どういうものか分からんですが、やっぱ表現するってのはいいですね。

「円」で有名だそうですが、僕は全く知らず。
デカイキャンバスに、丸をかいて、それが作品なんですよ?
理屈じゃないでしょう。もう。理屈じゃないのに、感覚なのに、
それを言葉で説明せねばならない。という矛盾。
だから、あらゆる表現物の「解説」は、つまらんのですよ。
だって、その解説はその人の真実でしかないから。

もちろん解説がないと全く分からんのもあるので、僕はあったほうがいいと思いますし、
そもそも解説を読む側の問題であるので、解説の存在はどうでもいいわけです。
問題なのは「解説」読んで、「そういう風に感じ」なきゃいけないと思うことです。
それはつまらんですね。「解説」ってそもそも、広げるためにあるだけで、
狭めるためにあるわきゃーないんすよ、このやろー(おぉ


薪とか大八車とか書いた絵があるんですが、それが気になって
今週は寝れません(ほう
絵が二つ並べてあって、左が「現実的」で、右は「観念的」というのです。
存在感の話で、ああ解説というか説明が添えてあるんですけど、
左は「存在感がある」けど、右は「何かポツンと浮いたような」存在だというのです。

絵の前で5?10分くらい見てみましたが、ダメでした。
分からん。このやろー(笑)

そういわれればそうだけど。
説明のポイントとして「空間」の使い方にあると書かれています。
つまり、僕の1ミクロンしかない頭で考えるとこうなります。
「空間、つまり空白領域をあまり取っていない左の絵は、現実的に感じるが、
空間を多くとっている右の絵は現実感がない」

となるのですが、おーそんなこといえるんだーと妙に変な納得はしてしまいました。
それが分からんのは芸術的センスがないのかとか、そういう問題なのかという問いで、
もっといえば、「これが分からん」のはどういうことだと、
分からんわからんーと頭の内部は結構な温度で熱くなってきて、
「うーん」とうなりながら、鑑賞する人を演じてたわけです(そうなのかよ。

もしその絵が「あーあれね」とわかって、かつ、「感じたこと」があれば
コメントあれば嬉しいですね。うむうむ。

他には抽象画という、線とか図形っぽいものの絵が結構ありました。
作品とか、作品Aとかそういう作品はやばいっす。全く分からん。
何を表現したいかという次元を通りこして、これで「表現」できるのかと、
というか「これ分かる人マジでいるの?」というのはすごく愚かな問いで、
そもそも「分かるやつは来い」みたいなオーラが出てきて、
「くそ、まけるもんか」とは思うんですが「ダメだ。わからねー」と白旗を揚げた自分がいます。無念。不覚。

見ていてあることを思いつきました。
表現するということにといて、手段は「絵」「音楽」「文章」・・・・など腐るほどあります。
だから、表現したい人は自分がやりたいもの、面白そうなもの、楽しめるもので
やりゃーえーんですわ。これはいいとして、次に必要なのが、
「独自の視点」かなーと。これは結果的に差別化なんですが、
「絵」でも「抽象画」「具体画」で違いますし、絵を描く道具でも違いますし、
描き方というのもあった気が、手法もありますしね、あー分からんけど、一杯ある!ので、
さらにそういうのに「独自の視点という考え」をぶちこむわけです。

そうなると、絶対同じものは存在しないといえそうです。すげー。

だから、そいつを僕は文章にしてみたいなーと。
大きな手段として「文章」ですが、でもその手法レベルのところで、
「会話のように書く」とか、「日記風に書く」とか、色々あるじゃないですかね。
改行使いまくるとか、文章文字数を決めるとかね。うーん、一杯ありますね。
で、そこに自分の考えを乗っけてくわけですわ。

そうなると、あーら不思議。同じ文章など生まれないですねえ。

心の中でこの考えに到達したときには、目から鱗というか、
「俺はまだまだ上へいけるぜ」という下克上的な考え(え、それ何よ)が
僕を満たしてくれました。
というわけで、800円安いなあ・・・。と勝手に入館料を価値換算しているのでありましたっと。

まだあります。
絵の表すものが、吉原氏は変わっていくのが分かります。
分かるというか、変わってるんですねえ。
抽象画というのも、「円」に結果的に?たどり着いたのも、それは
こういうことをしてみようというトライちゃんがあったからだと、先達の生き方を解釈できそうです。
その中で、やはり変わるものだし、変わっていくものだなーと。
でも、肝心なのは「世界」というところでは同一なんですわ。
吉原治良という人が表現したいものはそりゃ時期によって違っていたと思います。
悲しさとかを追求してそれを表現し続けたといっても、違いは細部であるはずですしね。
で、嬉しさでもなんでも、具現でもなんでも表現していくわけですが、
そこで吉原治良という「世界観」が壊れるのは、まあまずないわけです。
世界観が壊れるってことは、ほぼ人格が変わるってことと同様で、
それは病的じゃない限り、あと宗教的な洗礼!じゃない限り、普通はありえないなあと。
そういう意味で、「世界」は変わらないと。

だから、なのか、分かりませんが、
「世界」を提示できたら滅茶苦茶面白いと思いました。
そう、小説でいえば、一冊に世界を埋め込むってやつです。
世界なんて大げさな言葉を使わなくても、
例えばある絵をみて「感覚」で感じるものがあるとする、なんでもいいんですわ。
「何これ」でも、「これあれかな」とかで。
それってもう「言語」を通してない時点で「脳に直接アタックしている」ので、
もしそれで「これすげー」って思ったものがあったら、それって滅茶苦茶すごい、
表現をしてるんじゃないかって思うんですよ。


うーん。とりあえず、行ってよかったなーと。
だから美術展って行くの止められんですわ。
まさか、美術でこんな発見できるなんて思ってもいなかったですしってのが大きいですね。
自分が楽しめる領域に持ちこむ。それにつきますよねえ。

ちなみに僕は美術の授業は嫌いでした(笑)
人間って分からんねー。

あと、「スイゾクカン」っていう絵本も描かれてたみたいです。
なかなか渋くていいなーと。ほしい(笑)

スタッフ・ハプンズ

げ、映画かと思ってた。思わぬ誤算。
あれは、ムーア氏の「ザ・コーポレーション」だったか。
全然違うが記憶の違いはよくあることさ(ぇ

それはそうと、演劇だった。当たり前だが。
良かった。思わず、アンケートに住所を記すなり。

劇団のページはこちら。りんこうぐんと読むらしい。読めなかった。ダメだなあ・・。
http://www.alles.or.jp/~rinkogun/index.html

ネタばれありなんで、見る方は適度にスルーを。

まず、イラク戦争ネタということで、こういうネタは好き。
別に戦争が好きってわけじゃないので。
社会的なネタは自己の考えがしっかりしてないとあやふやになるだけ。
それは意見と同様。新聞の社説って最近全然読んでないけど、
あれも立場明確じゃないとつまらんし。
ブログとかHPのコラムも同じかなー。ああ、こういう考えかーそれなら自分はどうかなと。
そういうのが僕としては好きなコラムだし、好きな考えだ。
別に考えが不一致でもいいと思うんですわ。それは当たり前だし。

で、この劇で、初めてデイヴィッド・ヘアーなる人を知りました。
イギリスの作家だそうで。劇曲を翻訳してそれを再構成するというか、
そういうの全然想像できないんですが、そもそもシェークスピアとか、
普通にそうやってるわけですかねえ。意外な感じでよいですね。


パンフの役者一覧を見ると、ほう・・・。
ドラマとかラジオとかそういうのに出てる人もいるのね。
残念ながら「俳優名」で、TVなどをみたことはないので、分からんです。
ドラマも見てないし。
まあそれはいいや。

結局、感想としてはこうなる。政治って面白いじゃないかと。
って、思ったりすることは多々あるんですが、こういうところから入ると
やっぱいいなーと。劇ですね。

劇で、政治、外交、戦争、に対することとかを表現できるんだよねえと、
表現というところで妙に納得。

パンフにもあるように、確かに日本はイラク戦争に関ったことになってない劇でした。
それは日本とはその程度の認識なんでしょうね。

もっと政治について知っていれば面白かったんでしょうが、もちろん面白かったですよ。
知らなきゃいけないというか、知らんとまずいなーと。

あれ、ですわ。
学び方の問題ですわねえ。入り方っていうか。
劇見にいくのも、意外な初期行動(笑)が今につながっているわけで。
こんなにハマルとは思ってなかったし。それは大切にしたいところ。
歴史の勉強とか、学校のはくそつまらんのは、教え方が99%悪いとは思います。
そりゃ、先生自体楽しんでないような授業ならそうなりますわ。

こういう風に考えると楽しくないかい?という視点がなきゃあね。
それがある人は、多分生徒に人気がある先生になるのかな。多分そうだ。

で、この劇ですが、おすすめしときます。
自分が知らないだけだったかもしれませんが、社会的ネタを扱う劇作家がいて、
しかもそれを日本でやろうとしている人がいると。
役者も熱かったなあ。

個人的に、パウエル氏が好きになりましたが、まあ政治家はやっぱ政治家でいいでしょう(笑)

あと、台詞滅茶苦茶長いっすね。
よーやりますな。演技をしながら台詞を発する。
当たり前なことですが、すげえーなと。
こりゃすげーよ。

多分あれです。劇も、舞台ごとで、毎回違う世界が創造されるんでしょうね。
それはスリリングでありかつ、楽しみなんでしょうね。
というか楽しいですな。

また新境地を開拓した気分なりけり。

Geburtstag

ドイツ語だろうな。読めん。
劇団ちゃりんこ見てきました。
で、失礼かもしれんのですが、皆さん女性だったんですね。ぐは。

えっと、クラウス完全に男だと思ってた。
やっぱ視力が怪しいな。完全に顔が見えてないから、そこがダメなのか。

それはそうと、劇は良かったなあ。
久しぶりに動く演劇を見た。いや、ドラマリーディング続きだったので。

あ、ゲブーアツタークってタイトルか。書いてあるじゃん・・。(読めよ


小さな子も家族連れで来てたようです。
僕の右後方から、おじさんのいびきが聞こえてきましたが(笑)

