知識がハードなら、やわらかくする必要がある。
つまり、抽象化→具体化。

知識、いや学んだことがやわらかいなら、硬くする必要がある。
つまり、具体化→抽象化。

前者を演繹、後者を帰納とかいう。はず。
よく間違えるので信じないように。

で、なんでこんなことをするかというと、
よりよく学ぶとか、オトシこみたいからなんだろうと思う。

例えば、魚群を発見するには、カモメを探せとか、
そんな話あるような。
でも、それって、抽象化すると、
何かの合図があって、何かは起こりやすいとか、
そういうこともいえる。

すると、何かの予兆とかも分かるかも。
船の備品がなくなっているとかね。エンジンが調子悪いとか。

もっと例をあげていこう。
デジカメが壊れるということはないけど、
デジカメの充電は充電が切れてからやるべし・・・って
電池の特性だろうけど、そんなのがありそう。
それってなぜか?

これを抽象化すると、何事も使い切る、タイミングとか
適正があるってことになる。
例えば、バットは太い方であてる道具で、
細い方であててもいいけど、使いづらい。
適正は、太い方であてる・・・わけだ。

例えば、お金が欲しいという人は、
多分、お金という適正な道具で自分の欲を解消しようとする。
が、欲は残念ながら消えることはなく、
どんどんその欲は大きくなるのだ。

だから、欲を追求することがどうではなく、
その欲を追求することで、自分の戦略(笑)の
整合性が取れていればOKだとしたい。

要するに認めるけど俺はヤダよっていうのが
公然といえるのは、それだけの戦略があるってことになる。
代替案を提示するのではなく、自分とはやり方が異なるといえばいい。

かっこいい。