一定の音が、空気の振動がリズムというこれまた
一定のものを奏でる?となるとすると、
そのリズムで物事を進めればいい。

が、リズム通りに、例えば、トントントントンで4段階で
物事は進まない。リズム通りとは良い表現になりがち。

なぜか?
それは、物事はうまくいかないのではなく(これは自分からみたら)
そもそも、自分ではない人と関わることで出来ているからだ。

ここを注視すれば、
なぜうまくいかないのが簡単に分かる。
また、他人とのかかわり方も見えてくる。

ものごとがクリアにみえる。
そうそれは、リズムに注目すればいい。

人の呼吸でもいいけど、リズムが合わないとやっぱ一緒にいるだけで
イライラしてくるかもしれない(笑)

リズムを奏でるのではなく、リズムは刻みたいし、
刻むものだと思っている。奏でるのは「なでる」ようなもので、
刻むのはそこの空間を生成するってことになる。

飲みニケーションしか出来ないならしょぼいけど、
飲みニケーションもできるなら武器になる。と思っていて。

世界の壁、もしくはどこを目指すかもあるけど、
目指すものがなきゃ、まずはやるしかないといいますか。

限界というか、緊張感とか、そういうのないと、
多分すぐにしおれるし、終わる。さようなら。

できそうなことをやっているだけでは、
多分できそうなことで終わる。さあ、挑戦というのが
その人のどこまで体に落ちているか。それが大事。

新しいことを、新しいものをやろうとしているか、
人と違う生き方をしたいといって、人と同じような生き方をしている。
そんなのすぐ分かっちゃう。だから、思ったことをやる、
考えたことをやる人生でなければ「ダメ」なのだ。
それは自分が、ダメということだ。他人がどうかは関係がない。

絶叫とノイズ。そこにどちらに魂があるか。ソウルがある。
絶叫だろう。別に悲鳴ってことではなく。魂があるかどうかだ。
それ以上のものを提供しなきゃ、僕の背すじはゾクゾクしない。
よって、没だ。

悩み・怒り・苦しみなどが、表現を助長するのだろうか。
喜びや幸せなどが表現をしたくなるのだろうか。
あまり、苦しみを聞いてよというのはテンション低くなるから、
いかに面白く伝えるかではないかと。それってやってくしかない。

というわけで、アサッテの方向をデザインするというヒントが出てきた。