ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

独り言

生き抜く仕組みは中間地帯の仕組み構築か。

1年ぶりくらいですね。

さて、ブログなどのアウトプットが減っているわけでないんですが、
ただ「ある程度読者を意識」しはじめると、「独り言」として、
いわばツイッターの長いやつみたいなものができなくなるんですね。

もちろん、ブログにコラムであるとか、ゆるいネタでいくのもありなんですが、
それってなぜか「そんなの読む人いない」ってことを意識するんですけど、
そうでもないなと。むしろ読む人はそういうところだけ読んでるとかってありそうです。

要はこれは絶対外せないっていうのは「気持ち」が出るのはプラス。
だけど、同時に力んで力が出ないってこともある。よって、外せないよねーってのは
微妙な感じがするわけですね。

全くプライベートで思考をまとめて、メモ書きしてコレは俺の思考。というのもありだし、
本来の日記でオフラインで書くのもいいですね。ただ、それって、
思考スピードと書くのが追いつかないのでイライラするということが、
まあすでにタイピングの段階でもそれくらいのスピードで打つわけで、
もう戻れないと。逆にゆっくりした文章が書けないっていうのにもなりますが、
そういうのってなんでもそうで(笑)

改めてこのブログの役割というかポジションですね。自分の中でです。
個人日記としてグッドだなと。そして自己啓発って本を読んで自分を啓発するわけですけど、
その自己啓発ブログとして自分で自分を啓発して、一種のマスターベーションっぽいんですが、
まあいいんじゃないのと。でも、それを垂れ流すなよってのもあるんですけど、
そもそも読まれるというか、自分が書きたいことを書くわけで、まさにインターネットの果てって感じで。
それをうまく利用しているだけで、何か政治や思想、あとビジネスとかも関係ないですしね。

かっこ良く言えば、中間地帯みたいなものでしょうか。
ギチギチにテーマが決まったりしたものってやっぱそれ以外話しづらい、
または別話題をそっちに編集するだけなんですよね。
じゃあ何もないところで集まれるか、飲み会って飲む+話すだけで、
当然そこにいる人がつまんないなら誰も来ないですよね(笑)
あと、俺の話しを聞けとか。

どちらでもない、一種の緩衝地帯とかいいなあと思うわけです。
相田みつをじゃないですが、どちらかが固いなら他方は柔らかければ割れないと。
言い得て妙で、いいですよね。

そのレンジというか、ギチギチからゆるゆるまでのこのポジショニング、
プロジェクト配置を適切に設定すればかなりノンストレスでいけるなあと感じています。
当然そういう話し相手だとか、時間を取れるとか、仕組みが必須です。
仕組みはどんな人とも交換できない自分価値が最大のものなので、
そこに惜しまないことがコツだなと思いますね。
 

独り言は続くのだ。

たんたんとやるべきとはいわないが、淡々とやっていったほうがいい。
理由は簡単で、そもそも何か派手にしたり、誇張する必要がないからだ。

それを着飾っていなくていいという人もいれば、もっと賑やかしたほうがいいという人もいる。
どーすりゃいいの(笑)

というわけで、決めるのは自分の心。

結局、学生卒業後、それなりに会社員して独立やってみて、今に至る。
そういう中で見えてきたものは相当数ある。

何度もチャレンジして諦めない。これが自分だ。

いけよいけよ、行けば分かるさ。 

真面目にやろう。

真面目すぎるならおちゃらけを。おちゃらけるなら真面目に。
みたいなバランス感覚で生きているわけですが、一方でこれらをやろうとするとき、稀にですが、
どっちなんだよ!という感じで構える人もいます。

まあ分からないでもないんですが、そんな一方的とか偏ったものってあまりないわけでして。
そこらへんを楽しんでいきたいと、私は思うわけです(笑)

さて、少し京都にいってきて、そこで思ったことは別ブログにかいたので書かないととして(笑)、
やはりこのバランスと同様で、社会性と事業性の両立ってわりと出来るんですが、まあ難しそうだと。
要は人のためにやるのはいいんですが、人のためにやって売上立たないっすとか、ではやっぱダメだと。その間を普通にさらっとやる。それがかっこいいわけですが、これ死ぬほど難しい。みたいなことを思いつつ、やらないと何でも出来ないというところがあります。あー(笑)

アクションとしては、100分の1サイズ、つまり1%で回すとかやってみる。ここにきてまさか1%ルールみたいなのが出てくるとは思いませんでしたが、1%ってわりと小さいんですが、それで十分ですね。まずは。時間も、記事も、お金も、動く量もなんでもいいんですが、そういうのでやってみて試せばいいと。そんな気分というか、まあその通りだなあと。

今年も終わりですけど、のんびり振り返っていきましょう。2014年は一瞬でしたねー。
みなさんも良いお年をー。
 

活字、メンテ、時間のゆとり、焦らない。

まあタイトルのまんまです。

要は、読書とか活字とかってわりと時間が必要で、あくせくしている人ってそういうものをなかなか取り入れられないかも。これって仕事で資料で必要で読む読書とは別としときます。小説をカフェで読み浸る、みたいなあの感じです。いい時間。

これらは結局小説とはいえ、自分の頭を使うわけで。想像力をたくましくして、その世界を見るわけですね。それって自分のセルフメンテナンス。自分と哲学的に向き合うわけではないけれど、自分と対話している感じがあります。そうそう、こういうのいいよねとか。あれやってなかったことを思い出した。要は時間をたっぷりつかって、良い出汁を取るみたいな感じなんですけど、伝わるかしらん。

時間のゆとりとは、結局時間をセルフメンテナンスとか色々と使うと溢れ出てくる、これは暇というよりも、余裕時間といったほうがいいです。これも大事。これは睡眠とか、のんびりするとか、そういう類の時間も当然です。

ここから、食べ物を作る(要は自分で料理するってことです。どんな手間でもいいから、やってみるとやはりそれは料理でいいと思っていて、それが大事ですね)。何かを直す。掃除をする。時間が最も大事な資源だとすると、それを使って作る、直す、キレイにするなどが出来る。もちろん働いてお金の獲得も大事ですが、お金の獲得のために生きているっていうのはやっぱつまんないというか、違うと。少なくとも楽しいことや、知らないことや、面白いことがあってこその人生であって、ただパンのために生きるにあらずですな。

焦らないとは、自分の考えとかを言い出すとそれが間違っているとか、適応しない部分も出てきます。もちろん一致しないとか適応できないのがあるからこそ、楽しいわけで。そんな時は、焦らずになるようになるというか、自分のやり方でのんびりと時間がかかるがそれでやってみよう。という構えが大事かなと思います。焦るとは、何かしらの比較を誰かとしたりしている状態で、競争としてはOKですが、それで自分の内なる声とかを制御されたらたまらないわけで。そこは自分治外法権を適用すべしと(笑)


環境を変えていく。

環境を変えていく。物理的な意味でも、精神的な意味でも。
とくに一方だけでは負担がかかることもあるが、同時にやるとさらに負担がかかることもあると。

ノリや勢いも大事。
でも、まあ色々と考えていくと、自分の内なる心に従ったほうが
何でも楽しい感じがする。自分大事にどうぞ。

少しずつ変えていく環境がどうなるかは分からないが、
意志として面白さを求めるならばどんどんと面白くなっていくはずではあると。

 

変わる時。

人はシンプルに自分を貫くことが難しい。
そうでもないか、そうでもあるか。

分からないがそういう時がある。そういう時って、変わる時のこと。

自分がどう思うかを客観的に判断するのもそうだし、定期的に見直すのも良い。
色々やれば見えてくるさーの精神で。

で、今日のメモとしては、
 トータルで出来るみたいな総合力で勝つ。ってそれ組織でなくて個人のトータル力なんだけど。
まあ、でもこだわって色々形に出来るってことは後々役立つはず。

あまり目先のことは考えずにやっていくのが後々面白くなるはずだと、
言い聞かせてふんばっていこう!これが最近の方針です。突き抜けてスカッとしてる! 

ステージ感とか。

色々な整理が始まった。とはいえ、別にそれだからなにかってことはない。

しかしながら一つ言えることは、
・自分の特性ややっていったら合うだろう、向いているみたいな仕事が見えてきた
・それは当然色々とやってきたからこその成果だ。やらないなら見えない。ってことはやってない人は一生みえないということでもあります(笑)
・ここでいう整理とは、いわゆる踏みとどまるとかでなくて、一旦棚卸ししてこういうことをしたらどうか。前は出来なかったかもしれないけど、こういうことはできないかなど。つまりぐっと膝を曲げて飛ぶ・・・飛ぶには屈するわけで、屈伸とは、曲がるから伸びるわけで、飛べるわけでってこと。その飛ぶための整理。整理とは屈むことに他なりませんがな。

みたいなことを感じている。

ここで飛ぶと何が起きるかは知らないが、 いつもそうだったし、今もそうだけど。

とてもワクワクするとか、とてもオモシロそうみたいなことを常にやっていくにはそういう生き方だし、こういう生き方で僕はやっていくんだという、再確認でもありますね。

 

常に面白いかどうかを問う

迷うことがあったら原点に戻ってみる。
それ面白いの?なんでやってるの?やりたいからでしょうと。

イヤイヤなことをやるならイヤイヤ分お金くれよみたいなことでw
同時に、嫌なことをしないからこそ自由にやるってことですな。

経営者としての判断いいじゃない。事業を作るの楽しいじゃない。
色々やって人生大いに楽しい感じになってきていいじゃない。

そんな感じですな。 

物事をうまい具合に編集して形にする

ポツポツとですが、今まで違う形でアイデアを形にする、経験値でカバーリングしているような気がしないでもないが、それらができつつあると。

4年前とかなら、絶対に簡単でないというか、できなかったことも今なら出来る。
もちろん、4年前出来なかったことを今やりたいかということもあるけど(笑)それはおいておいて、
アイデアを形にするということをこだわってやってきてよかったなあと思う。