確かにハッピーエンドでよいなーと思いますが、
個人的にはどうしようもない話、つまり村上龍的にいうと、穴に落ちて這い上がれない話に
なるようですが(笑)
そういう方が好きだったりします。
ということで、僕は自分が変だといわれると嬉しい人間です。
ただ、本当に変人扱いされて、お前と俺は話すことはできない!という差別を受ければ、
僕は穏やかなパンチを食らわせることでしょう(えぇ

強制収容所。つまりはナチのユダヤ人虐殺らへんのお話です。
だから小さい子がみても、分からんと思います。
そもそも、強制収容所って言葉を知っている、さらにナチが何をしたか、
さらには第二次世界大戦の背景とか、知らないと深みがないのかも。
といってる自分もそんな知らんのであれですが。

例えば、連合国(イギリスなど)のスパイなのかなー、
研究所の科学者がいましたが、役的には女性で女性ですが、
あの人はイギリスから何で来て、本国へドイツの爆弾研究の情報を送っていたかなんて、
考えなくてもいいんですが、妙に気になるところでもあります。
そうやって場面を切っていくと面白いですね。

個人的に、とくに背景を変えず(もちろん変わってるのですが)、テーブルと椅子、
そしてアンジェラとクラウスの部屋は変わらないので、
そうやって同じところを見ているとなんか、親近感湧きますね。おそらくそういう効果があるとにらむ。

で、戦場のピアニストを思い出しましたが、あの話って、ハッピーではなかったなあと。
とはいえ、この劇でも、アンジェラの両親は殺されているんで、ハッピーなのかどうかを
言われると「うむむ」とうなってしまうわけですが。

個人的には、ピートだったかな。背の高い男役。
あういう人は好きだなあ。役のほうね。

クラウスとアンジェラを見ると、そりゃ両方素敵なんですけど、といった上で、
宝塚じゃないですが、男役の方がかっこよく見えますね。
うーん、これは感覚的なものなんでキニセズ。

クラウスって、FFとかの主人公で出てきそう。関係ないな。

多分、また機会あれば、ちゃりんこって劇団名がいいと思うんで、
見にいきます。わーい。

再演だからか、当日1000円って安いね。うん。

転校生

メガチカの作品見てきました。おっと、正確にはオリザ氏の「転校生」を
メガチカがドラマリーディング化したといったほうがいいでしょう。

ネタバレあるんで、見にいってない人はスルーしといてください。

平田オリザという名前は何度も聞いたことがあるが、
初めて間接的だが触れた。非常に好感触。
メガチカの刈馬氏が最もオリザ氏の中で好きというコメントは、
にゃるほどと思わせる。

内容は、女子高生が21人出てきて、しゃべって、終わるというもの。
シンプルだが、会話が同時に行われていたり、会話が止んで、
1vs1という対話になるというリズムが心地よい気がする。
にしても、女子高生うるさいわ・・・(笑)

個人的には、
フナの解剖の話とか、というか転校生という作品が、
カフカの変身とかぶせてきていて、で、転校生という名前で、
風の又三郎ともかぶせてるかは分からないが・・・。
一杯のかけそばならぬ、一杯のさぬきうどんだったかなのトークは好きだ。

カニバリズムの話も出てくるのに、結構サクっとした感じが。
それは原作がそうなのか知らないけど、メガチカアレンジかもしれない。
くそ、原作見たい。

70分で、結構短く感じたが、コメントにもあるように、確かに濃い。
会話の量が多いというのもあるけど、それより、21人も初めて見た。
いや、河童塾という劇団で学生もの?は見たが、良い悪いというか、全然違うなあと。
やっぱ、メガチカいいっすわ・・。かなりツボだ。

にしてもいつも思うんですが、500円安すぎる。
今度、DVD買いますわ。いや、ホントに。
隠れファンってことでよろしく(笑)


あ、この間の、ワーニャ伯父さんでしたっけ。
伯父さん最高だったな・・・。あのなんていうんだろう。
うまく表現できないけど、みじめな感覚をあれほど出せるとは。
みじめというか、不条理みたいなところで。

ではまた来月いくかな。

will忘年会

行って来ました。
ふむ。所属集団は複数あったほうがいいですな。
あ、準拠集団でしたっけ。まあどうでもいいや。

話して飯を食える人が多いってことは素敵なことだなーと、
別にムリにそうする必要はないんですけど。
友達が多いってのはそういう意味では幸せっすね。
最も友達の多寡でその人物の評価は決められませんが、
でも、友達が多いってことはコミュニケーションの術を知っているってわけで、
やっぱ良いかなとは思いますね。うむ。

今年も終わりって感じですね。
明日から仕事納めモードでラストスパートですわ。
いえい。



メガチカを。

久しぶりに演劇。
外は寒い。なんか食べても食べても腹がすいている。
さすがRM(意味ナシ

ネタバレ的なものもありそうなんで、メガチカ見に行く予定の人はスルーをば。

チェーホフの作品なんぞ僕は読んだことも見たこともないんだけど、
気になるからいく。さすがGOINGMYWAY。というか、それ人間として普通でしょうと
突っ込みを入れつつ。

毎度思うんだけど、これ500円安いよなーとか思ってる。
多分戦略的に、入り口を広くする(料金が安いから入りやすくする)って意味で、
まあ初の試みってこともあるんだろうけど(ドラマリーディングが)、コストパフォーマンスサイコウ。

正直面白かった。やっぱドラマリーディングいいね。演劇っていいね。
という感じ。メガチカ最高といっておきませふ。

一冊の本がその中で独自の世界(この場合の独自という言葉はオンリー1という意味より、
創造した世界という意味合いで)を作るってことがある。
というか、ある人の話はやはりその人の話でしかない(他に通用するとかそういう意味ではなくて)。

そして演劇も、あらゆる芸術というものもそうだ。
だから表現しているものは何なんだこのやろーと大分考えてきたんだけど、
やっぱそれを理解するには、自分が表現するということをしなくちゃ、
話にならんという。営業やったことないやつが営業わかるわけねーという理論(笑)

世界を作るというか、ある種の空間を作るというか、
そういう世界をたくさん創り上げるというか、そういうのはすごく楽しいと思える。
例えば、コミュニティなんてものも同様かなーと思える。

チラシの中に、カラフルというフェスティバル(祭りっすね)を4年前にやったという文章があった。
それは、東海地方の演劇を盛り上げようというキーワードで各劇団が集まって、
結構大きなイベントをしたというものらしい。

これをそのままITEBに転用というか、発展させるというか、応用させるというか、
まあなんでもいいけど、何か使えそうだと思った。直感的に。

今ITEBに欠けているものを指摘することは非常に簡単だ。
よくいるんだ。現状の否定しかしない人間ってのは、腐るほどいる。
でも、それってやっぱつまらんだろうと。本人はそう思っても「どっかから」誰かがきて
現状をよくしてくれると思っている。
サンタがいないというくらいの想像力のなさ、心の余裕のなさを越えて、
ムシのいい、自己中っぷりを発揮してくれる。ええい、そんなやつくたばっちまえ!(笑)

おっと、脱線しちゃう。
ITEBに応用させるとなると、他コミュニティと交わっていくとか、そういうこともあるし、
ITEBメンバーだけじゃない祭りをやるとか(これは来年の6月にやるのでOK)、
遠くを見ているが、近くで動くというスタイルにもっていこうと企んでいる。

環境問題でいわれる、Think Globaly,Act Localyという思想と同様だろう。

目の前の仕事をこなして、その蓄積分をアウトプットしていくと、
必ず足し算以上の、掛け算、さらに累乗の可能性も出てくる。
きっかけはなんだっていい。来るもの拒まず去るもの追わずだ。

社会の一員とか、社会的大義なんてことをふりかざすことなんてしなくてもいいのさ。
断言できるんだけど、自分が面白いというものが、他人が全員つまらないということは、
まずあえりえない。
自分がつまらないと思ったものと共感する人を探すより、
自分が面白いと思ったものと共感できる人を探す方が、
多分人生は楽しく、そして出会いは面白くなるだろうといえちゃう。


にしても、役者は良い顔してるわ。素敵だ。

関連サイトっと。
今やってるドラマリーディング用サイト
http://megaton.fc2web.com/act8/
毎月楽しみでしょうがないんですが。

刈馬氏の個人サイト
http://www.kenet.jp/chaos/
ブログおもしれーな・・。


どうでもいいけど、DMとか、販促(演劇を見ろーというのだから違うのかな)として、
公演前に適度にメール便くれるのはすげー。
いや、ホント、出会えてよかった。ありがとふでございます。

誰かが感謝感謝とかいってるのをみて、すげー感謝って言葉嫌いになったけど、
あえて感謝といってみたい。というか、誰だよ・・・変な風に感謝感謝いってたのは(笑)

ITEBオフ会参加

先日、ITEBオフ会に参加した。これは2回目だ。
1回目楽しかったので、2回目もすんげー期待してた。おかげで仕事がはかどるわ。
やっぱ、馬の前ににんじんをぶらさげるような仕組みは作らないと人は動かないかな。
満足感とかそういうものに対する感覚は違うわけだからさ。ん、それはいいか。

