学び多し。

・デザインデザインしているものがデザインではない
→一般的にそう思える。が、生きている自分以外は全てデザイン物なわけ。

・時代とともにデザインは変わる
→だから古びれるものもある。が、日々新しいものを追求している。

デザイン=社会性=社会=科学=美術=道具製=美しさ=機能性。
美術とは1%くらいの重なりがあるのでイコールとしておいて、
デザインのアイデアってのはやっぱ社会を面白くするアイデアという考えは
根底においてOKだとここで認識できたのは大きい。
つまり、デザインすること=アイデアがあること=それを社会に投下すること。
デザインは道具・機能として使われてナンボなので。

機能と要素を分けて考えられるか。
これは、デザイン思考の話でもあったけど、
PCをワープロといっているひとは、おそらくワープロ機能しか
使ってない。が、そればまずいわけじゃないけれど、
PCの機能を列挙できるとは思わない。また要素として、
おそらくキーボードしか入力できないと思い込んでいるが、
実は音声からも、色々できることを知らないだろう。

どういうことが実現できるかという機能と、
既にあるデータ、コンテンツは分けて考えることができるかどうか。
それって、企画するといったとき、きちっと誰が対象で、
変な話、自分の満足のためにやっていることを社会性といって
大きな声を上げてしまわないか。もちろんその面もあるが、
海外旅行に行きたいから、企業が個人をスポンサードすることはない。
勝手にいってくれだ。しかし、企業も使いたいようなアイデアをなげれば
話は別だ。ここの境界線。実は誰も定義できない。
なぜなら、それは変化するからだ。変化する中での提案は、
明日にはもう賞味期限が切れているかもしれない。だから企画には
期限があるというのは正しい。

人生をデザインするとはいえるが、
人生を美術するとはいえない。人生をアートするも苦しい。
アートな人生はいいけど。
それは、デザイン=アートではないから。
デザインは目的と意味がある。アートは「美的鑑賞」。
美しい=きれいではないのは、ムンク、子を食らうとか、恐ろしい絵も
一杯あるからだ。鑑賞だ。
だから、変装して表現しているあの人名前がでてこんー、
の人は、美術家というのは、あれは美術だ。見て面白い。
しかし、デザインではない。デザインの要素は、狙いとかはOKだけど、
そこに機能はない。あの絵をみて、何か便利になることもない。

スタッキング。
アイデアではなく、椅子を例えば重ねることなどの機能。
これは、つまり、そうやって意図があるからできることだ。
椅子が重ねられないと不便だろう。重ね合わせることができない
椅子もあるけど、とても不便そうだ。
キャンプ向けのデザイン椅子と、家で安楽椅子としてつかうデザインのそれは
そもそも全く異なる。
だから、100%OKな誰にでも受け入れられるものってないんですね。
つまり、アイデアも同じことかなと。
アイデア、提案もその人にはOKだけど、違う人にはNGなんてものもあるわけで。ここもデザインとアイデアの共通点。

社会というのは、デザインされたものが、
1人で使うならいいけど、多くは社会にとって役立つことを
志向して創られているといえる。
これは、アフォーダンスっぽい考えをしてくれればいいけど、
横断歩道の白黒は、実は縦線の枠がなくても、
横線の等間隔の白だけで機能する。コスト削減。
そういうのは一杯あるが、これって意識しないと気づけない。
横断歩道のデザインは人を救うデザインだ。