おわりがある。
例えば人類、例えば人、例えば企画、例えば、出会い。

なんでもいいけど、5年、10年たって
その人の考えが変わらないのならば、それはコアなんじゃないかと
勝手に思ったりする。
変えられないというのは良い意味でも悪い意味でもいえるわけで。

綺麗な飛び方で空を飛ぼうとかは思わなくて、
といって独自のスタイルに拘るようなこともない。

しかし、考えと想いがやはり捨てるわけにはいかないし、
というか、それなきゃ俺ではない、僕ではない、ということになってしまう。

自己のアイデンティティなぞなにもないのだと強がることも、
何でもいいじゃんと嘘ぶくこともできる。

でも、はじまりがあればおわりがあるのは、
やはり変わらないわけで。

さようなら さようなら
そして ありがとう

と月並みの詩をここに記す。

にしても、放電コミュニケーションって
コミュニケーションなのかどうかが気になる。
というか、コミュニケーションじゃねえ。

でも、広告をコミュニケーション戦略といってる。
むう、むずいな。