4人と少なかったのだけど、それは逆に長くじっくり話せた気がする。
とはいえ、まだ個人的につっこんだ話はできてないかも。
でも、2回目でこんなにつっこんだ話し合い、まあ語りですわな、それができるとは
オフ会というか、ネットの効用だろうなあ。ある程度イメージが出来上がっていて、
そのギャップとか、そのイメージどおりな部分も楽しいし。
オフ会って昔は、すごくダークなイメージというか、「危険な場」ってのがあったけど、
今はどうなんだろうね。
まあ、出会い系ではないので、そういう感覚はきっちりつけないとダメですけどね。
って、ITEBは出会い系じゃないってば・・。全く。

東京の人の多さは半端なく、初詣という言葉が印象的。本当にそうだもん。
新宿のアルタ前は常に初詣。いや、まじで。
ニャゴヤって人少なくて歩きやすいと思えるので、やっぱ首都はすごいわ。
でも、1000万人って人多すぎですよね。過剰っすわ。
便利なサービスって考えさせられる瞬間。いやあ、あえて省略してしまおー。

近くの居酒屋に乗り込んで、鍋をつついた。
うまかった。鍋ってこんなにうまかったかなと。話に花が咲くっていうのが
これほど当てはまるシーンもないなあとか思ったりした。


多くのことが得られて、あとパワー充電完了が大きい。
今月末、つまり今年はこのパワーで乗り切れるという感覚。やっほー。

ITEBでやることとか、色々整理できて、非常に楽しかったし、非常に充実していて、
すっげー満足でした。ホント。参加した方、お疲れちゃんでした。

次はITEB祭りで会いましょう。
って、祭りの企画を練るので、ITEBとかITEBとかITEBとかに
興味ある人、チェキラしといてください(死語

WillPlatform一周年イベント

行って来ました。いやあ、良かったわ。
というだけでも、アレなんで。

まず、働くとは何かという視点があるのが素敵。
今自分の中でホットなテーマだ。だからナンタメなんて書いてるわけで。

働く場は相当ある。だから、求人誌に求人は山のようにあるわけで。
おっと、アルバイトとかに限られるとかそういう細かいことはスルーしとこう。
経済的な意味で、「食べる」ために働くって、それは当然のことで、
じゃあ、未来にむけてとか、自分が面白く生きるためにとか、
そういうところで、「働く」ってことを問うと、結構まじめに考えている人は
すくないのかもね。

仕事を創るという言葉は好きだ。
仕事は与えられるべきものではなく創るものだ。
与えられるべきものは作業という、非能動的な行為と言ってしまおう。
創るとは、クリエイティブのことで、別に0から1を創らなくても、
組み合わせてもいいし、だからこそ可能性は無限大。素敵。

印象に残っているのは、何かを知ってしまったという、パンドラの箱を開けた?という話。
別に知らなくても生きていけて、何も知らなくていいことを知ってしまった。
出会ってしまった。

人それぞれにタイミングがあるから、一概にいえない。
このタイミングって、夢を見つけるとか、見つけたとかそういう話にもそっくりいえそうだ。

よく、夢があるからそれをするっていうけど、
その夢を見るのはタイミングが人それぞれ違うから、
例えば20代で夢を見つけるのは早いかどうかなんて分からないんだ、って
そういうことがいえそうだなあと思う。

知ってしまった、分かってしまった、からには、
何かしなきゃというのが、本能というか、人間らしいと思う。
いいんじゃないのかな。自分が好きでやって、迷惑でもなく、
社会的にはほとんど善だから。まあ全部が「善」だなんて、普通はありえないんだけど。
でも、そういうこと言い出したらキリがないので、それとは別腹でどうぞ。

刺激としては、満足すぎるものをもらってしまった。
ありがたや。

なんかやっぱり、基本を再認識。
考えることとか、そういうこと。働くことも含めて。

って、面白いことにたまに周りの人間と話が合わないことが、
普通というか、自分はこれでいいんだーっていう肯定感っていうんですかね、
そういうのを感じさせてくれますね。

うん・・・。元気でまくりですわ。

参加された方とか、お疲れちゃんでした。

技術者の経営的視点とかの話


セミナーで気づいたことなどをば。

技術者や技術の定義はもちろんされていないが、
技術って何かはっきりいって分からない。

ただ技術者とそうではない人と考えたとき、
やはり技術者は何かにこだわっているのかもね。これも適当だけど。

一つのビジネスのもち具合が短くなっているせいで、
昔のように数十年も一つのビジネスでやっていくことは難しいようで。
だから、技術でもなんでも、ある程度経ったら次へいかないとおいていかれる。
ここで、別においていかれるとはどういうことかという考察はスルー。

昔は一つのビジネスを長くだが、今は多くのビジネスを短くという
形に変わってきているということかな。
まあ、ビジネスによるんだろうけど。全体的にそういう傾向にあるのは否めないっすね。

スピードが違うという表現もできるわけですな。
今はスピードが速い。それがいいかどうかはちらっと話題になったかな。
まあ、どちらも一理ありけり。

技術者的視点が僕には身につきそうにもないけど、
技術者は技術に打ち込める・集中できる環境が必要で、
だから会社は雇用を保障するのがいいかもーという話があり。
それって、技術者だけにいえない気がしたんだけど、やっぱりそうかな。
誰だって、土台があったほうが、保障があったほうが「精神的ゆとり」があると思うので。

あと、技術者と事業家と経営者の進化?があって、
技術者が誰もが事業家に、経営者になれるわけではなく、という話もあり。
というか、そもそも経営とかしたい人って少ないからこそ面白いと僕は思っていたり。
え、聞いてないって?すいません。


変化というところで、常に変わるものと、そうではないものがあるそうな。
例えば、核となるところ。これって、コアコンピタンスとかコアビジネスだっけ。
いや意味分からんっすけどね。そういうので騒がれたときもあったような。
そういや、横文字やアルファベットの略称もあんま意味ないしね。いらね。

核となるものが変わって、変わるべきものが変わらないとやばいそうな。
人間でも同じかなあ。やっぱ仏教とか教えはいいなあ。おっと、脱線。

今の若い人は粘りとか、元気とかがないーという話もあったけど、そこはスルー。
で、技術者は今は技術とか会社とかにこだわるよりも、キャリアとか自分にこだわるという
のが主張したいことかな。ああ、ゲストと司会者のね。
今の若い人というのは関係なく、今の時代に生きるなら、さまざまな形態があるってことですわな。

現場で鍛えられる云々は、
それは仕事において、達成感とか失敗のNOT満足感とか、そういうところだとにらむ。
とりあえず、仕事をしてみるっていう選択肢は僕の中では、かなり良い選択なのでオススメ。
ああ、これから働こうとしている人に向けてね。

ここらで持論を展開。突っ込みいれながらメモったやつ。
もっとも近いところが最も遠いという、まさに格言を吐く。
こいつは、例で2つ挙げてみる。
経営コンサルになって経営を学ぼうとする人は、実際に経営を学べるかは不明だと思う。
なぜなら、経営とは1つではなく、いや、仕事といったほうがいいか、
仕事は未知との遭遇だからだ。経営といったほうがやっぱよかったかな。
経営コンサルは、あくまでも経営のコンサルタントであって、そういう仕事だ。
だから、経営コンサルやって経営を学ぶってのは、ソトッツラはきれいだからこそ、
罠があるような気がする。
だから、自分を動かす核があれば、大丈夫なんだよと逆説的に言えるわけ。
って、もちろん経営コンサルやってる人とか批判してないし、してるって?
これからコンサルとかやろうとしている人を批判しているわけでもないけど。

ただ、なんか、経営とか起業とかっていうと、「普通のことではない」心構えみたいな、
ノウハウとか、やり方が必要だと思っている人がいるようで、
確かに、そういうのも一部はあるんだけど、そんなの100あるうちの1つくらいでしょうと。
そういうことを吐き捨ててみたいわけです(えー

で、もう一つ。
転職をして、別の視点をえて、学んでいくのも自分を磨く一つの方法だなと思ったり。
まあ、それはおいおい考えていけばいいこつぁ。


技術的なことと、ビジネス的なことは相反することととらえるのではなく、
どちらも必要というのが現代の技術者に必要なこと。
って、これってなるほどねーと思うんだけど、でも単に相対的にそうなっただけのようにも思える。
そう、つまり技術者が技術だけで生きていけない理由は、
相対的に技術者の価値が低くなったということ。おっと、これは別に事実ではなく意見。
技術者が多くなったのか、技術の進歩で技術人自体がいらなくなっているかもしれないし。
そこらへんはよく考えなきゃいけんですけどね。
まあ、でも、ビジネスと技術を両方学んでいくという感覚は分かるというか、
しないとだめな気がする。というか、それやったらすげー。とか勝手に思って、
そうすることにしたり。まずオベンキョしないとね。

MITだかなんだかしらないけど、ビジネススクールかな。詳細忘れた。
ともかく卒業生の声として、2つあって、
1つが、ビジネスの知識を知ることで、その知識自体よりも、知識によって
自信がついたということ。ビジネスにおいて分かるから、分からずにへこむことはないから。
2つ目に、OpenEyesで、視野が広がったということ。

で、これって別に手段であって、例えばですけど、
MBAとったら起業できるだのってのは、ミミタコでお聞きの方もいると思うので、
スルーしといて、それなら、どこでも学べるじゃーんって勝手に思う。
現に僕も大学で、ビジネス!とは縁遠い!ところで、良いこと学んだと思っているわけで。
例えば、選択したものに納得があれば迷わないし、力にならないことはないとか、
そういう志的なものが必須だと後から発展してくんだけど。
そういう意味で、ビジネススクールは無機質ですね。中は多分ホットなんだろうけど。
ここらへんはあいまいにぼかしとこう。


