えっと、仕事が何もそのワードだけで、
苦労だったり、辛いとか、やりたくないとか・・・って
勝手なイメージだったりする、と断言したい。
日本語がおかしいな・・。

仕事って言葉に何を込められるか。何が入ってるか。
薄い経験ならそれで語るしかない。が、それって
薄さを嘆いてもしょうがない。それがあなた自身だ。僕自身だ。

でも、その先に何を見るかとか、そういうのって
実はセンスの問題でもあるのだろうけど、もっと色々やりたいとか、
こう考えたらどうだ・・・とか工夫は誰でも実はできる。

趣味を貫きたい人はそれでいいし、そういうライフスタイルを否定しない。
が、あくまでもそういうのって、何かから逃げている、無理だからって、
何かやってみてないのにいうなら、あまり受け入れがたいところだ。
もち、そんなことを誰にでも言うわけはないのだけど。

舐められた仕事・・・といってはダメだが、
その態度、その動き、そのやり方で「お金」がもらえることに、
感謝して欲しい。あんたの給料は、お客さんが出した金額から
出ていることを考えるならば、そういう態度は取れないのだ。
要するに、分かってないから、お金の仕組みを知らないからこそ、
そういう態度を取れる。

無知とまではいわないが、僕も知らないことで想像できないことが、
一杯ある。想像するには知らないといけない。
だから、知識と質は常に比例していかなければならず、
知識のみの人は、質に転換させてないだけだ。
とはいえ、知識で勝ったと思うレベルの争いはそんなレベルで
どんぐりの背比べ。

考えてみてほしい。
お金の稼ぎ方が分からない。
そりゃ、習ってないからさ。
といったら誰でも安心するだろうか?
では、稼げる人はどこで習った?
自分でやってるんだ。それだけだ。知ってる人をみていた。
何か見ている、学んだ。

それだけだろう。

人脈=営業人脈かというと、
それは違う。コントリビューション。本田さんの考え。
要するにお互いに「提供できる」し合えるものがなければ、
人脈とはならないということ。同感だ・・・。

起業しているという売り込みで、
その人はその人のことしか考えてなくて、
売り込んでいるというよりも、押し付けているだけ。
そんなのは、何も話を聞く意味がない。

自身が客観的に見えているかどうか。
→人のフリみて我がフリなおせだ。
周りをみていかないとどうしようもない・・・。

人は必ず変わる。
しかし、諌めてくれるひと、それを大事に。納得。

時間はかかるが、確実なビジネス。
それが僕らのビジネス・・・!