振り返れば色々な人に、それは儲からないとか、無謀だとか、そういうのはボランティアだとか、
言いたい放題言われてきた、いや逆にいえば、こちらは言いたい放題貫いてきたわけなんだけど、
だからこそ、そこでもみ合ってこその今となったのだと言えるはず。

自分にとって大事なことはほとんど変わってなく、そういうアイデアを形にする楽しさを
さらに磨いていって、今に至る。まさに泥団子がピカピカになるみたいな感じ。

そのイメージがどんどん と明確に、かつクリアになっていくこと。
素晴らしいじゃなあないか、素敵じゃないかと。確実に踏み固めながら、
さあ、今年も踏ん張っていきますかと。もう半年経ってるけどね。
 

わりとできる

楽しいことも、辛いことも?悲しいことも色々とあった。それは1日でなく、人生においてだ。

それらを統合し、そして何をしていくべきかを考えていくと、
明確に残った、それは何かしら濾過的な何かといったほうがいいが、
それが何かしらのシゴトを作るということであり、何かしらの事業をするということであり、
何かしらの課題を解決することことであり、世の中に何かしら関わるということであり、
何かしらの自由さをコントロールすることである。みたいなことに到達した。

自分に対する自信というものが大事だ。
とはいえ、自信が常にあるということはない。しかしながら、
何かやっていけば「自分でも出来るんだ」という自信が出来たりする。
その時がチャンスでもある。どんどんやろう。きっと出来るさ。

 

勉強の仕方

昔というほどでもないが、夏頃に聞いた話をメモ。
とはいえそれらはメモであり私の考えではないと思いつつも、消化して
取り込んでみよう。

まずそもそもの話として、夢とか目標がないとわりと毎日はダラダラになっていくし、それが面白いの?というと多分それほどおもしろくない。夢がではなく、何もない毎日がだ。

でも、人は何もない毎日や日常、普通であることに、幸せを感じたりすることもあり、これまたむずい。しかし、普通に考えてやる気があったり、毎日が楽しいとは結局自分が誰かから認められたり、社会に存在を見出す、一人ではない、何かしら関わりがあることに重きがあるのではないかと。もちろん職人的自分のスキルを示すとか、裏方でひっそり生きるとか色々あるんだけれど。

では、自分にとってのプラチナチケット、つまり唯一無二の価値などは何か。それはもう言うまでもないが、仕事づくりとなった。なったというのは、なってしまったでもいいし、それが一番面白いというところだ。自分にとって加工しやいし、話としても取り込みやすい。なんていうかプロトコルに近いというか・・・。つまり変換アダプターでもあり、共通で取り込みやすいモジュールでありといったところで、そうだなあ便利な掃除機のフィルターみたいな互換性結構あるやつみたいな感じというところ。

またそれはプランナーでもあり、企画を作るということもそうだが、それは広義では仕事づくりに入るので、ここではスルーできる。価値あることは仕事づくりであり、そのためならわりと色々我慢もできたり、色々楽しみをほかっておいてもいいというか。うーん、やっぱり好きだな!っていう感じ。例えばそれにおいて仕込みがあって多少辛くても耐えられるということ。

次に3つある。1つは戦略であり、1つは方法論であり、最後はメンタル。どれも必須なのだということだ。そして、戦略って何か。ラクスル発想、楽するだ、人がやったことを学べば次は楽。車輪の再発明は大いにせずにするなら、そこからさっさと次にいくと。仕事づくりにおける戦略とは、わりと簡単に決まっていて、人とあうこと、たくさんの仕事をつくること、人にそれらを提供することなど。そして作ったらそれを仕組み化すること。簡単でしょうというか、それをやりたいかどうかが大事か。

方法論は戦術といってもいいと思う。つまり、仕事づくりといっても、何ができそうか、明日またはじゃあ今から何かやることが・・・となったら手が止まるようではアウト。戦術レベルに落としこむ必要がある。方法とはたくさんあるわけなので。

最後のメンタルは昔はそれほどだと思うが、試合や勝負、色々な仕事を通してわりと失敗ベースで考えても、形をじわじわやってけば多分わりとできるよね的なことが見えてきたので、メンタルもOKだと。

つまり、落とし込みとして、戦略は当然立てるし、プラチナチケット的なものもセットされている。方法論はわりと論じるほどではないが、戦術レベルで落とし込みも可能。でメンタルもOKってことで、わりと形はできているので、というか、これは学習法とか、勉強の話というところと、人生論と全く変わらないのがポイントじゃあないかと。ツァイガルニック効果でもかまして、さあ勉強しようとw 

つまり、成功するってそういうことだ。

時差ではないかもしれないが多分こうだろうということがある。

以前ロジとして書いたのものそうだが、
つまり、ある程度成功するみたいな感じって、
一つのことをやるときに複数のアイデアが湧き出てくること。
それに尽きる。多分一個やって一個終わりっすみたいなことではなくて。

最前線で闘う時に常に補充がされていたら。
そう、米兵パイロットは休暇があったのだという第二次世界大戦での話があるなら、
もうそりゃそんな相手に特攻しても意味は無いわけで。

補給や裏方。食料や流通。パイプラインやストック。
見えないところでどうではない。確実にそれをやり続ける継続性。
ここらが抑えられてないとやっぱ長続きしない。逆にいえば長く続いているのは、
それを認めるかどうかはおいておいて、やはりそういう理由がある。

人がいるとか、知恵者がいる、または慕われるなど。
そういうところを見ずに(というか見えないんだろうけど)、何か飛びついて成功だでは、
足元救われてあぼーんってことで。
 

ロジ、路地でなくて、そのロジを整えていつでも出撃できる、かつ仕組み。

的なそれがあればいいと。

要するに現地調達で食料調達計画がないとかダメなわけで。
例えばこれがミスったとしても、これがあるし、それで対応できると。
そういうのがロジではないかと。

それは失敗に対するケアであり、または失敗してもフォローできるという仕組みであり、
例えば枯渇せずに何度もチャレンジできるという仕組み。

仕組みというと良くわからないが、ロジを継続していって、
何度もコップの水は満タンになる。もちろん無尽蔵ではないかもしれないが、
じゃあ無尽蔵に近いような仕組みは出来ないか。

例えば人ならちゃんと寝るとか、食べるとか、健康的に動くとか。
そういうこと。それがきちっとできていたら当たり前だが、継続的に動けることになるし、
実際に動ける。それを戦術としてではなく、戦略の一部として捉え、
補充や裏方やバックヤードを疎かにしない。前っつらだけ良ければイイとか思うかもしれないが、
じゃあ後ろっつらがダメなら、やはり前もダメになってくるわけで。

これがどうもやっとしっくり来るようになった。
ので、出来ないとかでなくて、どうすると継続して戦えるか。
またはロジを整えたら、ある程度相手のリソース切れをまてるか。

何でも将棋なんてものを始めたからかもしれない。ロジは大事。
ロジとは、持ち駒が豊富にあればあるほどいいし、かつ打ち手がたくさんあったほうがいい。
これも選択肢が多いほうがいいという考えにあうのだが、人によっては迷うこともある。
選択肢が多いから迷うのは少し意味が違っていて、
じゃあ選択肢が一個とか少ないから迷わないから、良いかというと・・・。

実はそのアクテをやってはいけないかもしれないのに、やっているかもしれないわけで。
悪手はあくて。だからやっぱり選択肢の数とそれは別だと思う。

なので、そうやってロジを大事にしつつ、仕組みを作って裏方回して、
枯れないスタイルをつくって、前線で闘う。これは結構出来そうな感じはしているのでやる。
 

学び方を変える。

効率的に何かやるとか、その目標達成がどうとか。
難しいのは、じゃあ効率的とか色々考えていって子ども的な人が、
それをできるか。

実際にある年齢で人より秀でてたとして、
その人は社会認識はスーパー甘くなることもある。
が、しかし、少年?の才能を詰むこともまたおかしいというか、どうなんだろうと。

難しいがどちらも理があることもある。まあ全くナンセンスなこともありつつ。

親になるからには、その子どもにこうなってほしいという思いは大事だ。
でも、同時に一方でその子が自我をもてばやりたいようにやるが一番だろう。

幸せはどこかでmakeするのではなく、やはりよーくlookすることで、
そこからfeelするみたいな感じが近い。幸せでなくてもコツとか何かって大体そういう学習なんだろうと。
いやはや、世の中は学ぶことだらけだ。
 

言わなくても出来るか。

例えば、自分がやっていることが言われたからやってるんですよーって。
そういう主体性がないもので全て構成されていた世界があるなら、
それはそれでいいのかもしれないが(そこには主体性というのがまず理解しづらいし、
そもそもそれがマストかどうかもわからないんですけど)、
ただ、やっぱり主体で、こう決めてやったらこうなったってことが実感として
分からないことの連続・・・になってしまうんじゃないかと。

それが言わなくてもやるとか、出来るみたいなことで。
言わないけど読んで先読みしてやるとかってわりとスキルとして、
シミュレーション、仮説、様々ありそうだと。そういうのが好きという感じではないけど、
とはいえ、やはり面白い分野だと常に感じる。

ので、言われなくても自分がやってしまうところはどこか。
それが肝になるし、原動力だし、継続になるポイントっぽい。 

丁寧にやること。一手間入れること。

最近意識しているのは、丁寧にやることだ。
あーここで面倒だと思って適当にしないこと。きっちりというよりも、一手間入れるとそれ以上によくなることが多い。1の手間が、3の評価みたいなイメージ。分かる人には分かるかもしれないが、手間だと思っている人にはそれは要らない手間だと思うらしい。

丁寧にやることで、評価が高くなるならその時間投資、手間投資は価値がある。
逆に最後の仕上げをしっかりしないことで、乱雑になることもある。

やり切ることが出来ない人も多いが、やるきる自信は結構あることに気づけたので、多分一手間を入れていけるか、確実に形にしていく時に、丁寧にやれるかってところなんじゃないかと思ったり。


字でいうと、うまい字ではなくて丁寧な字かどうか。それは分かる。
仕事もそうで、すごいレベルの高い質の高い仕事ではなく、丁寧な仕事か。
もちろんうまい=丁寧=質の高いみたいな人もいるが、実際は丁寧さと旨さは別物だと思う。
しかし、多くはうまい人は丁寧だし、丁寧な人はうまい。

