深い話をしようとか
腹割って話そうとか
そういう言葉をいうと、逆にいえなくなる心理がある。

それは、現状がそうではないからだ。
逆に話が出来ていればそんなワードは出てこない。
ということを思ったりしている。

さて、社会を面白くするってことは
面白くないのではないかということだが、
面白いところもあるし、そうではないところもある。
とにかく、自分が何かにとらわれるがあまり、
別のところをみることができなくなる。
それが一番いやだ。そうなったら、人格変えるぞ(笑)

自分のアンテナを見直すみたいなところで、
アンテナ意識しなくても情報入る天才肌もいるが、
僕はそうではないし、それでできる自信はない。
自分ができるようなやり方=持続可能って分かりやすいけど、
持続可能にチャレンジって言葉をきちっと定義して、
社会のモデルを導きだせるかというと、それってある種カリスマ性。
でも、そういうところを示せる人は、やっぱ皆無。

農業とか、政治とか、色々な面で、かなり無理がある。
ビジネスも無理。ここでどんどん出て行けるのは、
人間の本質とか、哲学、さらにはもっと踏み込んだ、コミュニケーション。
そういうのがもっと見直されると思うけど、
ただ、残業が復活していく局面って、正社員で働いている人々の
トータルでの話だから、かなりマスっぽいけど、既存の価値観すぎるかも。
もちっと柔軟になると、人口減の中で相対的にマイナーな考えが
一つの提案要素になっていく。
要するに本好きがメジャーな国って日本だよねってこと(違

で、深い話な番組があるけど、
深い話をすればするほど、逆に深ければ深いほど、
その内容を連発するために、深くなくなるかも。

個人的に深い話ってあまりいわなくても回りに一杯あるので、
いらないっす。もし、いないと思うんですが、
もしも、深い話をしたい人がいたら、自分が深い話をするしかないのでは?
と嫌がらせ。