技術を磨いて、経営などをしたいとかそういう人は、
一つの会社でそれらをやっていくか、つまりはサラリーマンから出世する道か、
会社を転職したり、起業したりでやっていくかという方法がある。
どちらにしろ、いきなりジャンプできるわけじゃないのがポイント。
それぞれにそれぞれの方法がある。
例えば、1つの会社でやりたいなら、そういう方法があるわけ。
転職や起業でというなら、そういう方法があるわけ。
さあ考えよう。

で、技術者はってもうここらへんで技術者の意味がほとんどないんだけど、
志が大事で、志があってこそ、技術者、知識やビジネスが活きるって話。
その通りだなと思いつつ、逆に言うとなんで、技術とか、知識から入る人が多いか、
分からないっすわ。
だって、いくらすごい技術でも、ビジネスにしてすごく売れてもさ、
結局何をしたいかっていう志がなきゃ、意味がないというか。

こういう人の意見とか聞いたり、考えたりすることによって、
簡単に動じない訓練というか、そういうのは大事だなーとかふと今思った。
だって、簡単にひょろひょろ動くってのは、やっぱCloseEyesなわけで、
視野が狭く、明るきゃそっちの方向いっちゃうんじゃないかなーって。


で、ここらから脱線。

思ったのは、まず「やりきる」ことが大事だということ。
?しきるというやつ。仕事でもなんでも、趣味でも、なんでも。
中途半端が悪いわけじゃないけど、熱とか志とか想いがあるなら、
そいつをとにかくやり遂げるというか、小粒でもやりきるってことが大事かなと。
それは飽きるほど何かをするとかそういう感覚と同じでもあり。

そこでいえるのは「表現しきる」ってこと。
僕のブログで表現できることは限られているかもしれないけど、
このブログ、ネット、文章、己のアウトプットはまさに無限大。
表現を中途半端にするんじゃなくて、言い切るとか。アウトプットしきるとか。
そういうところ。うーん、いいね。

自分が正しいってことをあえて主張することはないけど、
自分が正しいという思いは大切にしたほうがいいし、そうしている。
自分が正しいといってもいいし、言わなくてもいいしというのは、
それらを踏まえた上でのお話でございます。

こうであるといったら、そうであっていいというのは、
決め付けはゴーマンでもなくて、思い上がりでも、自己中でもない。
だって、そうなんだからそうじゃないと。
もちろんこれは、自分に関することで。人にとやかくいってたら、
多分友達できない。あ、僕友達いないよ。ごめんなさい。

結果的に、ゴーマンなら、そいつは友達がいないという結果で、
自分がさびしくなるから、その考えは淘汰されるわけ。
これぞ自然の摂理だと思うんですわ。いかが。


人が集まるところに、人が集まる。
志が集まるところに、志が集まる。
同様にいえば、何か、感じるものがあるからこそ集まる。
人を集めるのではなく、情報を集めるのではなく、
人が集まるように、情報が集まるように、
同様にいえば、何か感じるところがある人になろうと思った。
これって、マーケの話と同じだと思う。
それは、「売る」のではなく「売れる」という仕組みを作るというところかな。
まあ、どちらにしろ、売り続ければ仕組みが出来ているわけで。
最初に「売りたい」か、「売れるようにしたい」のかの違いかなあ。
結局仕組みがなきゃ、組織なら利益の継続はできませんよってことですな。

自分が人が集められる人間というか、集まってくる人間になれば、
強力なアンテナとなり、プライベートブランドも遠くないなあと思う。
個人メディア確立も可能だし、色々できそう。あんま思想的なこというと、
狙われるかもしれん。まさか。


最後に微妙に気になる話あり。
それは、会社で異質な人が例外とされ、変わりものとされているから、
伸びない会社があるーという話。
その例外こそが、モデルなんだよと、気づかない。
という話は、非常に興味深い。

というか、そこで気づかないのではなく、例外と思って扱うからこそ、
その会社が継続できている気がしたりする。

これって末期かもね。その会社はもう変わらないだろうね。
まあ、いいっすよ。会社なんて自分の人生を捧げる場所にあらず。
捧げるのは漫画喫茶のみ(えー

お後がよろしくないところで、さようなら。

おはようと、その他の伝言

今日も元気に七つ寺。

見た。

途中なんか眠くなったのだけど、そこはどんまい。

死にたいというシーンというか、飛び込み自殺ですね。
そこが印象的で、それはおいておいて、朝が繰り返される。
色々な登場人物が出てくるけど、リカが抜群に印象的だった。さすがメガチカ(ぉ

ここからは全て妄想と独断の世界。
だって、多分これ「正当な」解釈なんてつまらないし、そもそも「正当」がなにか
僕には分からん。というか、そういうのを狙っているというか、僕にはそう感じるので、
そう思うし、そう書くわけですわ(COOL!

おはようという言葉が頭に結構残っている。おはようという言葉は、朝を連想させ、
何度もKIOSK周辺?で繰り広げられる世界というか、日常。

例えば、僕がKIOSKではなく、職場とか、そういう日常になじんだ、慣れ親しんだ場所、
いつもの日常のなかで、「おはよう」という言葉はどんな意味を持っているかを考えてしまった。
おはようには意味がないかもしれないが、おはようという言葉で、何か変えることは
可能じゃないかーとか。意味がないと可能性があるとは決して矛盾しないんじゃないとか。

自殺をというか、飛び込んで死にたい、死にたい人というか、
「誰が死ぬか分からないけど、誰か死ぬ」という台詞が象徴的だけども、
結局誰も死なない。

あと「理由と方法」って言葉も。

哲学的に考えなくても、哲学的に頭が発動する。許せ。

生きる意味と死ぬ意味は同義だといっていいくらい、それらの意味は
勝手に決めていいとおもう。そりゃ反社会的に生きるってのもアリかもしれないけど、
なんかやだよね。

死にたくなるときってあると思う。僕もあるし。
逃げたくなるときもあると思う。僕もあるし。
実際に生きているだけで尊いってのは、そういう低い次元(レベルが低いって意味じゃなくて)からみて思うことかな。
そういう次元に立っていたら、普通死のうなんて思わなくて、生きよう生きようと思う。
死にたいと思うとき、そこには必ず一部でも全体でも、思考を停止している。
死ぬ=思考の完全な停止があるから、死ねば終わると思っている。

でも、死が本当にそうとは誰が決めたのか。話が怪しい方向にすすんでいるが、
もうとめられぬ。
死んでも一生悔いの残る人生を送るのかもしれないと思うとぞっとする。
死んだら終わりとは僕は思っているけど、実は終わりじゃなかったりしてね。

死にたいという人間を死なせない社会は、心温かい社会なのか。
それとも、冷たい社会なのか。ここで、今読んでいる本「自由とは何か」という
古本屋で180円で見つけちゃったものと重なってくる。
何がどうあれば、こうなるっていう、いや正確にいえば、
死にたいという人を死なせてあげる社会がTRUE(英語の真の意)だとしても、
ある人はそれはFALSEだといい、別の人はTRUEだというかもしれない。

よくジャーナリズム云々で、事実と主観(意見)の違いを議論というか言ってたりする。
確かに違う。でも、ピュアな、つまり100%事実な事実ってこの世にあるんだろうか?
それって、オリジナリティーというやつと同じで、100%オリジナルなものって
僕にはあるとは思えないから、同じ理由で、事実に主観が混じらないなんてありえないとすら
思っている。
だからこそ、世の中に事実はないと思っている。真実といったほうが正確かな。

自分のインスピレーションに生きるとは、結局真実を見ないことだと思う。
それは目の前の出来事を無視するのではなく、出来事から主観をはぎ落としていったら、
多分そこにはただの塊が残るだけじゃないかと思うわけで。

インスピレーションとは直観だろうか。
自分を信じるとは、周りを信じないことでもあるけど、別に信じてもいいし
信じなくてもいい。他人の意見はあくまで参考で、良いと思ったら取り込めばいい。

自己を主張せずとも、自己をPRするということはできないと一見思う。
が、僕は分からないなりに、この演劇を見ることで、演出家と劇作家・劇曲家の狙いの
違いというか、さまざまな狙いがあることを肌で感じてしまったかもしれない。
もちろん、演出家の刈馬氏がメガチカ風にしたといってるのだからかもしれないが。

世の中は広いと思う。
舞台の上でその世界の広さを表現しているってことは、どういうことか?
そう。世界の広さを知っているからできる芸当だ。かっこいい。
そして、舞台という限られた空間でそいつを出せるってことは?
事実とか真実とかどうでもよくて、感じるまま、見るがまま、考えるままを吐き出す。
そういうことが面白いと思えるから、それでいいじゃないかと思う。

というわけで、やっぱメガチカ熱いわ。
本が読みたくなるし、何か書きたくなるし。いやー本当ありがたいっすわ。
にしても、500円は安すぎですな。マックのセットと同等だなんて。
世の中やっぱり面白いっすね。

しずかなごはん

七つ寺へいざ!

