ただこの世に生きて存在していきたい。そうしたい
人間の生きる意味というものは考える意味がない種の問題ではない、といえる。要は、考える意味があるよ、ということをいってみたい。

なぜなら、答えらしきものが出なくても、やはり・・・
世の中には自分は確実に存在するから、だ。

死のうとする人も、疲れきっている人も、エネルギッシュな人も全部。
今その瞬間に生きていることが、ぐーーーーーーーと、いい!って思えたら
多分そんなことを思うんじゃないかしらん。

哲学的な話で、へへっとか、ははっとかいう話で
スルーできるものでは、僕の場合は決してない。

といえ、真正面からがっつりぶつかる必要性は今は無い。
というか、ぶつかっても答えは無い。
ぶつかるというのは、悩み続けるということだ。
考え続けるのはいいけど、ハゲになったらスキンヘッドでいこう。

それは冗談として、生きる意味はきっとあるが、
その意味の価値において、あまりにも薄いと思ったら
死んでしまう人もいそうだ。というか、絶対いると思う。

だって、現実が現実として辛いなら生きる意味はないからね。
そんな悲しいことは言わないでくれっていう人もいるけど、
まずこの悲しさを理解することから、明るさは生まれるのだという
二元論的論法(笑)が僕は好きだってだけの話。