どれだけの言葉たちをどれだけのコミュニケーションに
どれだけ込められただろうか、とふと思った。

実は、結構簡単に言葉を使って、言葉で遊んでないかとか。

もちろんそんな一々の言葉に神経をとがらせると
会話が成り立たないからダメだけどね。

ここにはないどこかに素敵な素晴らしい世界があるとは
今は到底思えないし、今後もそれはないと思っている。
今生きている現実に、結構というか、大分というか、
ものすごく感謝しているのが実状だ。

それは、人が何かをくれた・・・というのも一理だが、
むしろ、状況を楽しむだとか、何か面白そうだとか、
そういう人の動きをみたり、自分も動いたりするとかが、
何か自分にはものすごく刺激的で楽しいということになりつつある。
もちろん、ある程度それに慣れてしまうと、飽きるかもしれないが、
会っても会っても人は色々な人がいるから、
相性もある。だから、気にせずどんどん仲を深めていく、
そんなスタイルでいいんじゃないかと思ったりします。

青い鳥はそばにいた、というのはどうでもよくて、
じゃあ、事実として現実として、今の世界があるから、
それをどう充実させていくかが今の僕の課題になっている。

ある程度は意外にできてしまうが、
さらにやっていく、継続していく、何かを生み出すのは、
やはり「簡単」にはいかない。難しいからできないというより、
ほとんど何もないから、いわゆる木を切り倒す際に、
木を切り倒す道具をもってこいといってもそれはなくて、
それを作る作業から、しかもその道具の材料もない。

それだと大抵の人って諦めてしまうんじゃないかと
そんなことを思ったりする。もちろんそれは普通だ。
でも、そうじゃなくて、なぜか諦められないというとか、
もっとやりたいという、思いがやはり、感情なんだけど、
自分を突き動かしてくれるんだと、再認識する。

自分をもっと信じよう。
自分をもっと好きになろう。

そんなことをしてジココーテイ感をさらに高めていこうかしらんと。