なかなか良かった。摂食障害を描いた作品。
なんかベテランというか、落ち着いて見られたというか、
さすが20年だなあとか思ってしまったり。

摂食障害は、ダイエットからきたりするそうで、
食べては吐いてを繰り返す。体重激減。

ああ、思い出した。
最後の方で、誰かが犯人かって犯人探しは止めにしないかーと
いってたのが印象的。
社会が悪いとか誰かが悪いとかって。

うーん深いね。やるね。

また学びが得られたよ。ありがとうございます。
次の上演も楽しみにしていようっと。わーい。

映画「夢の中へ」

レイトショー。
結構ハードな1日だったべ。というか体力ねーな・・。

途中気分悪くなった。酔った。
疲労というより、この映画、トリップしちゃうぜ(ぇ

3つの世界が描かれて、それがどれが夢か分からなくなってしまった。不覚。
現実は同窓会で締めくくられるわけで、よいのだけど。

これはコメディであり、30代男のさえない話らしいけど、
夢の中へというテーマで、何か自暴自棄になるような、まあただの酔っ払いなのだけど、
そういう感覚は分かる気がする。

ぶっちゃけていえば、壊れる人間よりも、壊れない人間が強いのだけど、
かといって、開き直る人間はあんまり好きじゃない。
壊れない人間でも、壊れていないがために、軽い壊れで崩壊する人もいるわけで。

慣れとか耐性とかって言葉は大事だ。
だからといって、自分の行為を正当化するような意味での
「慣れだよ」とか「経験だよ」、「社会はそういうものだよ」というのは、
僕はあまり信用してない。

僕は信頼するのはあくまでその人から来る発言であり、
発言自体はあまり信じてないのかもしれない。
これを不信感、猜疑心の塊という人間こそ、僕は一番人間らしくないと思うので、覚悟をば(えー


パンフレット買っちゃった。
酔ったけど、悪い映画じゃない。でもお勧めってわけじゃないなあ。酔うから。

箱男と箱女

名古屋のエンドウジ商店街へ。

安部公房の箱男を元にした劇。
なんと、商店街の中で演じられる。はじめ、嘘かなとおもったが、
本当だった。

地図をもらって、それで劇を探すのだけど、
なるほど・・・箱男は一度しかよんでないけど、
結構雰囲気でてるなーと思った。

だけど、3時間もとくに休憩なしで、移動もあるので、
かなりくたくたに。体力がないっすわ・・・。

役者が台詞っているときに、おじちゃんが横をチャリで
通っていくんですよ?すごい光景だ。かなり新鮮。

ただ、内容的には、箱男自体を理解しきれてないので、
そんなものかなで終わってしまった。

役者は顔面を白塗りして、ダンスというか、踊りみたいなものが多かった。
台詞は思ったより少ないかな。

劇の始まりと終わりがないので、
最終的な終わりも良く分かりづらかったなあ。
蚊にさされたのには、閉口した。

けども、試みとしてすごく新鮮でよかった。
って、わけで機会あれば、箱男また読むかな。

電車男と箱男はまったくべつもんですぜ、そこの旦那。


オイル

今日も七つ寺へ。

あのスタジオに人が定員60人というのは詰めすぎかな。
多分消防法的にアウトな気が。
だって、人踏んでいかないと出口行けないし、
行けても出口が狭い。

ま、それはともかく。

オイルという劇を見る。
なかなか面白い。

神話ネタなのだが、天皇や戦争や原爆のことなどでてきて、
コメディとまではいかないけど、なかなか笑える箇所は多かった。
大真面目に天皇礼賛とか風?の台詞を吐くとは、
かなり劇作家か台詞作った人間は、その手、つまり、
日本の歴史を学んでいるなと感心してしまう。

チラシにもあったように、
神が天国を創っても創らなくてもいいのだけど、
なぜ天国が今じゃなく、死後なのかというのは、
答えがない問いに思える。

要は、天国という概念が幸せを感じる瞬間の連続とか、
楽園的なイメージではないならば、なんとでもいえるけど、
なぜか楽園のイメージがある。誰だこんなイメージを植え付けたのは!(笑

戦艦大和が片道燃料で出撃し、そして無抵抗のまま消えたように、
ある程度、知っていないと面白くないというか、楽しめない気もした。
別に知識ベースな劇じゃないけど、いわゆる知っているものだけが分かるという
内輪的な台詞は個人的に好きじゃないと思った。

というかそれは演劇じゃなく、コントとか、漫才じゃないかと。
そういうと、劇とは何か。台詞とは何かという問いに答えねばならないのだけど、
そこまで消化できてない。いずれ、そのうち。

劇自体は面白かった。これで1200円は安いなと思う。
本と同じで演劇のコストパフォーマンスがかなり良いことに今やっと気づいた。
それが好きってことかもしれない。そもそもパフォーマンス自体が主観的だから。

次回も見に行く。
メガチカとは違いまた別の面白さがある。
劇って面白いねえ。



つぼいのりお氏の話

大学の公開イベント。

名古屋でつぼいのりおといえば、そうとう有名らしいが、
僕にとってはラジオの人くらいという認識しかなかったので、
結構新鮮だった。

本願寺ブルースとか、キンタの大冒険という面白い歌の歌手でもあるそうで。

印象に残ったところをいくつか。

まず、1970年代にバリケードストライキというのがあり、
要は大学をバリケードで封鎖してストライキして、
マルクス主義を唱えるんでしょうな。多分。
そこで、バリスト演劇というのがあって(ほう
演劇がとにかくあったらしい。

その中で、こんな場面があったようで。
コーラビンの中に入れられたトカゲに対して
「トカゲよ、君はビンを割れるのか」
(割れるわけない)
というわけですな。

なんでも、後から知った話では、コーラはアメリカの象徴、
トカゲは日本の象徴らしい。要は、アメリカ追従体制批判なのかもねって
解釈を僕もしちゃいますが。そういわれれば。


漢字が分からんのですが、仏教的な言葉かもしれません。
「しんじん」(多分、「真心」かなと思うけど、これだと「まごころ」か。
「信心」だと信じる心だから)の話。
これは文脈的に、色々やりたいことがあるけども、中心と、核となるところを
「しんじん」という言葉で言われてました、と思いますが。
逆の意味では、「傍心」(ぼうしん)という言葉で、核ではないところにある
心みたいなことを。

つまり、「迷う」ってことは、「ぼうしん」からはじめていて、
「しんじん」からはじめてないってことなんだって話です。
妙に納得しちゃいました。

やりたいことがいっぱいあっても、やはり核となるものがあって、
そこから発展すべきというか、発展させていかないと、
多分核がないから、あれもこれもになるんでしょうな。
そうじゃなくて、核があるから、失敗しても、また核に戻ってこれば
迷う必要もないし、焦る必要もないってことなんでしょう。

こいつは良い教えかなあと。

ピンチになったときどう振舞えるかって話は省略。
人間が分かるってな話ですな。


ところで、主催は文学部なんだけど、
文学部、要は大学というところは、学びの場といっても、
それって「大学で学ぶこと」を通じて、自分らの考え、価値観、
そして学ぶことの面白さを「表現」しているのじゃないかと、
今更ながら思ってしまった。

教育者といわれると、何か「管理者」的な意味合いが強いのだけど、
そうじゃなくて、表現していくのは、「人材」を育てるのでも可能なんだなあと。
親方の意志をつぐとかって結局、心の表現を若いものがするわけで、
子どもに教育をするのは、結局のところ、表現を学ぶというところになるのかもしれない。


面白い話がいっぱい聞けたので、また参加せねば。
わーい。

DEEP FOREST

千種で見てきた。

市長の娘が誘拐にみせかけた家出をしたというので、
一時期話題になったネタ。樹海に入っていく話か。

社会的なネタは好きだけど、掘り下げ方が満足いかなかった。
メガチカの「モンスターとしての私」と比較してしまう。
少女が同級生を殺す。事件自体のセンセーショナルさの違いもあるけど、
表現したいものが伝わってこないというか。

樹海にはいろいろな人がいて、樹海は思ったような怖いところじゃないとか。
それは第二儀的な意味で、あって第一義はなんだと。

推測すると、やはり町長の娘を再現というか、
作品として補って考えた人物像を・・・。

でも、それを狙ったならば、もっと娘は何か表現できたと思っていて、
むしろ娘より、家族、ここでは母親と市長という夫が良く出てくるので。
さらに、複線的?かどうか分からないが、
一人が3役くらいこなしているようにみえたので、
市長の息子だったかな、それと娘の想いを寄せる人?が同じだった。

別にいいのだけど、分かりづらかった。
というか、分からなかった。

懲りずに次も見に行きます。

にしても、それはいいとして、
千種のホールは・・・席の場所が悪いと、みづらすぎる。
あんまり、舞台の前で演じてもらうと見えないってことっす。
あの仕組みはまずいと思う・・・。
いや、ホールが悪いわけじゃない。あまりにも前でやるとよくないってこと。
要は、表現者とかの問題で。

SOHO静岡

小出氏の講演会へ。

これ19日だけどね。

起業成功の共通項目は3つ。
一つ。オンリー1=徹底的な差別化
一つ。情熱
一つ。行動力

であるっと。

それよりも、資料にあったビジネス支援図書館が気になってしょうがなかった。
ネタじゃネタじゃ。

あと、面白い指摘として、
公共の創業支援施設はほとんどが箱ものちゃんと化しているらしいです。
そういう意味で相対的にSOHO静岡が目立った。取り上げられた。

これは結構重要だなあと。相対的。

「メイデイ・メイデイ」

見に行った。演劇ね。

背筋がゾクゾクすることはあった。でも、何か違う。
団体は、劇団わがままキッドナッパーというところ。
http://kidnapper.at.infoseek.co.jp/

不思議の国のアリス自体、内容を忘れているけど、
確認する気力はないけど、そういう内容だったかなあと。

パロディーやらしさを入れても、なんだか物足りない。

チラシのキャッチコピーがあるけど、
それと比較して外れるとちょっとショックだったりする。
いやあ・・面白いという人もいるんだろうけど。僕にはね・・・ちょっとね。

とりあえず、感想には自分にはダメでしたと書いておいた。

会場が狭いということもあって、動きにダイナミックさを感じられなかった。
個人的には、台詞のスピード感くらい。あと長い台詞は・・さすがとは思うけども、
いわゆるアマチュアだから、それでいいのかといえば違うと(何
要は、真剣にやってるわけだ。こっちも真剣に見てる。遊びに演劇ミニいってるのだけど、
でも、劇自体馬鹿にしてるわけじゃない。