お金の扱い方も丁寧な人はやはり稼げると思う。稼ぐ人は丁寧だ。
一時的にお金が入った人は乱暴にお金を扱うかもしれない。だからやはり稼げない。

ここらへんは結構分かってきた。あとは一手間を丁寧にやっていって、
形になるところを目指すだけですな。
 

出来ると信じ切るか。

出来ると信じれるかどうか。そこらへんが結局生命線か、または器量か。
そんなことを思った。

そして、出来るからやるのか、出来そうだからやるのか。
一見できなさそうだけどやると出来るってことになるからやるのか。
そんなことを思ったり。微妙に違うので。

何かを成し遂げるというのも大げさなもの。実はわりとそんなの驚くべきことではないっすよってことが
実は価値になることが多いというか、それが才能ってやつかなと。 

アベレージを意識する。いわゆる大器晩成なそれ。

梅原氏の勝ち続ける意志力は面白い。ぜひ気になる人は読んでみたらということで。

さて、勝ち続けることはないにしても、アベレージで勝っていくプロ、または人がいるし、
そうではないと野球のバッターボックスにも立てない。打てる時もあるが打てない時もある、
その都度0か1だが、10回立ったり、一シーズン経ってどうか。3割打てるとか打てないとか。

まあ、色々あるが、そのパフォーマンス結果、アベレージ平均ヒット率的な、率。
それを意識すると当然「次は打とう」「打てない時もある」が、言い訳ではなく、
分析や解析、原因追求となっていきやすいか。もちろん人によっては「次打てばいいんでしょ」的なことにもなる。

また短期と長期それぞれにあるのは、今できなきゃ意味ないってことと、今やれても「例えば打ち続けることはできない」ことが見えるかどうか的な話もあって。フリーターって言葉が流行った時も同じ感じだったかもしれないし、そんなの真剣にやるやつはいないって。みたいな。

当然時代が変わる。ここ30年で会社員ほどワーディングとして、言葉の意味合いが揺れたものはないとは思う。というか、未だにぶれぶれの言葉だ。そしてこの言葉にサラリーマンであるとか、会社で勤めるなどの意味合い。それらの考察もどっぷり出てくるようになるのは、また10年はかかるかもしれない。なんでそれで食べるか、なんで稼ぐか、仕事するか。考察が増えるなら、それらに関連するワードが増加するし、それらを実際に色々な人から聞くようにはなりそうだ。まあ、そういうのが面白いんだけど。

30という年齢になってもうすぐ、2年になる。そう32だ。
この年齢になって落ち着きが出るとかっていうとそういうことはないが、とはいえ、若い感じでわー勢いだみたいなテイはやはりなくなってくる。若い人はやっぱりそうなんだーッて思うかもしれないが、実際に30代は若い。むしろこれからっすよねみたいな感じはある。言い訳かもしれない(笑)

同時に、だからこそ、ここはこういうのが良さそうだと今までできなかったところであきらめるなら、違う方法を考えてとかそういう事ができるようになった。仮にそれが出来なくても出来ないことが分かるし、あと出来る人がいたらその人にとかも「判断」がその状況をみて出来るようになったのは大きい。というか、これはすごいことだと思うが、体感しないとなかなか。

多くの敗因とか、ダメな理由は、若さってことでいえば、「自分が悪いと思ってるし当然そうだから、謝ったほうがいい」時に謝れない。そういう自律の甘さはある。年齢が20代とかで若いのに自律の心がある人は相当伸びるだろう。その人がほかっておいても、他の人が見逃さないからね。

というわけで、ベタになるが、こうなる。
長期視点でみつつ、負ける時もある勝つ時もね、ただ、短期ばかりみずに、長期に逃げない。
同じことを10年前もいってたかもしれないが、意味は違ってる。これが成長するってことじゃないかなと。
 

行くべきところに行く

思考を整理するみたいな時間をわりと取ると。
そして生まれるものが何かを考える。
トピックか何かだけとりあえず流しておこう。

まず企画においてある程度形成というかこう形になったらいいなというのがある。
が、実はそれをどういっても伝わりづらいこともあるし、伝わっても遅いというのがあるので、
わりと調整するが、ちゃんとやってねみたいなのが前提。マッチョではない。

仕事の価値観、仕事観、シゴト観。当然それらが形成されるか、形成されたそれによって人生が割と決まる。
というと結構極論だけど、どうだろう、人によっては仕事なんてどうでもいい人だっていると思う。
でも、他に社会にいる人と多く関わって何か出来ること、知らないというかないんじゃないかっていうのが結論。
アートでも、それは仕事的にやったほうがいいという感じはある。誤解はありそうだが。

「働きマン」の主人公松岡が言う「仕事したっていって死ぬ」みたいなバリバリな感じは嫌いではない。どうせやるならやったほうがいい。という感覚があるし、まだまだ全然やれまっせというのがあるし、まだまだ本気出してないぜ、でもいつ出すのーみたいなところがある。本気を出した、出しきったみたいなことをやらないと屈伸としての、バネがいつまでも作動しない感じがある。

世の中には情報が溢れている。例えば個人発信ツールの定番となったブログも誰もがやっていて、その信憑性というか信頼性なんて個人で担保するしかない。それって本当に個人が発信しているんだけど、なんかバラ色の世界でもなさそう。

仕事作りみたいなものをトライしていく、伊藤さんのナリワイづくりが現状僕には一番しっくり来る。それがわりとお金になっても、全然ダメでもそのトライが自分の糧になる感じがするし面白い。もちろんそれをブラック的搾取だということも可能。ここも誤解がある。というか多くの人はわかりづらくて誤解をしているだけだろうというのもあるが、それを優位に捉えることもないわけで。信じてくれみたいなことになっちゃう。または皆一回死ねばいいのにみたいな。

なんだかんだいって、僕らなのか、僕なのか、働き方、生き方だとかいって色々と話しすぎたような気がする。話し過ぎたというと偉そうなポジションなのだけど、えらくはない。ただ、もっと実践しないとバランスが悪い。座学しすぎて理屈でハンドルの握り方だけ知っているみたいな・・・。理屈で説明する意味合いはほとんどない、運転できればいいわけで。語りすぎ、話しすぎ何でもいいけど、色々口ばっかなんじゃないかという少しだけ否定していく感じがある。実際に形にしたり仕事を作れなかったら意味がないとすら思ってる。

コミュニティみたいなのを意識していた。ただ、コミュニティも消費される面もある良くも悪くも。個人的には、活用してくれる人は好きだが、集まったら集まったで何かしなくちゃみたいなのがある。当然そういうプレッシャーみたいなものは全くない。

コミュニティ生成1年で、2年目にトライ。ただ、個人リソースの限界とは、つまり色々やって色々コラボしてみたいなのは、実際にそういうコラボしてるようにみえるかもしれないが、ちょっと控える。またはやり方を変えていく。

個人的な成功、または個人的にうまくいったことはある。また失敗したということもある。ぼくらのシゴトだけではなく、色々とシゴトにおいてもシゴトづくりにおいても。トライした結果というのだから勲章でもいいだろう。ただ、やはり逃げられないのは、社会という大きなというより、もごもごと口の中にいる、なんか気になるという連中だ。連中ってのは別に特定の人を指すわけではない。社会はitなのかsheなのか分からないけど。

仕方がない話だが、僕は一人だ。一人というのはどうあがいても、誰かにはなれないし(変身願望では答えとならない)、そして誰か分身を作るのもどうも気持ち悪い(というか無理だけど)。そして、組織化して事業化してみたいなのは普通に選択肢があるが、そういう話ではない。端的にいって、個人で何かをスタートする時に、必ず一人である程度やるみたいなことがないと(たまに誰かと専門的なことを分担するからいいというのもあるが、それってやはり相当の気合(笑)が必須なので、ほぼ一緒なリソースを使うんじゃないかって)ダメなんだろうと。

結論的には、リソースを個人は限られる。それを痛感する2年であったといっていい。物事は良かったといっても、ボリューム感は低い。また悪いと言っても大した失敗でもない。ならば限られたリソースでどこまでやれるか、または何をできたら満足できるかに、そういった欲望?理想?イメージを絞り込んでいく必要があると思った。端的にいえば、やること整理してそれに特化する。それを選択と集中という言葉で表現したい。

まず選択とは、数ある実施していることなどでそれらを一つにまとめなくてもいいから、減らすこと。例えば企画イベントみたいなことは気づいたらめちゃくちゃやってた。どうりで何か時間がないわけだ。時間がないというよりも、それらを継続しなきゃという意識よりも、それをうまく個人リソースシステムに入れてたから気付きにくかった。それらの整理。

次に集中とは、一体自分は何がしたいんだということに向き合うこと。これは格好良さそうだが、わりとストイックで、ストイック嫌いな人にはなかなか一緒に食べると消化不良になりそう。好きな人はいいけど。

結果としては、ナリワイ的に、つまりシゴト自体をどんどん作り、それをスモールビジネスレベル(例えば自分が食える定義は数字でも明確。それに見合うようなものをやるが、人を雇っても数人、または外注でアウトソース)に仕上げる。夢はでっかくもいいのだけど、現実的に言えばおそらくこのスモールビジネスでしっかりと回していくことに集中すると割といい方向にいきそうだという感触。

当然スモールであれ、ビジネスなので全くリスクがないわけではない。しかしリスクを下げ、個人でもやれることをやれば十分に行けるという感覚がある。この感覚のために、2年くらいあーでもないこーでもないということをやってきたといってもいい。というか、そうやって言い切らないとなんともやりきれない話でもある。正直。

ここで外したのは、結構、理想主義的に「社会を面白くする」という言葉が好きだし、また社会って色々な人がいていいなというのがあるし、そういう人に出会いたい。残念ながらなのか不明だが、実質、どんなフリーになろうが、仕事を「自分の生態系システム」で完結できない以上(実際はできない)、人に関わる、提供する原理があるので、当然お金をもらう仕組みだから、結果的に社会を外だと認識しても、その外と関わる必要がある。いや逆だ。もっと社会を知らなくちゃいけなくなる。

