例えばパスをどう出すか・・・によるが、
相手の状況をある程度把握しないと、
鋭すぎて取れないものになる。
が、鋭いパスが時には必要にもなる。

その判断コストを限りなく少なく出来れば
とても面白いものになっていくが、
おそらく効率的というのがあるようでないような。

例えばAさんに出すパスを、
どういうパスにするか・・・みたいなことって
実は考えるのではなく、すでにあるみたいな。
彫刻家が、木を彫るとき、すでに中にあるものを
出すだけみたいな。
そんな感覚が、ヒトへのパスにはある。

そういうことが分からないと「超」がつくほど
気持ちが悪がられそうだが、実は、
すでに分かっているみたいなことって、
ものすごく大事なんだろうと思っていたり。
そうじゃないと、良い関係も、きっとこうなる、
こうするみたいなことを「無理」してやらなきゃいけなかったり。
しんどいものが多いような気がする。

しんどくなるために、やってんじゃねーよと。
傷のなめあいでもなく、馴れ合いの助け合いだけでもなく。
なんていうか、そういうことだなーと。