人に会っていく罠というのはある。
そんなのあるかいな?
実はある。

それは、主体的なものが消えているときで、
色々な人に会う=モチベーションがあがる、
で終わってしまうとき。

人に会うということは、関係性継続的な意図って
あまり実はなくて、そういう人は「定期的に会う」から
「人に会っていく」という言葉では表現しないので。

で、久しぶりに会う人も含めて、多くの人に会っていく中で、
自分は色々な人にあっているというのは、
刺激になるけど、でもそれを活かすことがなければ、
あまり意味はないと思っている。

要するに目的であり、要するに、自分がどうしたいかである。
例えば、ビジネスを学びたい人がビジネス本を読むのと、
そうではない人がビジネス本を読む(ビジネス本=ビジネスの勉強って一応いっておくけど)のでは
意味がことなる。動作は同じだけど。
結果というか、学習の吸収力、必然性(必要性)が違うからだ。

人に会うことで満足してしまう・・・
というのは大いにある。
これが分かるかどうかってのはかなりえらそうだが、
要するに「会って学ぶべきものがあるかどうか」とか、
学んだことがあるかとか、何をしたかったのか。
当たり前だが相手も時間も割いているわけだ。
そういう点が見えてこないと、
ただの自己満足で終わってしまうのは、基本であると。

人に会うのが悪いのではなく、
なんでそうするのかはある程度考えないとダメですよねー。