書くもの=その人が現れる、ああ表れるか。

その人が何を考え、
何を思い、
誰に向かっているメッセージなのか、
全てが分からなくても、重ねていくことで分かる。
分かってしまう。

文章を書くことが苦手な人というのは、
当たり前だけど、文章を書かない。
僕も苦手なことはあまりしないから、
ますます苦手になっていくというのはある。

が、そういうことも、もうどうでもよくなってきている。
苦手とか、好きとか、そういうのも大事だけど、
もっと面白くしていきたいと思っている。
要するに、好きの中の好きをめざしながら、
苦手な好きみたいなものを楽しむと。

まさに極意。

文章をさらすことは、実はその人が匿名であれ、
ほとんどその人をさらしているのと同じだ。
性格をわけて書く人もいるかもしれないが、
おそらくそれって、人格の崩壊を招く結果になる。

夢日記をつけるサイトかなんかがあったが、
注意書きがあるかどうか分からないが、
くれぐれも、夢と現実が分からないなんてことにならないように、
強い警鐘を鳴らしておく。
なぜ?
夢の日記は、夢であり、現実ではない。
現実の日記は、現実であり、現実だ。
当たり前でしょう?

夢日記をつけることで、それは実は現実の日記ではないかと、
習慣化するとどこかで発生すると思う。多分だが。
僕は夢を録る趣味はないが、
もし、そういうことをして現実と夢が崩壊しているなら、
ちょっとやばいので、はやめに止めた方がいいです。
老婆心。