名古屋の狭さ。
例えば、名古屋でも、東西1時間は移動でかかることはあるし、
人口も200万。超え。立派な都会だ。
しかし、不思議なことに、それほど動く人は多くない印象がある。
それは、どこかにいくと誰か知っている人がいるみたいなことが
よくあるからだが。

この現象と状況についてどう思うか。
それは例えば、本当に数が少ないのか、それとも偶然が起こりやすいのか。
数が少ない=起こりやすいのはありえるので、そのケースが有力か。
ただ、数が少ないなら、そこまで動かなくても情報がありそう。
またはつながりがありそうでもある。

どちらにせよ、うまくやれば?
一気に広がる土地でもある。
そういう可能性に期待したいところだ。何を広げるかにもよるけど(笑)

キミはそんなことをしている場合じゃないと、
ある人に言われた、というのは嘘なんだけど、
神の啓示があったかもしれない(笑)
というのは、預言者(神の言葉を話す人)とかでなく、
昔、お世話になった上司に「お前そんなことしてちゃいかんぞ」と
何か言われているようなそういう感覚・・・。
これは、何かやるときに、○○さんならどうするんだろうという考える
習慣みたいなものと似ている。

本業でないから、趣味だから適当にという「論理」は存在しているが、
そもそも、適当にやると大体うまくいかない。
僕のいう「適当」は、肩の力を入れない、力まない、戦略的にかなり
意識的にだらっとしているだけであって、それだけ「適当」を
真似ることは結構高度だと思っている。人で、そう簡単に「適当」を
真似れるなら、もちっと色々な展開ができると思うが、
そもそも、上のような論理がある以上、
適当だから、趣味だと思われたりすることは文脈としてよくありそう。
本業でないから、手を抜くというか、
そういう言い訳ってやっぱり良くないので、そういう言い訳をすると、
なんか「そういうのはいいんよ、でやる気は?」ということを
自分にも他人にもいっていく。こともある。