役者も、演出も作家も同じだろう。おっと、裏方忘れちゃいけんね。

ならばこちらも常に真剣にというわけさ。

つまりこうだ。
じゃあ、例えば、台詞のスピード感から何を伝えたかったのか。
長い台詞から・・・とか。不思議…アリス、時間、から何を伝えたかったのか。

それが1mmでもわかれば僕はその演劇は成功じゃないかって思う。
でも、それが見えにくい。見えなかった。

多分こういうことを伝えたかったんだ。表現したかったんだ。
というのがまず分かると次に行ける。
次とは、じゃあその表現はどこまで僕の心を動かせられたか。
感動っすね。要は。

この2つの山を乗り越えると、「すげー」という言葉が出てくる。
あんたすげーと。

僕が解釈した限りでは、
不思議の国のアリスというお話があって、それをうまくアレンジした。
そして、役者らしさだとか、演出家の狙いだとか、そういうのをうまくだした。
くらいでしか分からない…。ストーリー自体スキになれなかったかもしれないけど。

少女が大人になることは・・・というテーマを表したとは僕には思えない。
それは、あくまで小説の話であって、演劇で表すのはまた別という感覚があるから。
要は、読み物と、台詞で演じる台本は違うということなのだけど。

童話的なものに、苛立ちを覚えたかもしれない。なんで、なんで、なんで。と。
でも、僕は逆にそれが好きだ。なぜかとしつこく問うこと自体は好きだ。
そこから発展して考えたいし。

まとめ。

アリスをうまく演じたということ、そしてその世界観を表したというのが成功ならば、
僕は成功していると思う。下手…だとは決して思わない。役者も、演出なども。
でも、そこから何を訴えるかというのが弱いということか。
そこから何を訴えるだって?それは、その不思議さじゃないのかって?
それは・・・違うと思う。それなら、演劇を見る必要がない。

演劇はライブで、同じ台本でも同じ役者でも、いつも違うんだと思う。
もちろん、本も2回目読むと違うってのはある。

でも、でもね。
世界観を表すだけなら、本を読めばいいのではないかねと思う。

そもそも、演劇として演出家や作家が、わざわざ元ネタを加工した意味がない。
そういうこと。

つまり、そういう意味で、役者のらしさ、演出家らしさ、作家らしさの
らしさ。表現したい何かというのが見えなかった。
それがダメでしたーということなのかな。

酷評みたいっすけど、別に団体が憎いわけでもないので。
もし、関係者の人や、見た人いて、それは違うんじゃないかというのがあれば、
どんどんどうぞ。



ヒトラー

映画見てきた。
面白かった。

ヒトラーという人間をもっと知りたいと思った。
僕は別にヒトラーが好きとかいうわけじゃないけどね。

独裁者が人間らしいと思う時がある。
それは正常か異常か。愚問だ。

人はこう生きねばならないという規定はない。
けども、ルールなきところに何も生まれないと思う。

良く言うさ。
ルールって縛るだけのものだって。それはまだまだ甘いのうといっておこう。
だからといって、無駄なルールもあるわけだから、そこはがんがんつぶしていこう。

ヒトラーは・・・。どうだろ、歴史とか、ドイツとか、ヒトラーとか、
ナチとかユダヤとかに興味ないと・・・つまらんだろうね。

興味ある人にはおすすめちゃんちゃんこ。

勉強会からの知見

たまには箇条書きもいいっしょ。

・ニートは最先端。ニュータイプ
・教育の大切さ。アナウンスの大切さ。
・ゴミが目の前から消えると、なくなった気がする。けどもそーじゃないよ。
・科学技術において、工業化と技術化。目的の切り分けの必要性。
・戦争の背後にあるテーマ。エネルギー戦争。イデオロギー戦争。
・知ること、知ってもらうことで選択肢が広がる。で、そこから選ぶ。

とりあえず、ニートちゃんだけかいとこ。

ニートは前も書いたけども、時代が作った産物。
人間だけど、あえて産物と。

働かなくても暮らせるようにする。それが実現した。わーい。

でも、結果的にというか、現実として、お金が無理なく発生していれば?
何ら問題がない気がする・・・。ダメとはいわせない。

だからいいんじゃないかとも思う。そういう意味で。

経済成長云々はあえてスルー。
だって、経済云々いう人って、何か引っかかるから。
経済成長が大事といっても、例えば環境云々はあまり考えないのかしらね。
なんか偏ってる。環境問題云々いう人も逆にね。偏ってる。

僕は偏屈者にはなりたかないよ。
といってるこのブログは偏見の固まり。

さあ、誰を信じるか。うはは!

映画「日本国憲法」

まあ固い映画になるだろう。以前、最後の朋友であるこもれび氏と見にいった覚えがある。
チョムスキーの9・11という映画。インタビューだけども。

これはなかなか面白かった。チョムスキーというアメリカ人(だよね?)が、
鋭くアメリカを批判していたから。

今回の日本国憲法は、同じ監督が、日本国憲法のとりわけ「第九条」について、
とりあげたものだ。

遅れてしまったので、開始30分は見えなかったけども、
面白かったので、本も購入。パンフレット位置付けらしいけど、
結構可愛い?イラストが表紙で、内容の硬さ(笑)とのギャップが良い。

戦争について。これは知らなきゃいけないと思う。
最近共通した知見は「知ってやらないのか、知らないでやらないのか」では、
人生1回分くらい違うようだということ。

戦争をしっていて戦争するのか、戦争をしらないで戦争をするのか。

戦前に生まれ育った人は、戦争は繰り返したくないと言い、
そういう日本を見てきた人々は、日本はバカじゃないなら戦争をしないだろうと思っている。
必ず「戦争」が全て悪とはいわないけども、ただ人が死ぬだけで、そこに何があるのだろうかと、
問うたときに、戦争にはその問いに返せるだけのものがないことに気付く。

平和ボケというのは切り分ける必要がある。
日本は安全な国というのは、海外に出て初めて分かると思う。
観光客がスリにあうだとか、強盗にあうだとか、そういうレベルで、
無防備だった日本人観光客がいたとする。それは、「平和ボケ」といってもいい。

でも、日本という国家が、平和ボケというのはナンセンスだ。
自衛隊は確固としてあり、派遣という名のもとで軍を動かしている。
問題の本質は見られ方だ。別に人の目を気にして物事を行えというわけではなく。
外交とはそういうものだ。もし上手く「ごまかせれば」それまでかもしれないが、
結局「真摯」でなければ、何も変わらないのは、人間の本質…であると。

アメリカの属国としての日本がある。
飽食の時代はもう長くはないと思っているけど(笑)、沖縄はそういう意味で象徴的だ。
面白い事例というか、興味深い研究がある。
それはアメリカの海外基地を調査した結果、沖縄で起きていることは、海外でも起きている。
海外とは、アメリカ基地がある拠点のことだ。しかし、沖縄はひどすぎるという話。

沖縄に移住したいとか、話を聞くと、別にやめろとか、戦争の話をふっかけるつもりはない。
ひめゆりの塔や、平和公園があって…。そして基地があり人が住んでいる。
米軍のレイプ事件は表にはでないらしいが、いわゆる潜在的なものはもっとあるようだ。さらに、ヘリの墜落…。

新しいヘリポートを作るのに反対する沖縄の人々がいる。当然というか、そこには守るという気概がある。

沖縄を理解することは、僕には出来ないと思う。そう沖縄の人ではないからだ。
しかし、僕は理解しようとし、分かるだけ分かろうと思う。

もし、沖縄はパラダイスだといってのみ、沖縄を享受するのならば、
それはつくられた沖縄しか知らない人の考えだと、断言してみよう。
それくらい、沖縄は沖縄だと。そもそも沖縄は県じゃないと、勝手に僕は思っているくらいだから。
日本じゃないとかそういう変な話じゃなくて。

僕は僕のやり方で戦争に反対しようと思う。
例えばそれがここにブログを書く事であったりする。デモに参加するのも良いのだけど、
そこまでの熱が出てこない。他人事という感覚があるかもしれない。
それを受け入れた上で、やはり戦争のことについてもっと知らなきゃいけないと思う。

以前、虐殺したーという海外のニュースを思い出す…。
圧倒的に知らないことが多すぎる…。

翼をください

演劇。

毎週恒例となってきた。演劇を見るために生きる。
ブログを書くために生きる。本を読むために生きる。
朝飯のトーストがうまい!というために生きる。

今の仕事は少なくとも「つまらない」とは思わないが、「面白い」と手放しで
思えない。新人だからしょうがない?そういうのは嫌いだ。
ならば、圧倒的負荷を自分にかけるしかない。そう自分で自分に負荷をかける。

さて、本題。

この演劇は、ストーリーとしては、不良高校生というか、オチこぼれなクラスが
隣にある進学校を見返そうぜーというノリで、パフォーマンス(これが翼を下さいを歌うことになる)をして、何かを取り戻す?という話。

話自体はどっかにあるような話だけど、演劇としては、なんか良かった。
若い人が多いのか、演劇学校?の人だからか、面白い。
一人一人色々違った役割があって、いいなーと思った。演じてる。


熱いものがあった。自分を「役」をもって表現するというものが、
「身体活動」を通じて、直接伝わってくる。本の小説を読んでいては、決して感じられない領域のもの。
それがアートなのか!?と、少し知ったかぶりしてみよう。
言葉も大切だ。このブログは言葉で語っているし。でも、動き、表情、ムードも同時に大事だ。
もちろん、会議が雰囲気で決まるようなら、それはアホ会議だけれど。
(にしても、今食べてる、どんぐりガムうまい・・懐かしい!)

