戦いは重要だ。
それは敵を滅ぼす、のではなく、
「社会を良くする」といってごまかすことも可能だ。
色々な言葉で言える。

それを知っている人は、なんだそんなことかといえるくらいだ。
でも、それをしっていても、実行に移さない人が多い。

最近、電車の中で見知らぬ人に声をかけることが多くなった。
といっても、怪しい人ではない。
何かするにも、4人席とか、そういう席だと、相手の挙動を
いくつか気にすべきだと思うから。
声をかける、これが僕には欠けている点だと最近思い始めた。

どちらかといえば、あまりコミュニケーションを取らないというか、
取らないで済めばいいというか、
自分のペースで話せればいいというような考えの人間だった。
というか、それは間違いでもないし、今でもそうだけど、
何か違うなあというのが最近は前に出ている。

引くことも重要だが、基本的に、何かやりきった感、
「働きマン」でいえば、「仕事したな!っていって死にたい」ほうに
僕は共感する。

まあ、仕事っていっぱいあるわけですけどね。


自分が戦う場がみえたら、後はPDCAを回していくだけだ。
言葉は簡単だが、これがくそレベルが高くて、
また、実際にやっている人とやっていない人の差は、
結局そういう実践レベルに落として考えると明確になってくるわけだ。

でも、安易に経験があるからといって人を見ない。
フラットというのは正直なところ、下級者(ここでは修行レベルが低い人、ってなんだこれ?)には厳しいという考えを何度も書いてきた。
実際にそうだ。

僕は最近はそれを感じても、絶対に引かない。
そのままいく。

もちろん、言葉と視点を変えることで、分かりやすく伝えることは
惜しまないけど、関係性において、フラットは時には残酷になる。
その残酷性が、優しさにもなることもある。

人生ってやっぱ面白い。