矛盾するこの自由になろうとするとより、社会を知ろうとしなきゃいけない。つまり、社会は波であり、その状態を知らないと漁師も魚を釣れない。そんな関係。ただ、集合体となると人は変わってくる。組織や集団の概念、または企業の概念は面白いけれど、色々なやり方によっては全くナンセンスなことにもなりかねない。

社会を知りたいし、より知ることもいい。個別の課題でもいいし、足を突っ込んだら見えてくる何かポイントでもいい。例えば商店街の活性化なんて出来ないというのは(成功例はなくはないが)、そもそもイオンが便利だから商店街の人も行くわけで、そして活性化したい人が外野である。または外野ではなく商店街主=個人、でリソースが限られる。もちろん、するなということではなく、なぜできないかということのある種の答えだ。それをある程度しった上でやるならいいのではないかと思う。

例えばそんなことをやろうとして「あれ?うまくいかないな」となる時、どうするか。わりと参考になるテストワードというか、自分を試す言葉がある。それは「それ大したことないね」っていわれたらムカッといらつく、舐められたとか思われるか。例えば、アイデアに関して「大したことないですね。そんなの僕でも知ってますよ」でもいい。そうなると相当負けたくない。逆に「釣りやるんですよ、すごいでしょ」って自慢されても「へー」だ。何も起きない。

そのイライラとする、負けたくねーな、というのは、アイデアでもあるし、アイデアの実現性でもあるし、どこまで形にできたかにコダワリたいので(お金よりアイデア、例えばお金が実質ないわけであるのでそもそもこう考えないとやってられないのもあるが)、そして、やはり生み出すこと、「結構考えれば何でもできるよねー」みたいな考えが好き、比較的器用=marcoな人間という話でまとめてる、ブリコラージュ色々とやる人、青魔道士的にラーニング(魔法剣士よりいいかも)、というところで抜きん出て生きていきたい。ということになる。そして、ビジネスとは分かりやすく色々なアイデアを形にしてお金が回る仕組みを作るということで、そこでやはり仕掛けると。

そして僕が今やりたいことは明確で、スモールビジネス的なものとしてある程度見せられる形になったらこうしたらナリワイできるかもねーくらいのことは話をしていきたい。当然それを目指す人もいいし、やっぱり勤めるほうが無難という横目でもいいと思う。

人生を思い切り楽しむでもいい。人生を自分の思ったように生きるでもなんでもいい。起業とか、自分でやるとかいった瞬間に、どんな小さなレベルでも、バイトでもなんでもいいから生き抜いてそして最後に一泡吹かせてみせるみたいなことをわりと真剣に考えた。今でもどうにもならない時にどうするかリストみたいなことを作ったエクセルリストが懐かしい。けど、全くそれが消えたわけでもない。今でもある。俺はそんなのやだというのも分かる。理屈としては優秀な人はバイトまたは人からより必要とされる仕事に移っていくというのがある。当然そういうことを考える。

自分が思うようにやってみろと言われて生きてきた。それがある程度の放任なのか、任せてくれたのか。親には感謝している。もしかして僕の思考は全く社会的に適合しないかもしれないし、または全く歯が立たないかもしれないし、勝負のフィールドに乗って行かないかもしれない。ただ、まだまだやり切った感はほとんどない。いよいよ準備は整った、これから出港だという感じだ。


行くべきところに行こう。

さらなる整理を。

心身でいえば、といいつついってないのだが、大分仕事の整理が出来てきた。
次に、部屋であるとか色々なものを比較的厳し目に整理していく。断捨離みたいな。

それがどうかはおいておいて、なんだか整理していきたい時期ではある。
色々と楽しいことだけではないんだけど、楽しい感じ。何か始まる感じが良い。 

社会人的マナーとか。

アイデアについて細かい違いが分かる気がするということで、
それは違うからどうとかではなくて、高解像度で見えるようになったということで、
一つ自分の成長になったのではないかと。一つの感慨深いというか、ここまで来たなというところで。

次にどうでもよくないが、ネチケット、またはエチケット、そしてネットを離れたマナーなどなど。
実際に飲食店にくわえタバコで来店するオジサンがいてびっくりしたが、まあマナーは悪い感じだなあと。
いわば、飲食店にペットボトルを飲みながら入ってくる感じ。海の家ならありだけど、ここは都会のお店ですみたいな。

TPOと運、または経験や年齢か。難しいが、ある種の習慣、または行為が全てでOKということもない。
おじさんにしみてみれば「喫煙できる飲食店だから、いいと思った」なーんていいそうだ。

冷蔵庫に入るとか入らないとかはおいておいて、昔からでもないけど、罰を与えることで行為を辞めようとさせるみたいな、いわゆる体罰的教育って効き目がないというか、死刑もある種、まあ殺すよりも労働で報いさせるみたいなほうがいいかどうかはスルーだけど、罰則の強化はそこまで意味がないかもというのがありつつ。

冷蔵庫問題があるとき、同時に地下鉄で電車を待つ。並ぶという概念がないところならまだしも、わりと並ぶでしょうというところで、そんなの関係ないごとく突っ込んでくる、おじさんもいれば、どちらかというシニアが多いのだけど、そんな機敏に動けるなら座る必要性はないだろうし、そもそも抜かすなよーとか思うんだけど、マナーとかそういうのはもっとできてない人は多い。自分のことはとりあえず棚に上げておくけど。

つまり、若い人x罰則とかでなく、今の大人がわりと全然ダメだからこうなったって見方の方がわりと謙虚かも。同時に、そういうのを探す暇があればわりと仕事して生産性高めたほうがいいというか。優等生正義感というくらいしか説明がつかない、また本当に暇かどうか。人にかまってられるくらい暇かどうかってのは重要な指標かもしれないけどね。
 

モチベーションについて

良い意味ではない。むしろ、モチベーションが湧いているのでいけそうです。みたいな風に使っている人がほとんどいない、いてもいいのだろうが、いないってことで、この言葉のマイナスイメージがもったいないくらいだ。

実際は動機づけであり、ニュートラルな形で使えるはず。

問題は、モチベーションって、心理的な意味合いが言われるのに、メンタルで、がんばればやる気でるよねーみたいな話になったりするし、逆にモチベーションがうまく仕組みとして、エンジンとして動く人は、そんな言葉使わない。こういう状態は二極化って言葉とは違うんだけど、まあそれに近い。

つまり、隣の芝が青いのはそう見える心理もあるし、同じくらいの程度で、実際に芝をうまくカットする技術やそれらにかける時間やノウハウやコツ的なものや・・・まあ、要するに違いがあるのだということだ。

だからこうなる。
人がモチベーションがあるとか、やる気が色々あってすごいなーとか思ったら自分のどこと違うか。わからないなら聞いてみればいい。モチベーションについて結構教えてくれる人は多い。まあ、もちろんそれを聞いたらできるかっていったら多くの人はできない。僕もできないと思う。やっぱりそう簡単に出来たら「青く見えない」わけで「憧れる」ことすらないというか。

そう憧れが覚める?とか、追いかけないとか、気にならないってのは既にそのレベルは突破したり、違う対象になったということだと思う。繰り返して同じレベルで繰り返す人もいるけど、まあ好きでやってるんだから迷惑にならない限りOKみたいなことでもある(笑)

とりあえず、モチベーションがわかないとか、やる気が出ない。大いにそういう状態を楽しんだほうがイイような気がする。ただ病的にやりたいのに起きることができないみたいなものは、心の病かもしれません。とはいえ、別に医者いけば治るってわけでもこれまたないので、自分を見つつ色々と考えるのがいいんでしょうね。まあ、考えこんではまるひともいるので、人の話は疑っていきましょうってことで。

あと、これらモチベーションについてもどんどん疑って、しっくり来るものを選ぼうということですね(笑) 

切り替わる。

時という資源を支配下におき、そしてお金という資源も支配下においた。
コントローラブル、支配可能であるなら、まあ言葉をかえれば自由度が高い(完全な自由というのはそもそも混乱しやすい。よくそれで死ぬというかw)というところ。

この状態になる意味は、一時的にであれ何かやりたいこととか、実現したいことがあるから。
そして一時的にまた時間とお金のリソースは減る。そのやりたいことに使うから。

結果的に常に時間とお金があるのは人生は面白くないというか、ある程度いけばそうなるんだろうけど、
金持ちは金持ちなりに、時間持ちは時間持ちに悩みはありそうだ。これは想定内だ。

暇がある人は羨ましいとは思わない。暇でないからとかでなくて、暇の状態がなぜおきて、
どうしてそうなったか、そして何でその時間リソースを使うかが大事だから。暇だからどうとかはない。
暇はあるけど退屈している人ほどつまらないわけで。暇でなんかワクワクしてる人がいい。徒然草風だ。

時間がないからといって嘆くこともない。それが一時的であればいい。継続的に時間がないとき、
それが想定しているか、それとも勝手にそうなっているか。それは支配されているので見直しをおすすめする。

お金については、あっても貯金だけしている人もどうかと思う。そんないないとおもいきや、貯金が好きな人はいる。お金はお金があるところに集まってくるとしても、独り占めしていいものでもないというか、円滑油。使うとその対象者全体に、また組織にお金が流れてそこからまた消費がみたいなものがある。

多くの人は労働において一時的にストックしているので自分の財産となるし、資産なのだが、
まあひーこら働いても2億程度しか稼げない。2億ってすごそうだけど、こつこつやってお金貯めるのがダメではないし、自分も悪くないと思う。が、コツコツやっていくことと、ここぞという時に使えるのは相反しない。どうもコツコツだと、そうやってダイナミックにここぞという時の局面で使えないというか使わない。

常に一定ほどの哲学的な何かがあればいいが、どうもそういう話でもなくなんとなく怖いから、このままがいいとかいう安住、従順の道に思える。別にそれでもいいのだが、自分はヤってことで。

