自分が器用とか不器用とか、昔はかまして考えたりしたが、
今はそんなこといってることはない。
苦手だから、やらないとかはいいけど、苦手なところから
逃げていては何もできなかったり。

たまにものすごい勘違いになるんだけど、
自分が本当のことを言わないとか・・・。
そういうのって、言ってる時点で、負けというか、
ラポールが壊れているということ。
の、メタ認知というのに気づかないかも。
これって心理学学ばなくても気づきそうだが、
学問の偉大さみたいなのには、先達の経験にはかなわないってことだろうか。

自分が破壊しているラポールに気づいたら、
そりゃそんなことしないか。だよなーとか、おもいながら。

色々考えてみた。
例えば、やり直しみたいなこと。
現実的なプランとして、無くもないが、
想定していたより全然、成果が上がってない。
相方の目も同様だろう。とはいえ、悲観しているわけでもなく、
現実をしっかり見ないなら、何も成し遂げられないというのは
前提としてある。その上で、ダメなヒトと何かやる気はないだけの話だ。
この違い分かってくれるヒト欲しいところだ。まあ、それはいいとして。

結局、原点に戻るだけだ。
初心といってもいい。
覚悟を決めて、呼吸を止めて、潜水しているわけではないので、
かなり楽に動いている。気を抜いているわけではない。
ただ、相手の関係、信頼、ラポール、時間、動ける感じなど
考えていくと、とてもじゃないが、多くのヒトを相手にしないと、
そういった価値はまだまだ未発掘のまま。まだまだってことは
常にいえるが。

原点とはなんぞや?
簡単なのだが、自分たちで、仕事を作り出し、社会に提供する。
広がりは次を生む。ここがぶれることはない。

ここらへんでぶれるならば、とっくの昔に、
尻尾をまいて逃げていたし、辞めていた。

僕らが突き動かすものは、
たとえ調子が悪くても常に、消えることはない。
完全に壊れないともいえないが、一方で、
強力すぎるほど、励ましやアドバイス、関係も出来ている方々も
出てきている。

良いところだけではなく、悪いところも見る。
そして良いところも見る。そういうのがスタイルかもしれない。

とりあえず、2月からの動きを一旦書き出して整理してみたり。

面白いこと以外の何か・・・はなかなか提供できないかも。
が、そもそも、自分の何かを語る・・・時期では決してなく、
提案と仕掛けで、ヒトを魅了していくしかないし、
それに価値をつけていくことができるの人たちという
認識を、ブランディング?していくしかないと思っている。
自分にそこは嘘はない・・・からこそ、強さがあるのだろう。
その強さが命取りになることもないだろう。
それが命取りになるなら、生きている意味もあんまりないかもしれない。

語るから、その人を信用している、相手を信用していることになる?
確かに語る相手は選ぶべきだが(こういう勘違いが出てくるから)、
といって、語らないと誰も動かないみたいなジレンマがある。
といって、後手後手でやっててもしゃーないわけで。
では、どうすればいいか?
好きにやったらいいんじゃない?
結局こうなるんだよねー。それでいいんだけど。

すげー。
振り返った裏紙の表が、同じようなアウトプットを
パソコンで打ち込んだものだった・・・すげー(笑)

幅の広さという特徴は出していくべきか。
はっきりいって完成度なんて低いと思っている。全体に。
でも、その実行力において確実に、確率を高めていって
価値としたいと考えている。
つながった人は、そりゃね大切にしたいのだが、
そういうことも言ってられないときもある。
これは、数が必要だから無碍にするということではないんだ。
違うんだ。
そうじゃなく、関係が続けられないこともあるってことだ。
それって、可能性は結構50%くらい。
何をもって?
簡単で、自分は相手を信頼しているとしても、50%だ。
相手が動いて50%で。100%。実はお互いの歩み寄り・・・がないと、
何も動かないことを知っている。原則といっていい。
これをしないと、大したことはできない。いつも、しょぼいものさ。

だから、じゃあ最初の一手は?
そう、こっちから出すのだ。それを損とかいう人もいて
やらない人はいるけど、まだそんな時期でもないわけで。
一手を出す人が少なすぎるからこそ、意味がある。
そこは信じている。

そして最後に。
俺は間違ってないと叫べる自信につながっていく。