自分の強さというのがある。
それは純粋に「強さ」があるのではない。
そうではなくて、「弱さ」みたいなのが
ものすごく重層的に重なり合っていくことで、
生まれるのじゃないかと思う。
それを失敗の経験値が高いといっても、ほとんど同じ意味になるかと思ったりする。

負けない心が最初からあるわけじゃない。
強い芯がいきなりあるわけじゃない。

徐々にやってきたからこそ、
今言えるのは、というか、断言できるのは、
そういう負けない心とか芯みたいなものが、あるのは、
今までやってきたからなんだという自信だ。

結果が自信に変わる瞬間みたいなのを
今、この瞬間に感じている。

よくやったと自分で思っている。
そこには自信がある。また、同じレベルのものを、
代替可能であれ、価値あるものは提供できたんじゃないかという
自負はある。

それが逆に全く評価されていなくても、あまり悔いはない。
常に大体、精一杯の力は出したからこそ、120くらいで
やったんだと今では思える。
80だったと思うのは実は120で自分なりだけど、
高めたつもりだった。つもりで結果がでないのはどうか、なんだけど、
そこまでフィードバックする必要性はない。
しいていえば、できたんだろうかな、くらいでいい。


失ってならないというか、忘れてならないのは、
物事の継続性だ。それは人との関係もなかなか同じことがいえる。
継続して続く関係というのは、ものすごく貴重なんだ。
そういうものは大切にしたいし、そういう関係をもっともっと
よりよくしていきたい。

また、自分の強さを誇示することはなく、
少なくともひけらかすことなく、ひたむきに
体当たりができるだろうと、思ったりする。

悔しいことや辛いことや苦しいことも、
きっと乗り越えられるでしょう。
そういう強さが、なぜか僕の中には、今この瞬間かもしれないし、
そうじゃないかもしれないけど、
確実にいえるのは、本当にここにあるということだ。

これは何度も言うが、過信ではない。
また、未来に対する無駄な夢想でもない。
現実を直視した上で、自身の振り返りの結果・・・でしかないのだ。

振り返ったらそこにあった。
気付いたらここにも、そこにも大切なものがあった。
ただそれだけなんだと思う。

それは身近な青い鳥をゲット!ということではなくて、
やはり、やはり自分の振り返りっていうところから
分かったんだろうかなと思っている。