会社ではなく社会の。
そういう発想をすると、日々の動きは多分きちっと
歯がかみ合えばとても貢献的な動きなんだろうと幻想す。

だが、当たり前のお客に対する仕事で、
その仕事を見て自分の存在が役立っていると分かる・実感することが
少なければ、良くも悪くも歯車はボロボロになる。

自分の中でどう考えても納得がいかないというか、
分からないというか、腑に落ちないというものは
結構何回か考えるが分からないことがあったりするが、というか常に、
でも、それを当たり前か、分からずにやっているか、
実は誰も分かってない、気にならないというケースもある。
難しいけど、その人の性格に合わせて適切な対応をすることにしている。

面倒くさい人。
面倒くさいのは行為であるべきだが、人に係ると随分評価が悪い。
扱いが難しいとか、色々な意味はありそうだが、良い意味ではない。
面倒くさい人のつくりかた。その逆をやれば面白い人になるのではないかと
考えている。

打算的かつ計算的かつ自分を嫌な存在だとみなす人。
一番、たちが悪いのはそういう感じかも。
カウンセリングでもないけど、ゆがんだ自己認識ってある。
とはいえ、ぶっちゃけなくても、歪んだってなに?自己ってなに?と
なると、すでに終了。そんなの誰も実は分かってない。
結論をいえば、数年やってきて分かる人もいれば、数十年やって分かる人もいれば、分かる人というか分かることか、そういう違いはある。
が、逆に分からないこともあるし、分かること分からないことって
質の変化であり、量の単純な変化ではないといえそう。
宗教やネットワークビジネスと一緒で、
「はいはい、勝手にやっててね」で通じればいいが、
そういう人も食料自給率に貢献してたりすると、
ああ、国民よーと一瞬思える。が、どうでもいい。

人生において働くとは何か。
俺はこう思っているよと、いえる人が実は最強で、強さいらないけど、
人の考えを聞いている時点で自分の意見の弱さみたいなものを
認めている感じはする。それは対話としてダメなのではなくて、現実として。
頑なにやることも大事だけどそうではないときもある。
さて、仕事って一般的に自分がやりたいことをやるのではなく、
人が求めていることをやる。えっと、これ当たり前だと思うので、
何度もいっておくと、
人が求めていること、そしてあなたに、つまり自分に求めていること。
それが仕事です。というわけで、もし、人のニーズや人との関係がない、
そういうところで無縁できるような感覚、感じで、
「好きなことをやる」とか「自分がやりたいことをやる」とか、
そうすれば永遠の自由であるとか、もし、いないと思うんですが、
いないと思うんですよ(笑)、でも、もしいたら、
それはないと思ってください。とくに若い人x今後社会出るxよく仕事って
何か分からん人は。
これは偉そうなアドバイスではなく、経済の仕組みがそうだからですね。
もし、自分の好きなことで食えるというので、人のつながりみたいな、
社会関係をすっとばせば、自分で自給自足できるものか、
とにかく「お金」が介在しない仕組みを考えるべき。
多分それをやろうって人なら、逆に人に求められているものが
分かっているという皮肉。

つまり、どちらにせよ、何でも中途半端な人は、
自由からの逃避も中途半端だし、自分の好きなことも中途半端。
全部中途半端にやらないように、先達からの素敵なアドバイス。あざっす!