演出家からのコメントが案内にかかれている。引用させていただこう。

(中略)
 社会という組織に生きている以上、ルールは守る必要がある。しかしそのルールが
何のためにあるのか、常に自問してみることは大切だ。何のために勉強するのか、
何を求めて進学するのか、そして、自分は何のために生きているのか、勿論数学のような
答えが出る筈はないけれど、とにかく考えてみることが生きる力につながる。


うーん・・いいね。
本当にその通りだと思う。

考えることが生きる力につながる・・・本当にその通りだ。

考えてみて、やってみて、見届ける。どうなるかは分からない。
本当にやってみなきゃ分からない。


生きるとは何か、自分にとって何をしたいのか。非常に面白い。

にしても、翼を下さいって歌は本当に好きだなあ。元気出る。


戦争とか平和とか

見に行った。
正直掴めなかった。よって、アンケートにはまだ分からんということを書いておいた。
帰りにマックで飯をくらいつつ、考えてみた。

おそらくこの劇は、戦争という「死」を前にしているが、実際は平和な毎日。
そこで繰り広げられる日常を描いている。

そこは分かるというか、そうだと思う。

しかし、期待し過ぎたのか、「戦争」「平和」から僕の想像する、「生」や「死」が
ほとんどなかった。

恋愛もいいし、喜劇的な面白さもあるし、役者も悪くない(素人目でみて)と思った。
ストーリーが悪いわけではなくて、表現し切れてないだけだと感じる。

例えば、「死」なら、もっと恐ろしさや悲しさや不安を僕に伝えてくれるというか、
伝わるもののはず・・・。が、今回はゾクゾクするものがなく、見て気付いたら終わってたという、
満足感や納得や感激からくるものではなくて、単に見て終わっただけだったのだ。
これが悔しい。

実際に終わった直後、僕には分からなかった。何を表現したかったのかが。

仮に表現したかったものが、戦争を前にして繰り広げられる平和な日常だったならば、
それは表現できているような気もする。が、僕はそんな表現はどうでもいいと思うから、やっぱりどうでもいい。

とりあえずそんなところだ。

そこでもうちょっと考えてみた。

僕は演劇やら表現者に何を求めているか。
それって「熱さ」なんじゃないかって。その人間の熱さを求めている。
「表現したいんだ」という「熱さ」をひたすら求めている。
それを自己表現欲求だと言ってもいいかもしれない。とかく、そういう「熱い」人間が少ない気がする。
少なくとも自分の周りは「熱い」人間だらけだ。が、それって自分が探したというか、求めたからこそ
ある人達であって、なんだか非常に窮屈というか、難しいと思ってしまった>今の時代が。

演技もそうだけど、芸術とかそういうものは、語るわけにはいかないのだ。
だからこそ僕のこの演劇感想・レビューもあまり良くはないと思う。
実際に見たものが、感じるまま、というのが1番良い。言語化することによって、失われるものと、
曲解するものが出てきてしまうからだ。

そういいだすと、本のレビューも本当は書いてはいけないと思う。
けれど、本のレビューの意見なんぞあまり意味はない。書評などもそうだ。ありとあらゆるものがそうだと思う。
確かに参考になったりするし、面白いレビューもある。
しかし、実物に触れてこそ意味があって、つまらんものをつまらんと自分で感じるまで、
やはり何も言えないし、言うとそこで何か壊れてしまう気がする。

演劇は、明文化された台詞のもとに演じられる。そこで演技して、何かを訴える。
そしてレビューするものもここにいる。文字を書きつづければそこにストーリーが生まれ、
人に何かを与えてしまうという、非常に不思議なことが起きている。


僕は何か答えを求めて本を読んでいるわけではないし、演劇を見にいってるわけではないと思う。
そうではなくて、熱さを表現する手段を参考にしたいと思っているのだと思う。
多分これは、演劇好きという人に当てはまる「特性」ではないような気がする。
そもそも、僕は実践派ではなくて、頭で考える理論派だし。と、思っている。
僕の行動力なんぞ、おそらく小さきものだと思う。が、踏み込まねば何も起きないという自信がある。
だから踏み込んでいる。

懲りずに、来週も演劇へ行く。

演劇はテーマなのかな。良く分からんですな。

大事なもの 大切なこと

演劇見に行った。
最初、演出家からトークがあったのは驚いた。
早速感想。

まず、前半は面白くなかった。前半っていうか、あーこれネタバレになるんだ。
もし明日見にいく人いたら見ないように。あっしは責任とらんですぜ。

前半は面白くなかった。
12年ぶりの再開で、なんか盛り上がっているんだけど、それは演劇というか、
演じているという感覚がなかった。うーんそれはいいのか?
でも、ヒゲとアダナで呼ばれる人は弱虫だそうで、なんだかなあと思ってしまっただけ。

劇が始まる前に、演出者から「大切なものとか大事なことって何か、一度思い浮かべて」という話があった。
それは分かるのだけど、結構余分だった。というか、僕にとってだけど。
その余分というのは、次のフレーズ。
「「青臭い」「キザ」「臭い」言葉って思うかもしれないけど」というものだ。
僕はキザではない自信があるが、他人はどうみているか知らぬ。うるせーほっとけだ(笑)
それはいいとして、そういう青臭さが大事だと演劇前に言ってしまっているのだ。
それは何か違う気がする。

演劇とは何かなんぞ語るべきではないかもしれないけれど、
パフォーマーは常に、こういうことを伝えたいという想いがあると思っている。
そいつを伝えられたら成功!といっていいと思うが、
これは演劇前の話だ。しかも演出者からだ。初めての?公演ということもあって、
特別だったかもしれないけど。

演劇とは、演じることで表現するのであって、言葉で語ってはならんとすら思っている。

セクさんも言ってたけども、「詩を解説したら詩じゃない」と。
それが言いたい。演劇を解説したら、それは演劇じゃないって。
そりゃさ、ある公演をさ、何か誉めていたら見たくなるってのはあるけども、
それはまた別の話な気がする。
実際にそれで見て、どう思うかって話だからだ。

ストーリーはシンプルだ。
12歳、つまり小学校6年生の時に、12年後にこの場所で会おうと約束した仲間。
その仲間が24歳で集う。その時夢ってなんだったかなという話をまたするというもの。
だと思う。多分ね。
で、仲間の一人が夢ってそんな「コドモじみた」ことまだ考えてるのかって。
それがメインなところだと思う。

何を表現したいか?それは、「大事なもの 大切なこと」とは、「夢であり、希望であり」ということだったと思う。
それを「大人になる」と忘れてしまう。それでいいのか?って疑問を問うているのだと思う。

これは僕の感想であって、他の人はどう見たか知らないけれど。

で、実際にシンプルで分かりやすい。
けども、「青臭さ」は、前半ではほとんどなかったので、つまらないといったまで。
後半になると、グッと良くなった。面白かった。
けども、総合的にみると「青臭さ」が足りてない気がする。

もっともっと青臭くていいと思う。
というか、「青臭い」といってる時点で、もうそいつは「青臭さ」がないと思うのだけどね。
でも、それをさらに考えれば「青臭い」人間だともいえる。
だから、僕はまだまだ青臭い人間でいたいし、そう生きたい。
永遠のコドモを演じようではないかと(笑)

夢は大切だけども、それを押しつけるわけにはいかない。
といいつつ、このブログでは「夢がないやつは死んでしまえ」的なことをいってる。
最もこれは「自分が起業をするという夢」があるからで、
要は、上から人を見ているのであるといっていいだろう。うはは!
といってると器が小さいのでスルー求む。


まとめてみる・・。
値段から考えると、1500円は妥当かなと思う。というか、次見てみたいと思う。
お節介だけど、次もっと楽しめると良いと思ったから。
ただ、半年稽古して、6回公演で、客の入りは時間帯もあるけど、
そんな多くない・・・。

劇団員って貧乏って聞くけど、こりゃ絶対赤字だね・・・。
でも、そんな劇団は好きだし、頑張って欲しいと思うね。

圧倒的にパフォーマーは儲からない。
儲かることを考えた時点で、パフォーマーじゃないかもしれない。
ここが難しいところだ。

そう。表現するために生きているって。それくらいの感覚じゃないと、
表現しつづけることは出来ないから。

そういう意味で、色々学びはあった。

大事なものって何かって。それは夢じゃないかって。
シンプルだからこそ分かりやすい点もあった。

でも、僕にとっては、分からないくらい変なのがインパクトがあっていいと思う。
そんなの求めちゃいけないんだろうけど、合法ドラッグのような刺激があっても
良いと思う。あーこれはまずいのかな(笑)

演劇とか表現するって、もうある種、人間のレベルを越えてると思う。
ある漫画に超越って言葉じゃないけど、そういうのがあって、神を越えたみたいな(笑)
テンション高くてもうどうにでもなれ、みたいな良く分からない感覚。

そういうのものがどっかにある。
これってなんていうんだっけなあ。

とにかく、演劇は面白い。と思う。

近くのラーメン屋がうまかった・・。ラッキー。

国際フォトジャーナリズム写真展 in 名古屋

行ってきました。

思ったより写真は少なめだったかも。1部?3部まであるけど、1部が一番印象深い。

京都のウトロなんて知らんかった・・・。まずいね。
知らんこと多すぎるね。

同時に、インドの風習で、夫に先立たれると妻は「汚れている(けがれている)」と
されるなんて知らんかった。

知ってどうするかって?
くそみたいな小さな人間がもがいて生きているのって自分の中で、
想像するだけで滅茶苦茶面白いだけですよ。くそみたいな小さな人間って、自分のことですからね。誤解なきようね。