あとはやるだけである。どこまでいけるかは常に挑戦だと思うが、暑苦しい感じの挑戦ほどうざいものもないので、必死に水面下でモガクとしますよ、ホントに。
 

飽きない程度の集中

バランスだよね、ほどほどだよね、というのが、近視眼的にというか、
スコープする範囲をある程度共有しておかないと全然咬み合わない。

たとえば、人生苦もあれば楽ありということで、
1日でジェットコースターのようにそうあったら、それは大変だし疲れる。
1年とか、3年とか、ある程度の期間において、調子悪い時もあればとかーなら分かるというか。

時間感覚も人によって違うし、何か罪悪感というか、そもそも生きていることを
主体的に出来ない人もいるんだろうと。まあ色々であると。 

仕事ではないけれど日常の思考スピードとそのボトルネック

たまにだけど最近多い表現として、
「メモリかハードディスクかの違いがある」みたいなことを言ったりする。

要は、メモリは速い。でも記憶量少ない。
ハードディスクは遅い。でも記憶量多い。

だから、貯めてワートやりたいデータベースなんてものはメモリではなく、ハードディスク。
もちろんシステムなんて、ハードディスクにあるものをいかに早く見つけるかみたいなことで
最適化され、メモリとうまく結合してきたんだろうけど、それはおいておいて。

ひらめきはハードディスクとかではない。広告表現のクリエティブは一瞬の判断。
だからそれに応えるべきかも含めて(じわじわくるものもあるので)、メモリなのかハードディスクなのか、
使う部分とアクセスしたいところによる。

そして思いついたからそれをやってこれをやるときにどうだろう。
文字化するほうが圧倒的に遅い。そして考えを話す方が早い。
だから会話のほうが幾分というか大分、思考は早い。
ただ、そればかりだと「自分での思考トレーニング」がないので遅い。

でも、問題は頭の回転が早いと呼ばれる人とわりと話す機会が少ないと、
そういう人は頭がよくていいねーみたいになってしまうんだけど、
その人に自分を、つまりあなたなんだけど、あなたvs頭良い人で話して、
あなたの話をその人に向けて話して処理したほうが早いなんてことがざらにある。
これは書いていると人を馬鹿にしているかもしれないが、実際に周回遅れなんてざらにある。

切り替えが早いのもあるが、切り替えのトレーニングをどれだけ積んだかである。
そして、それらが社会秩序?的にGOであれば、挨拶も抜きに本題にいって、
最後に挨拶をして終わるなんていう芸当もできるわけだ。伝わるかな。つまり、挨拶→本題みたいなパタンなんてのも壊せる。

これをやろうと思いついた瞬間にそれらがメモされるのはどうやらそう簡単に出来ない。
また、それらが可能だとしても、ストックがないと思考の強さは出来ない。
個別の論破されるテストチェックがあって構築されるのはメモリとかではきつい。
ハードディスクで貯めていくのが向いている。

だからこそ、書いたものが一日寝かせて、明日見直す違うのは、
メモリ処理からハードディスク処理で扱いが異なるからではないかと、という仮説。

ボトルネックとは、そう書くとか話すとか、思考スピードがメモリだとすれば、
圧倒的に遅いのだ。そこがボトルネックだからこそ、スピードで勝つのは無理。
よって、スピードではない構築手法とか客観的に引いたものの見方とか、
そういう話になってくるかなと。

 

教室的なアイデアからの可能性

実際に、とあるビジネス、例えばネイル教室とか、パソコン教室とか、色々なものがあっていいのだけど、それがどう開花するか、別に教室的アイデアではなくてもいいのだけど、市場が小さいとか大きいとか。

教室アイデアを実行に移す場合、アイデア自体は大したものでなくても、
・ローカル性(例えば東京のネイルサロンにわざわざいかない)とか、
・価格帯(主婦でも手頃、ターゲットによるが)
・サービス(すごく良いわけでもないが、他に選べない=排他性とか少なさとかのほうがしっくりくるけど)
とか少し考えただけでも色々ある。

実際に、一つのアイデアを実施するだけで、またそこから広がってくる。
アイデアが少ない場合、どこかで行動が足りないか、アイデアを出してないか、
あらゆる打ち手を終えたかとか色々。

とにかく観察してない限りは何も出てこないし、
行動ばかりで思考分がないと厳しい。

とりあえず、動け動けよ動けば分かるさみたいなことはある。

 

想像力とは

想像力に関する記事ではないが読んでいてなるほどと。

ということと議題は違うのだが、簡単にいえば、
・想像できるとは、現状にないものを考える。ことであって、創造っぽい。
イメージ力とは、「なにか与えられた」ものをどれだけ見えるかということかもしれない。

例えば、「水」といったら、
登山でおいしい水を飲んだことがあればその水が、
いつも水を沸かして飲んでいるならその水、
打ち水とか、水というのは抽象的な情報であって、コンテキスト、つまり文脈から依存して、
「そういえば最近水がおいしくないよね」という会話があったら、
水といえば「水道水」のことかなとか、「まずい水」でも飲んだかなとなる。

決してここで、「打ち水」を思い浮かべることはない。
しかし、ここで打ち水を思い浮かべることは想像力があるということではないだろう。
単にそれは、イメージしすぎであるかもしれない。


さて、会話のリズムやコミュニケーションという点でいえば、これらは断片化され、重要なことが一つまたはいくつかあって、それらを汲むことが、会話の理解を、コミュニケーションを促進する。

水くださいといったら、水が欲しいのであって、水ではないコーラが出てきたらそれは「水ではないです」となるし、「コーラしかないんです」ということであれば「コーラで我慢する」ことになる。
水くださいで「どんな水が欲しいか」を考えてそれにリソースを奪われる人を想像力があるかというと一般的には言いづらい。単にコミュニケーションが取りづらいとなるし、そこで話が出てこないのであれば、おそらく「会話が止まる」ことになる。会話が止まると何を話していいか分からないので悪循環となる。

言葉を解釈して想像するのは大事だが、それをコミュニケーションの前に出されてしまうと、会話が成立しづらい。それはイメージ力を使い切れていないとなる。仕事においても、これやっておいてといわれて、違うオーダーがきたら、「これをやっているので後になります」となりやすいが、その時どうするか。「これ」をいつまでも保持しているのはおそらく微妙だ。

頭の切り替えができるか出来ないかというのはあるが、想像力があるから頭の切り替えが遅いというのはちょっと違う気がする。テレビのチャンネルを切り替えるごとく、イメージ領域である深さとそれらの範疇とエリアはおそらく比例する。つまり、それらを保持し続けていたらすぐに容量がいっぱいになるわけで、会話ということをおそらく違う行為になる。なんだろう、ひとりごとを言い合うのが会話ではないわけであるとか。

 

楽しい瞬間

昔わりと話していた人で、ビジネスとしてそれをやるときの楽しい瞬間ってどんな時ですかなんてことを聞かれたことがある。今でも困る質問だけど、そもそもこの質問ってそういう状況にあったりする人が聞きそうというか。
そもそも、想像出来ない人は聞かないし、あと逆に「それ面白いんですか」的な場合もあるので。

後者はスルーだとして、前者だとすると、わりと真面目に答えたい。
実際には形になる瞬間であったり、思わぬ展開であったり、アイデアを形にしていく編集部分、ニヤニヤというところだけどそこが楽しい。実際に客としてはものすごい価値を提供しているわけでも、客は気づかない。

たまに見せ方がうまいっていう表現を「揶揄」または「否定的」に使う人はいるけど、それって本質が良ければみたいな話になりがちで、大体そういう人は見せ方が下手だ。そして下手だけならいいのだが、他の人のうまさを認めないことでもある。揶揄というのは「本質的にはこちらが上。見せ方さえ上手ければいける」みたいなことをいいたいのだが、まてまて。そもそも、見せ方がどうもビジネスであったり、パフォーマンスであったり、アウトプットであるので、それ単にお金ないだけじゃないのとか、策や考慮、戦略不足だよねで終わりのような。

ただそこに事実があるのみ。またはそこに現象があるのみであって、どう解釈して次に結びつけるかは意外に人それぞれ。であるし、またはそういう揶揄的な人は伸びない。ここだけで揶揄ではないだろうということが容易に想像できる。また同じ事があれば揶揄かと。それでは厳しいだろう。

楽しさについて、または私がやりたいことまで他の人に見つけてもらうことはしなくてもいいだろう。いや、他力本願の本来の意味的な良い解釈はできないなら、まあ、すっこんでろ!みたいなことになりそう。

というわけで、寝ましょう寝ましょうw。
 

凄まじき前進。

引くべきところはないが、最悪のエスケープルートはあるというか・・・
どちらかというと、そうなったらまたやり直せばイイというか。

問題は「センス無いね」っていわれて怒れるかどうか。
怒れるならそこにやはり執着があるってこと。そこをやってみるのがいいし、
そういうのって結構修正できない。つまり、好きやこだわり続けるということでもある。

そういった継続できる、やり続けられるものを見つけられたらそいつをどうやって使っていくかを考えればいいだけであると。実際には結構色々な方法がある。例えば、花屋をやりたいなんて漠然としなくて花に興味があるとか、花言葉って面白そうですよねとか。そして花言葉調べたらもっと興味湧いたりその話は飽きないと。もっと知っている人がいてすごいとか。花鑑定とか。登山して花みるのがすごい面白いとか。花、花、花。花に関することをやりたいみたいなアンテナが立った時、つぎに仕事にするとかってことを考える。考えなくてもいいかもしれないが、そうなったとしたら、色々な花でできる仕事を考えるわけだろう。

できること、やりたいこと、やっていること。まあ3者はいろいろあっていいが、求められることと、やりたいこと、できることがあればビジネスだ。その基本を冷静にあてていくことが大事。

現状に対して何をするか、そしてどうしたら何ができるか。あらゆる手段を使ってリソースを使って実現に向かわせる。はっきりいって無茶苦茶楽しい。結果が出なくてもいいやなんてことはもちろんない。とはいえ、結果を残さなくてはというプレッシャーみたいなものもない。そこはシンプルにお客さんに喜んでもらうために、ということである。それが商売なんだろうということにやはり辿り着くし、商売でなくてもただただ人に喜んでもらうということでいいのだと思った。

