フェイント更新。

ちょっと思い出したので。
前、友人に「あんたがサラリーマンのデフォルトだ」という認識があった。
分かりづらい文章だな。

要は、僕が月給生活者の典型だと思っていたそうだ。
無理もない。それくらい、月給生活者・・・ってサラリーマンにしとこうか、
サラリーマンとは違う環境で働いているのだろう。
また、仕事でサラリーマンと関わっても、それはサラリーマンと
接するというよりも、仕事で接するだけだから、
相手がすごくサラリーマン的な考え(サラリーマンとは月給鳥とか
そういうことじゃなく、また企業に勤める人という意味でもなく、
サラリーマンっていう代名詞の意味が強いのは今更感?)で、
部長がうるさいが、仕方がないみたいな(なんだこりゃ?)考えが
あっても、よその人にそんなことをいうのは馬鹿だろう(笑)

だから、分からないだろうと。

しかし、僕もサラリーマンっぽいかもしれないし、
そうではないかもしれないが、まあそれはいいとして、
僕みたいなニンゲンがデフォルトで、サラリーマンだったら、
結構怖いぞと思ったりする。
それは、自分みたいな考えの人間はそんなに必要とされないという
意味であって、何をいってるかというと、
バランスだ。人は得意不得意をフォローしあえるから、組織で
結構一つの形になるだけであって、、というような程度の話。

その友人には誤解ということで説いておいたが、
果たしてその誤解というか、認識が解けるというか、
新しく更新される日はくるかどうかは非常に疑問。
要は、そういうイメージがあるんだろうという程度の疑問で、
深い意味じゃない。

最初に何かしたものは、そうであると認識しやすい。全くやれやれだ。
いい意味のことが多い。最初に本物っぽいとか、一流っぽいとか、
最初でガツンとやっておけば、びびってこない人間もいるし、
そのガツンに反撃する人間も、協調をはかる人間も色々いる。
しかし、一つ思うのは、そういうガツンというやりあいも含めて、
実はよく人は思った以上に見られていて、でも他人は自分と違うという
ようなところだろうか。


で、こんなことをいってると、お前のサラリーマン像はどないや?と
なりそうなので、いくつか。
・組織人である
・野心がない
・そつなく仕事をやる
・自己の意見より、大勢の意見を大切にする(協調性が高い)
などである。

組織人とは、例えば、仕事は会社でするもんだ、みたいな考え。
これは、もうすぐ剥がれ落ちそうだけど、以前としてある。
さらに情報を加えておくと、若い会社というのがある。平均年齢が軽く20代の会社だ。
ベンチャー企業という野心だしまくりなところであろうとなかろうと、
そういうところは、やはり組織というより、サークル連帯となるようだ。
そういう会社もあるということだ。

野心がない
これは、悪い意味じゃなくて、世界をひっくり返してやるとか、
東京タワーのてっぺんに上るとか(やめましょう)、
そういう人と違ったことを、結構本気でやろうとしている人のことを
言う。が、とくに現状で多くを望んでいない、より高いものを!っていうのは、確かに仕事の質という意味での改善はあれど、
それを「本気」でやろうっていう人はやはり少ない。
僕がそういう人をあまり見出せなかっただけかもしれないけど、
正確にいえば、数が少ない。
例えば、部長クラス、事業長クラスの人間は、そこで任された人間だ。
だから、その人の意見が「あれ?」な意見だと、その事業や部の
レベルは推し量れるものだ。という意味で、部長とはすごい存在だと
いっていいかもしれないが、別視点でみれば、それだけの時間と
経験があるということを意味する。
それに魅力を見いだす人はそうなるように動けばいいというようなオハナシ。

野心がないのがダメなんじゃない。ない人が多いのがサラリーマンじゃないか
というようなこと。
実際に、野心を達成するには、会社員しながらもなかなか気の長い話。
気が長い人はそれでもOK。

・そつなく仕事をやる
漫画「働きマン」でいえば、新人田中。
でも、あの漫画では新人特有っぽい描き方だが、そうでもないような。
要は、仕事は仕事と切り分けるというところはまあそうかもしれないが、
そつなく何かこなしていく、要領がいいという人は、
何か「会社員の処世術」みたいで、あまり参考にしたくないというだけ。
そつなく仕事をやれるほうが、全然できないダメ社員よりましかもしれないが、
自己にとって、本人とっては、見えづらくなるだけなので、
そういうのもちょっと考えものというところ。
そつなく仕事して終了っていう人生を悟っているならそれでよし。

・協調性が高い
これは、そうしないと組織が回らないからだけなのだけど、
それが全部だと思い始めるのが嫌。
要は、組織=会社=社会としてしまうがために、
「会社の常識」が世界の常識とすらしてしまう・・・のだと感じる。
大袈裟ではなく、そういう時代も普通にあったのだ。今は過去だと
言える人間が大勢しめてきているから雰囲気は違うだけの話。
協調性が高いのは良さそうだが、実は自己に対してのストレスや
過剰なストッパーとして成り立ってしまうこともある。
それが問題。
また、社内のいじめとか、ワケワカランことも結構やる会社も、
人の数くらい会社があると考えても相対的に問題ないから、
あるんですね。まあ、世の、会社と従業員の裁判ってのは、
結構、現実離れした感もあります。でも、事実ですね。
なんか怖いっすね。


で、まとめてしまうと、
サラリーマンを舐めるな、という逆結論であるのだけど、
そもそも、サラリーマンサラリーマンうるさいって意見もありそうなので、
とりあえず、僕は「僕」として生きていくということだけをいっておいて、
これぞ年内ラスト更新。

OH、YEAH.