人生は1ビットだ。
生きるか死ぬか。
いや、生きているか、死んでいるかといったほうがいい。
死んでいるような人生なら、死んでいるにカウントしちゃいたいが、
そんなこといいだすと、また色々だ。

精神や、心というものが、大切だというのは
漠然としているが多くの人は分かっていると思ったりする。性善説。
でも、現実は家賃とか、ガソリンとか払うこととなると、
一体なんだろうと思ってしまうわけ。

これって関係がないようで、単に「自分」の中で
圧倒的にリンクされている。

何をいっているかといえば、
要するに、自分が関わるものは何らかの形でリンクしているってことだ。

社会と関わるというのはビッグな言葉だけれど、
やはりいやなことがあっても関わるほうが
何かいいと思っている。変なこという人はどこへいってもいる。
多分、火星にでもいる。

話が絶対通じると思っているわけじゃない。
でも、話をしていくことなしに通じるのはやはり甘い。
やっていって、確認して修正していくしかない。

他人が自分に無関心なのか、自分が他人に無関心なのかは
結局結果的にはどちらも一緒に見える。
しかし、やはり違うものだ。

もちろん、いやなのと無理して付き合うこともない。
多分そんなに嫌なのは人生のロングスパンでみても、
そんなに人数も時期も少ないってことになるからだ。

きっと良い人(つまり、メンターであり、話せる友人であり、
素敵な人であり、家族であり)は近くにいる。
いないなら、そういう人が現れてくる。

待つことも大事。
でも、やはり基本は追え!