もちろん、人に喜んでもらえれば何してもいいとかそういうことでもないし。お客は嘘をつくというのもあるから、そういうことではないんだけど、基本方針が固まるととてもラクである。ほら、サラリーマン長年やってると、お客さんのためなんて多分ピンとこないだろうし、何かお金もらえるためには会社の指示に従うみたいなのが前提になっちゃうから。それがダメではない。ただそういう環境でのやり方、ビジネス構築はやっぱそのやり方であって、そうではないお客さんのためであるとかは「どっかで甘い」とか思ってたりするんだろうと。逆にこちらからすれば「そういう概念が甘い」わけでそのスピード感のなさは徹底的に甘いってことになる。お互いに甘いと想い合うみたいなこと(笑)になる。ただ、どちらも一長一短。いいからこっちとかはない。やり方としてどうとかだ。

僕はやはり、ある程度の自由度とフットワークからの形になることから作り上げる方がやりやすいと思う。ただそれだけだ。

前進はそういうシンプルな方針と、めちゃくちゃ面白い、寝ずにやれる、なんかずっとやりたいみたいなことに現れる。それだけだろう。
 

これ以上撤退はない。

昔、アルバイトしていた時にヘビロテしてた、某ドラマの某音楽を、
ひょんなきっかけからDL。時代は変わりタップで音楽が入る時代となった。お金はもちろんかかるけどね(笑)

さて、そんな曲はおいておいて、
色々なことを一瞬で思い出した。

そして、そこであったのは、簡単にいえば、
・同じマンネリ的なことが続くだったので、そこで撤退というか辞めることだった
が、絵に描いたというのは表現が違うのだけど、我慢というかわりと普通にとめられて、
なんとか弱音を吐きながらもやりきった。

その翌年そのせいだとは思ってないけど、わりと色々出来ることをしった。
自分の中の達成欲みたいなのがあって、それが露出してきた感じといえばいいだろうか。

だから、翌年というのは、大学3年だったと思うけど、無事自転車で日本を縦断した。
わりとこれは今でも良い成功体験になっている。
つまり、「目標設定をする」「それをある程度ブレークダウンして細かくする」「それらをやれる範囲で練習する」
ということで、これで大体できる。

実際に今の事業化の動きは全くその通りだ。
自分が出来ないこともあるけれど、出来ないことより、できることにフォーカスをあてていって
突破していく。

あの時に、絶対もうこんなところ来ないって思ったし、そしてその時に
「僕また来ると思いますか?」っていったら、多分来るんじゃないかなって。
そう言ってくれたオーナーの奥さんに感謝をしたい。面と向かってはいないけれど、
僕もわりと年をとってあの時のことに感謝できるようになったんだろうと。

人生は時間がかかる。物事の理解というか、自分とむきあったり、考えを出したり、なんというかあの時のことはあれだったんだろうとかね。そういうのが色々と理解出来て、社会地図みたいなのが構築されていくととても面白い。もちろん嫌なこともあるんだと思うけれど、腐ってる人は人を腐らすし。わりと機嫌が良い人のほうが、なんだろ周りも機嫌が良くなっていいと思う。

 

働き方の検討

ある企画が終盤、というか終了、完了する。
それがいいとか悪いとかはないが、現時点では、ベストな選択肢だ。

それに関連しているかもしれないが、
働き方について考えていて、わりと「働き方」は満足だ。
というか、現時点ではベストだろうとすら思う。

次は、やはり仕事だ。それ自体を作ることでの成果やアウトプットは
まだまだ出来てないことが多すぎるので、そちらにシフトしていく。
そのおかげなのか、今までやってきたことをわりと良い形で
アウトプットできるんじゃないかという期待。

教育コストが格段に下がれば、教育自体は誰でも受けられるとなると、
働くにも良い影響になるかと思ったり。学費払えずとかも普通にあるので。

人材のグローバル化ということに関していえば、 外注できたりするには、
ある程度の英語、またはそれら海外の人とのコミュニケーション、
例えば、「違う前提」で付き合えるかどうかとか。そんなところが大事になっていくんじゃないかと思う。

今後の仕事としては、コミュニティ活性とかコミュニティマネージャーみたいなのを
わりと真面目にやりたい人はそういう仕事もできてくるだろうと予測。
例えばロボが出てくると無人化されるが、メンテ等の仕事も出てくるし、
また「人との関わり」というのが大分変わってくるかなと。 

数値目標

1000という数字がわりと好きだ。
ある程度やって、かつ継続して、かつ好きだみたいな証明になるから。

実際に1000くらいやったものはやっぱ何か続く。
そして、ツイートは6万、ブログ数はこれは8000近く、最近やってるブログがやっと1000。
なんか企画したいと思うけど、まあありがちだけどアイデア相談とかかなー。

余白を作ることで円滑的時間が増えて、余裕が出てきている今日このごろ。
おそらく戦術としては成功。あとは形にしていくところ。集中はわりとできているっすね。
 

いわゆる人間関係のそれ

色々動きがあって面白いことは先日書いた、はず。

さて、人間関係、つまり私が誰かについてどう関わるから含めて、
もうそこから始まっている。まれに自分ひとりで生きられるみたいな人がいるけれど、
それって自分しか見てないのだし、人をみたくないという証明でしかない。
それだけで終わってるけど、詰んだ戦略を取ろうと思えば取れるっていう皮肉でもある。

将棋がうまい人と下手な人がいるように、人生は色々な上手さ、下手さがある。
人間関係も同じだ。うまい人も下手な人も、色々あるから面白いのにね。

人を悪くいうのも、良くいうのも、
色々器が見えて面白いね。ちなみに、器が小さい人ほどやはり悩みは小さく怒りも小刻み。
人生どっしりと構えていきたいもんですな。
 

突破せよ。

自由にやるということは何もやれてないことが多い。
もちろんそうではない人もいる。

サブタイトルにある、キャッチコピー。
飛翔するといった後に起業をして、会社員を辞めた。
その後に待っていたのはバラ色の楽しい生活ではなかった。

もちろん後悔はしてない。そして楽しいが、
いわゆる想定通りではなかった。これは事実を述べているだけだ。淡々と。

3年がたち、そして4年。今後5年になる。まだ1年あるが、もう1年しかないともいえる。

具体的な損きりゾーンや撤退ゾーンを決めていたわけではないが、
無理なものは無理だし、できることはできる。
そして、自分の力や成長みたいなこと、どうしても譲れないこと、
諦めきれないこと。

好きなことをやっているといわれるが、
そうやって言うほどのコストや犠牲をきっちり支払っていると思う。
選択したからうまくいったんじゃないと思う。もちろん選択して突破するのだけど、
それは結果論でしかない。そして結果を残さないと結果論も言えない。
なぜなら結果論として露出されるようなことが許されないか、または見られないから(笑)

 サブタイトルは、
「面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。」
だ。

ここ4年のアウトプットをこんなところでさらりとまとめておこう。
・面白いことは常に仕掛けないとアイデアは試さないことは分かった。
これはもうわかりすぎた。そして面白いことはやはり面白いと思う人がやるし、だから面白いことになる。これは自信がついた。

・仕事を作るは、そこまで出来なかった。
だからもっとやりたいし、うまくやるというか形にしたい。
そのために色々切り捨ててでも、トカゲの尻尾みたいに切り離しても本体は生き残るみたいな、
なんていうか集中が必要だなと感じた。そこが出来てなかったのでそうやってまたチャレンジする。
絶対に仕事作るよ。

・ビジネスを作るは、仕事を作るって意味で規模の問題で出来てない。
仕事を作ればその次の仕組み化。それがビジネスだと思う。それは多分出来ると思う。
まだ練習不足かなと。

・アウトプット蓄積は、Twitterとかが多い。でもここのブログもわりと書いてるので、
継続は力ってことでいいと思う。
そして書くことはやはり好きだし、何か無性に書きたくなるときがある。
そして話したいこともあるし、考えたことってどうかというのが常に問われると思う。

もっと試したいし、世に問いたい。
そしてチャレンジしたいし、形にしたい。
もっともっとやっていこうと思う。

 

それをやっちゃダメな人という話。

たまにある。
それをやっちゃダメというの。

例えば、責任がない人は消防士など人を助ける活動はできないだとか、公務員ってわりとそういうことが多いけど、皆が皆そうではない。一部の例外の人が事件を起こしてニュースになる。ニュースになる=事件は同一なので、意味は大きくはないけど、そういうことで人はニヤつくというか、「へー」とか思っちゃう。

さて、「責任がない人はこの仕事はできません」とどや顔であってもなくても、
誰かが言ったとする。でも、それって結構、発言者によるというか。
その人が責任感があると思われる人なら「やっぱその人だから」となるし、逆にない人だと「出た出た。本人はないのにね」などと皮肉になるやも。

そして、前者でも、「責任がないと」という話は、責任感ってことなんだけど、
それって、そもそも「失敗であったり、うまくいかなかったことがあった」だから、責任とかそういうことが大事となるわけで、ある程度のその人の話がないとなかなか浮いたお話になる。

やっちゃだめとかって、そもそも「やっちゃだめ」とか思った人はやらないし、また「やっちゃだめ」っていうのは立場的なことにフォーカスがあてられがち。

だからでもないが、何か意見があるときは、その人が何を今まで考えてきたかが大事となる。
ごくごく当たり前の話。 

わりと簡単に成功できる。

成功するためには色々な・・・そう、技術、心構え、経験、お金・・・が必要だというが、
果たしてそうだろうか。

わりと、ベンチャーで出資してもらって成功なんてパタンは、
ほとんどない。というかある人は多分そういうための色々やっているだけであって、
小規模事業を批判することもできない。というか、最初誰でも小規模だし。

ある程度の認知、つまり社会的認知、あのサービスが有るよ、使えるよ、使えないよでもいいのだけど、
それがあれば人は放っておくかどうかを選べる。というか、お節介でもあるし、
そういう思いってなんだろうとか思う。自分が届けたいことが皆のメリットになるのなんて、
結構運レベルというか。