DAYSという写真雑誌があるけど、あれってそんなに年月経ってないんですな。

非常に考えてしまった。
イラク戦争もあるし、9・11もあったし。

米軍の兵士の被害のもあったし、もちろん戦争被害者の写真もあったし。
薬物中毒のもあった。色々あった。

土曜日とリンクしだした。
それは、写真はメディアというか、報道メディアというか、写真はやはり表現している。
命がけで写真を撮る。

昔というか前から思っていたことがある。
それは、死んでいく人を写真に取るなら、目の前で助けることはしないのかって。
これって、多分、多分だけど、一流の記者なり、写真家なら絶対常に考えていることだと思う。
そこらへんのボンクラ(笑)記者とか、はそんなことすら考えない。
それを多分、サラリーマン記者といっていいんだろう。もちろん、サラリーマンが全て悪いわけじゃないとは思う。

ここらへんやっと納得できた。やっぱダメなやつはいつまで立ってもダメだと思う。

あえて、撮るというべきだろうか。
世の中は広い。何か表現することで、誰かが変わるとか、誰かが動くとか、
何かが変わるとか。写真一枚で国家を動かすこともあるって。そういう感覚大好きだ。

本当に行って良かった。500円は安い。
17日までやってるみたいっす。それ以降は札幌行っちゃうね。


ここで得たもの。

メディアを作るというか、ブログでメディアを作りたいというか、
それを図書館とリンクさせてやろうかと思った。
それくらい、圧倒的に「表現」にはつまりつまったものがある。
圧倒的だ。

それを今学ぶというか、感じている。

今まで少ないけれども、色々見てきたものがやっと実になりつつあるという感じだ。
全部分かる必要はなくて、少しでも…というのが、おそらく多くのパフォーマーが願っていることだ。少しでも何かを感じるだけでいいと。そういうことだ。

むしろ、分かることなんてないのだと思う。

このメッセージは結構届いてないと思う。僕の誤解でなければいいが、
芸術はそんな堅苦しいものではない。むしろちょっとだけ気分を変えるために見る、聴くだけのような気がする。

そういう意味で、絵とか、演劇とか、音楽とかに興味がないというのは、
何かを閉ざしている気がする。
とかいってる自分の耳がいたいわ!(笑)



溺れる砂

ゴルジ隊という劇団の結成10周年公演。
初めて見たけど、確かに面白い。

けど、不満というか、感じたことをいえば、分からなかった。
これは僕の理解力、というか期待のしすぎだったかもしれない。

チラシの裏にこう書いてある。大意だけど、
「この芝居を書いた動機・・・は、そもそも豊かさとは何か」ということ。

ストーリーはえらく単純だといっていいだろう。多分。
島の民宿。島というのは、多分そんなに大きくない島。
都会の人がたまに遊びに来る島。そういう民宿で繰り広げられる話。
島の中学の同級生は、記憶を失うが、徐々に取り戻すが、
最後にまた倒れてしまう。

そこで、芝居は終わった。

非常に物足りなかったが、アンケート感想欄には、じっくり考えてみると書いた。

違うな。これはコメディなので、そこで笑っておしまいなのかもしれない。
いやはや、ここらへんは劇団の「表現」したいものと、そういうものと僕の感覚がミスマッチだっただけかもしれない。

そうなんだ。
キノの旅というライトノベルがある。あれを単にストーリーが面白いというだけで、
読むのが悪いわけじゃない。でも、僕はすごく哲学的に読めたんだ。
それを理解できないというか、僕の感覚が分からない人も多いんだろう。
というか、ライトノベルというのは、そこまで「考えなくて」良い小説だとすら思っている。
こういうとライトノベル作家に失礼か?その読者に失礼なのか?とは思うが、
そう思っているのだからしょうがない。
むしろ、その意味を覆す意味で、キノの旅は面白い。今後も読みたいし。


振り返って、豊かさとは何か。
おそらく、都会の人が島に遊びに来る。という日常的な風景?がある。
沖縄なんかそうだろうし、他にもそういう島は日本には一杯あるはず。
観光客は嫌いだが、自分がいざ旅に出れば観光客を演じることがよいこともあるから、わからないものだ。


何を伝えたかったのか。僕はそれを考えているが、何も出てこない。
お笑いだったなら、それは成功している。でも、それだけなのかって。
普通、お笑い芸人って、確かに笑いを狙っている。笑ってくれりゃいいとか思ってやってるかもしれないけど、
でも、それだけでとてもじゃないが、素人からみて「やっていける世界」じゃないと思う。
笑いをコンスタントにそれこそ3割くらい出すとか、あんま好きじゃないけどイチローみたいにね、それが当たり前…で、さらにそこに何かを表現していく。
それが必要なんじゃないかと。

その何かが出てくると、「司会」の仕事がくるとか、そういう気がする。あくまで想像だけど。
そういう厳しさみたいなのを知らずに、夢を見て芸能界はいりたーいというのは、
おそらく可哀想だと思う。いや、夢を見るのは勝手だけど、それと現実対応能力はあまり関係がないというか。多分。

だから、僕はそういう意味で不満だった。
単なるお笑い劇を見にいったわけじゃない。期待しすぎた自分がダメなのだろうか。

モンスターとしての私という劇は、そういう意味でテーマが分かりにくいようで、
しっかりしていた。ここらへんは作家と役者によるのだろうかね。好き好きとか。
難しいものだ。

でも、表現したいものが何かあるって意味でいえば、圧倒的にモンスターが上だったと思う。
それはコメディだろうと、なんだろうと関係ないと思う。

実際に僕は、音楽でも美術でも、鈍いだと鋭いだの、好きズキはあるけど、感じるものは
共通していたりするからだ。これじゃ理由にならないか。

まあ、とにかく、一聴衆の意見なり。
バカな批判をするつもりはないし、今後の活躍に期待したいというところですな。


プラス思考をすれば、こういうこともある。
好き好きってことかな。次行こう。

ITEBオフ会

行ってきました。

非常に楽しかったので、ここには書かず出し惜しみ(まて

それは「あんたのアウトプット方針」っちゅーもんに反するのではないかって?
いや。時には出し惜しむ。そして、読者を揺さぶり、ITEBに興味をもってもらう・・・作戦Bでござる。

各地?から色々な人が仕事をしに東京に来ていて、
今までというか、会社の同期とまた違って、刺激的でした。
良い出会いをありがとうございます。参加者の皆様。

おかげで、自分ももっと考えにゃならんと。じっとしとれんと。
現状に対する言い訳をしても、結局、逃げなきゃいいのかもしれんとか。
妄想をしつつ、まあ時には適当でもいいかなと。そんな感覚を(笑)

個人的には、今後が楽しみです。
ITEBがどういう風になっていくのか、ということです。

名古屋エリア担当を勝手に名乗ったので、
ITEBに参加したいという方は、どしどしどうぞ。

http://www.iteb2005.com/

どうでもいいですが、ITEB2005の2005って・・・。
まさか、次は2006になるのかな。うお・・妙に気になった。
どうくるんだ。ドキドキ。

ダイバシティー

今日は講演へ。

ちっと遅れて参加。人結構いるのね。やるね。

ダイバーシティとは、diversityとかき、多様性と訳すなり。

日産の方のお話だったけれど、まあ日産とかはどうでもいいとして、
多様性という言葉、共通モデルの消失とか、これって流れなのかなと思う。

要は、ジェンダーとか発言したとき、
僕の中では、ジェンダーってあるのかもしれないけど、
育児休暇を男がとってもいいと思うし、それが普通だと思うし。
なんていうか、UniSexっていう規格って前からあったっけ?と。
男が化粧という意味を無理矢理結びつければ、男は女性化したのかなと。(時差があるから変な表現だけど、これぞジェンダー?(笑))

「なよなよ」して、頼りない男は嫌だけど(男からみても)、
でもそれって「男らしく」ないといってもいいと思うけど(差別じゃあないと思ったり)、
でも…意味が変わる言葉だから、そんなもんかなーくらいの認識で。

まあ、それはいいとして、
多様性ってのがあるなら、一様性ってのもあるんだろうなあと。
一様で皆が同じっていうのは悪く聞こえるけど、別にダメじゃないんだよねえと思う。
結局流れが多様性なのかもしれない。
いや、流れというのは、差異があるからこそ、生まれるはず・・・ならば、
もうこの流れは止められないんだろうなあ。止める必要はないけど。

多様性=視野が広いというなら、一様性=視野が狭いということになるかもしれない。
けど、それはちょっと厳しいかな。違うっぽい。

違いを活かすという講師の方の部分が印象的だ。
要は、男性の役割と女性の役割が違うといってもいいし、女性の視点と男性の視点は違うといってもいい。
その視点は…男女に限らず、あらゆるところでいえる。これぞIts Diversity!

参加者は50人くらいはいたのかな、男性はほとんどおらず。
まあ、そんなもんなんだろうなあと思いつつ。
僕にとってはなかなか学びになるから参加するのみだ・・・。


いくつかネタを発見した。ふう。
来週は東京か。早い…。

偏愛マップ

行ってきた。

面白かった。

マップ恐るべし。

って書いたら、淡々としすぎて、淡白な人間だと思われそうなので、
あえて「そう思われないように」すべきか。それとも、はっきり言うべきか。
うん?(笑)


僕は今まで嘘をついたことがありません、という嘘があるというと、
多分「普通」の人間なら、頭が「うん?」となります。
そのスキをついて、攻撃するわけです。そう通称:つっつくわけです。
なんだか、「謎」世界の話ですが。まあ分かる人には分かる>つまり自分だけ(ひでー

嫌なものは「うーん」といい、面白いことには飛びつく。
それでいじゃないですか。やっぱスキなものはスキですよー。と。

参加された方お疲れ様です。
またお会いしましょう。ぐう。
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