そして、もっと知られてない、細かいところとか、そういう話をすると、
わりとトップなんとか、上位とか、あと数を叩きだすことをしなくても、
わりと色々成功できるというか、ポジションとかの作り方なんじゃねーのと。

そういうことを思ったのでトライしていきます。

そう、発言したことはシンプル。
仕事ってわりと簡単に作れることを証明したい。そして証明すると同時に、
仕事が生まれ、またそのやり方を話せる。

間違ってないというか、わりと真っ当なことをいっていて、
多くの人は、作るだけで終わり、または分析するだけで終わりなんだけど、
両方やりたい。あと、遠い成功例とか、規模とかでなくて、
小さなものを確実に作れる方がいいかと。ダメなわけじゃなくて大きいものが。

そう、びっくりしたのは自分が手がけたものを成功例として話す時、
全くそれでも通じないし、大きくてもあれだなあと。
そしてできる人はゴロゴロいるし、こら形にしていって問うたほうが早いんじゃないかと。
そんな感じがしまうまなわけで。
 

誰かがやってくれる=何も起きない

自分がやらなくても誰かがやってくれる。
もちろん自分の飯を誰かが用意してくれるみたいな話ではなくて、
例えば自殺率減らすために何かやるとか・・・そういった広く社会的なテーマ。

結論としては、残念ながら「自分の視覚するものが変わらない」わけで、
何もやらず願うとは結果的にやらないことと同義、
またはやらない以上に知っている以上たちが悪い。ってことでいいかなと。

何も起きないからやらないからダメとはいわないが、
何もやらないことをばかりで埋め尽くして言った場合、何も起きずに終わって、
結構簡単に終わりというか。いやだなそんな人生っていう人生を、
積極的に選ぶという皮肉。そのマゾ的なものが好きな人もまれにいるけど、
そういう人ってマゾ的な感じで楽しんでいるからOKだし、結構レベル高い。

でも、いやだなこんな人生、ダメだなといっていつつ、まさしく何もやってない!
それで口だけであーだこーだいうってこと・・・くそったれだな。

さて、何かをやらないために何かをやるために集中すること。それはOK。
そして時には何かを失う、またはどれか選ぶ必要があるんだろうと。
世界は美しくなんかない。けど、美しいと思いたい。これが正しいところなんだろうなあ。

 

自分で作っていくしかやはりやり方は分からない。

もちろん学習や先人から学ぶ、人から学ぶ、本から学ぶ、考えるなど
様々な方法はある。しかし、「自分で作ってみて失敗したり試行錯誤すること」でしか、
やり方は分からないということ。

もうこれはやるしかないということなんだけど、やらないとわからないし。
切羽詰まった状況でもいいし、切羽つまってなくても覚悟を決めたり。

結構色々なことはわりと出来る方だ、みたいな感覚で、
「えいやっ」とやってみたらいいと。そういうことだと思う。
 

突き進むべき道は見える。

純粋に何かを追いかけていたら、
夢を諦めなければそれは絶対できる。

この手のワードを青臭いというか、
それは大事だというか、
また大人になったが大した事も何も出来なかった(笑)人が、
そりゃそうなりゃいいけど現実は厳しいよというか。

どうだろう?
分かったつもりの大人が多いし、実際に大したことを文字通りやっていなくても、
何か偉そうに語ってしまう人は多い。自分も耳が痛い。
とはいえ、やるときにはやらないと結果的にパフォーマンスは落ちるしよろしくない。

分かってないつもりの大人が、ジタバタしてやっていることは、
なぜか評価されにくい。なんというか、単純に見え方やアナウンスの問題だ。
そりゃ在野の町工場のおじさんの言葉は大企業の社長と違うのだけど、
とはいえそこが理不尽かというと理不尽的だから何かというのもある。

ルールとか、色々なものはどう考えても平等ではない。
日本に生まれたら幸せさ。客観的にはそう。そして贅沢ではなくても、
生きていけると思いがちだが、社会不安的なもので、経済的に豊かであれど
自ら死んでいくのは不可思議というよりも、これも事実であり理不尽であり、
理なんかよく分からないってことにもなる。

純粋にこうしたいからこうする、でどうなるの、でどうなるの。
あまりにシミュレートした結果、一歩も動けない人間の出来上がりだ。
実際にそんな人は多い。頭でっかちってやつだ。
子どもの心と頭でいよう。時には大人もだしてこよう。

そうでないと物事は始められない、始まらない。
冒険に出なくてもいいけれど、冒険に出て行く人を邪魔するならば、
俺はお前を蹴散らそう。

外患内憂とはよく言ったものだ。
いずれも蹴散らしていく時がきたら何も俺は言わないだろう。
 

賤ヶ岳。

おもしろかった。
地味に企画を進めていくということで、とくに何をするかは書かない(笑)

さて、柴田勝家という人間はどういう人であったか。
基本頭が悪いというか固い。しかし上にもろく、武力、戦は得意。
プロ軍人、みたいな。プロって今つけるとやじられる感じですが(笑)

武将の生きざま、気になる人、尊敬する人の生き方、いやあ参考になりますね。
個人的には信長はやはり気になりますね!
 

村のウザさは、ムラで解決か。

答えは出来ない、であると。

村の鬱陶しさ。それは例えば村のメイン道路の角にあるAさんの息子はまだ結婚してないとか、
誰もが知っている、または多くの人が知りたくなくても情報を知っている、みたいな。

当然それらは共有されている上で話が始まる。リアルフェイスブック。
逆だ。フェイスブックは村化かもしれないが、村はそれを地でやっていたと。

町、街、マチ、まち。まちはもっと知らない人がいてもいい状態だ。
例えば都会でコスプレで歩いていてもまあなんとか歩けるだろうが、
村では無理だろう。他所者は受け入れられないし、受け入れられるまで時間はかかる。
また、受け入れられるとは・・・そう、他のうざさを知ることでもある。

多くの人が都会へ、郊外都市へ、そして核家族ということになっていったが、
それらの子ども世代は、そこからつながりがないことに不安を覚える。
どちらでもいいのだが、何かしら人との関わりは大事ということになる。
ただ、 つながりたいのとつながりがあるのと、つながりたいときにつながるとか・・・
色々なつながり方があるが、万能な何かはない・・・。

うざさ=煩わしさ、みたいな意味なのだが、
人と関わることって素敵なことばかりではない、素敵なこともあるけど・・・。
なんというか二面性が常にあるのだが、どうもそういう感じではない、
つまり、一面性のみでいくと結構色々つらそうだ。

 

企画で語る

プランナーの端くれ、実はプランナーという意味では、
3年くらい掛かるのだけど、それはどうでもいいとして
やはり企画で語るのであると・・・。あまりあーだこーだいってもしょうがないので、
どう面白く仕掛けてかつ形として出せるか。

そこがポイントになってくる。
というか、それだけしかない。

 

信じられないが。

コミュニケーションとかいう以前に、そもそも礼儀みたいなものがない人は一定数いる。
ネットであれば尚更だが、よく掲示板で荒れるというまでいかないが、
質問者と回答者でもめるというか・・・。前提の何かについての話は大体ちぐはぐになりやすい。

無料というのはそういうものがつきものだ。だからお金を取るという考え方もある。
そして、無料でないと出来ない人もいる。無料=礼儀足りない=馬鹿=困った人、
みたいなことはないのだが、とはいえ、大体問合せやコミュニケーションで分かったりする。

くそではないが、これは怪しいなという人はスルーするのもありだなと最近は思っている。
対応コストがかかることが本当に分からない(つまり、自分が全てであり、相手は対応してくれるのでありと)
人もいる。契約とか、お金、仕事とか難しいことは言わなくてもそれらを理解したとしても、
自分の欲望を満たさないとダメだという人がいる。

信じてもらう必要はない。実際にいたのだから。ということでいい。
率は低いがいる。そしてそういった人は自分が問題であると思ってないケースが多い。
だから繰り返すのだ。どこかで学ぼう。気づく必要がある。
えらそうだが、それに気付けないと一生そのままパタンはどうやらネタでもなく、
本当にそんな感じになりそうだ。謙虚とか素直とかで良かったとかマジで自分に思う瞬間がある。

とはいえ、それでおごって終わり、ということでもない。
そういう人や話しは定期的にあら?という感じでやってくる。なんだろうなーこれ。
スピリチュアルでもなんでもなく、きちっと雨がフルみたいにやってくる。
ヤツラは常にやってくる(笑)もうそれは諦めたよ。

馬鹿はどこにでもいるとかいってた頃が懐かしい。
そう。どこにいっても馬鹿がいる。何か悟り通りで、そしてその通りで、
発言や読み通り。そういう世界に生きていたらどう見えるか?
そうゲームがつまんない、想定通りでベリーイージーモードってやつだ。
それでは面白くないから負荷をかけて、後ろ向きでプレイしたりするわけ。

純粋な感じで、おもくそやるのも、
理屈でがっちり考えてやっても、結果的に形になる頃には、
上流のごっつい石が丸くなるのと同様に、感覚は理屈に、
理屈は感覚に近づくんじゃないかってのが生きてきた印象でもある。
事実、理屈っぽい人は感情がないことを短所と思い、
感覚的な人はロジカルのなさを不安に思う。それを観るのが楽しい(笑)

最悪なのは自分で迷い、自分の中で終わるということ。
苦しい状態でも、ニカっと笑うやつが最高に好きだ。
最高の時でも、全然嬉しくないとかいって笑っているやつが好きだ。
あまのじゃくであるがために、天邪鬼が好きだ。
うまくできないのが好きだ。うまくできた時にニカっとするのも好きだ。
白鳥式でなくても、不器用であってもいい。純粋に自分に酔うこともなく、
ただ自分はこうでありたいと追求する人が好きだ。
それはこだわりとかでかいものじゃなくてもいい。
こちらが自分っぽい、こちらが面白いと思った。あなたは違うかもしれないけどね。
と笑う人が好きだ。 

今まで迷った時とか、全て選ぶ基準が決まっていた。
今も変わらないんだ。そう、面白い方をやる。ただそれだけだ。
 

リズムを変える

自意識というか、意識というか、そういうものを変えていくみたいな話で。

認識できる範囲、それは同時に限界もあるということで、
ただ、 認識をあえて閉ざす意味はないが・・・とはいえ、閉ざさないと
つらいみたいな人もいたり。まあ色々ですね。

時間軸を横に倒すのも、 なんだかしらけて見えたりしつつ、
そりゃやりたいことはやったほうがいいが、それは相対化すれば、
やりたくないこともやれるパワーがあるだけで、結構普通な感じ。

活き活きとするのもいいが、同時にそれであればいい・・・
つまり、自分がいきいきと見られたいための活き活きとかは
どうなんだろうと。そこらへん麻痺できる人もいそうだけど。

とりあえず、5月は始まりリズムは変えていってそこに適応させていくことになりそうだっと。 

感覚とのバランスの海の中で。

うまくいくとはある種怖いものだと感じたりしつつも、
うまくいかない感じはある日突然やってくる。なわけないけど、でもインパクトでかいやつは
ある日突然だ。

純粋な思いほどキラキラ輝くものは怖く、
単純性はある種マホカンタできるから楽というのもある。
深みは複雑性に宿るみたいに思いがちだが、
実は深みは単純性にあるかもしれない。複雑であるから深いわけではないというか。
単純であるから浅いわけでもないというか。

人の志向、または嗜好というのか、
好みは色々違う。違うからこそ判断、価値が色々あっていいのだが、
好みが違う中で 何が共有され、良い感じになっていくか。
まあ、本当に色々だ。

何か色々やった中でその真実でもいいし、事実でもいいし、
何か見えてくるのだろうかと。おそらく見えそうで見えなくて、
終わっていく、はかなさ、せつなさみたいなのがあるかもしれない。

感覚でも、論理でも、戦略でも思いでもなんでもいいが、
バランスを崩したところで突破口は開けるかというと、
やはりロジと現場があるし・・・一つではどうも無理なような気がしてくる。

海に潜ったら多分人ならあがってくる・・・沈んだら終わりじゃないかと、
でも、海に潜ってそして戦果を?ゲットして、戻ってくる。

相応しい形、適した何か、いよいよわからないが、
ただ一つ言えそうなのは、自分は間違っている、大いに間違っているという
感じでいくのは強そうだ。それをメタ化されたらあーれーだけど。

わっしょい。
 

一般意志的なもの

まちというものを作るというとどうなるか。
そんな話を少し考えてみる。

基本的には、人をモデル、つまり何かしらの欲求で動くとか、そういうのって
なかなか機能しないなあと。つまり、人は色々な条件とかで動く。
が、合理的に動くこともなかなかないし、常に合理的でもないので。

合意形成みたいな話はそれほど面白いとは思わないが、
心理的なプロセスというものは面白そう。ただ、それら自体、たとえば、
人が集まって何かをしていくとかそういうことにぼやっとした面白さは感じない。
例えば、限定的にシゴトを作るというような、プロジェクトをするとかそういうのは面白そう。

興味は色々ある方だというか、そうでないと企画が成立しえない。
その中で、一般意志、みたいなものは面白いが、幻想にすぎないというか、
共同体の幻想ばりで、イメージでしかないなあと。もちろんそのイメージで動くなら、
意味がある、存在しているというように捉えられる。

プレイヤーから、マネジャーから、色々な役割がある。
実際には明確に分かれているというよりも、興味で入っていくと、
信頼性や関係性の中で空気を読みながら形作っていくことになる。
役割ありきは難しいかなというところもあり、例えば得意なことをベースにするが、
他のこともやるなど色々。

幻想にすがりたいことはないが、幻想が存在感がある、存在感のある幻想!で
騙されてもイイみたいな思考は一般的かどうか、心理的には普通っぽいなと思ったりする。

何か誰かが時代が、社会が何かを引っ張っていくとか、それは起きにくい。
革命的なものってもっと泥臭い感じがするし、実際に血が流れたりするのだろう。

情熱。それは意志が激しく昇華してしまうくらい強いパワー。
 

刻々と状況が変わる中で。

多くの事、または時代というより時間、そして仕事や関係性、今自分がいること、
食べているものから、話したこと、感じたことなど色々なものが刻一刻と、変わっていく。

それら、または時代や社会や環境みたいなものに適応出来れば面白い。
というか、適応できることで生き延びるみたいなことを考えていた。
そして実際にそんな感じだ。とはいえ、死なないことはない、いつ死ぬかも分からないが、
生存確率、生存率的なものは高い方が、色々生きている間にやれる。

人は生きていることに自覚的になかなかなれない。
時には忘れる。死を忘れる。もちろん有限である、数十年という命を全うする。
終わりがある。全ては何かしらの形でエンドがある。別に悲しい話でもなく、
ただ始まりがあり、終わりがあるということでもある。

仕事の話をすると、その人が何を大事にして何を捨てて、または何をやりたくて、
何をやりたくないかとかも色々と出てくる。仕事ではなくてもいい。
そういうのが大事だと思うなんて面白いですね、その発想はなかったですとか。
それをやり続けられるのはすごいですねとか。

昨日出来たことができなくなるとかはないが、
とはいえ、何か常に同じ事ができているというよりも、
それらの出来事、やれるという意味の出来る事、も変わっていく。
編集されて、自分も編集された形でその時のアウトプットになっていって、
結果的に水の流れのごとくみたいな話になる。

純粋にこのようであるとかいうのはかっこいいかもしれないし、古いかもしれないし、
ただそのようにあり続けるのは大変だというのはありそうだ。

色々な道があり、色々なやり方があり、たくさんの可能性がある中で、
選んでいくのが面白いという人もいれば、やはり平凡でいいから生きたいというのもある。
でも、何かしら緊張感がないとなかなかことも成せないのが事実かもと思ったり。
全てではないけれど。人の視点でそれらが変わるから。

色々やれているも、色々やれてないも、
功に焦って何かやらかしても、やらかさなくても、
流れは意外に変わらないかもしれないし、変わっていて分からないかもしれない。
とにかく色々だということはある。

嫌なこととかがまったくなければいいが、ある場合それをただ粛々と耐えるのみというのも面白い。
また、耐えずに放り投げてしまうというのもありだ。そこは自由だ。
でも、どちらにしろ、そんな選択をして笑っちゃいますよね、くらいの感覚があるほうが
より楽しいという感じはする。

 

どんな状況でも作り出す

おそらくこういう状況ではできないとかいうのは
かっこいいのだが、どういう状況でも作れるようにしておいたほうがいいような気がする。

もし人が勝手に適当にしていても生きられるなら、
何もしなくてもいいわけで。

ならば、どんな時にでもやれるでいこうと。
そうやっておいて損はないと考え、さあ動くぞという話。
いや、そうやって動くのがいいよねって話。

入り口を増やす。

入り口を増やす。
分かりやすい言葉だ。
そしてそうする。

勉強するために、企画するために、デザインするために、
プログラミングをするために、など色々な企画をするために、
仕事をするために、動くために。理由付けは何でもいいので
そうやってアクションをしていくことが一体化となっている。

自信を持ってトライすること。
もっと仕事を作ることが今年の大きな目標だ。
もっとできるというテンションで突破せず、目標設定に甘んじることなく、
確実にヒットを飛ばせるようにスキルを磨く。
そして磨くとは出すことだ。アウトプットを圧倒的に出す。
仕組みとして圧倒化する時、価値、そしてお金は後からついてくるからだ。

リソースがないなら、人に相談すればいい。
相談する人がいないなら探せばいい。
捜しても見つからないなら形に出来るところまでやってみたらいい。
そんなロジカルで終わらずに試す。行動がどうとかを言う暇も惜しいくらいがちょうどいい。
ちょっとアウトプットが追いついていないくらいが、ちょうど良いというイメージで。

経験値をあげトライする。

教育的手法。
そんなことをいうと、教育な高尚!な感じをするが、
どうもそういうことではない。泥臭く、手近で身近でいい。

例えば、ものを投げたりする。まああえて言わなくてもいいが、
そういうところから色々な乱れは出てきたりする。よくありがちなパタンである。 

状況を作ればいい。
デザイナーがイイそうな言葉ではあるが、そこはスルーしつつ。
状況が学ぶ素材というか、やる気みたいなものを作る。
やらざるを得ない状況みたいな感じに近い。本当は違うけど。

失敗したら、 次にトライするために勉強してまたやる。
これだけである。 
そして社会的環境、環境によっていかようにもなるということを
考えてきたし言い続けてきたが、やはりそうだと。

正統的周辺参加とは、コアなメンバーというよりも、まあまずはメンバーになったという。
そこから派生しうる仕事をやっていくと、結果的に学習をしていることになる。
これはうまいやり方だと思うし、なんかそういう感じを自然だと思うわけで。

 明確に分業をしてこれをやってくれということで、
得られる学びはおそらくある。だが、それは知識の獲得・・・だけになるので、
おそらくそばにコーチみたいな人がいて、こういう時は・・・という教えが必要になってくる。
 

優秀な人間を育てるとかそういうことではない。
とはいえ、全く出来ない人間を底上げしたいかというとそういうことでもない。
とはいえ、エリートばっかみたいなのもなんかシャクに触る(笑)
トータルとしては、やる気があって今後未来を動かすであろう多くの人と出会う。
ためには、そんな人を育てるってことが重要になってしまうのかなあと。
それ以外あまりないような。

そして状況、状況いってるけど、時代も社会も変化している。
すでに通用しなくなった化石?は通用するな、ではなく使い古されたものが悪いのではなく、
必死になくなったカルピスをすすってももうないのだ。作らねばならないのだと。

人が新しい学習、または技術を習得するまで必ず時間がかかる。
それが時代が変われど。人はあまり変われない。社会や技術進歩とかはあるけど。
そこがポイントだと思う。むしろ、適したところで何か生み出すってのもあるわけで。


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