ボールペンをゲット。
WATERMANというブランド。知らなかったが、まあたまには
いいでしょう。昔、renomaのシャーペン使ってたけどなんか
なくしたか壊れたのを思い出した。重さがいいなあ。

「塔の上」観る。
パフォーマンス的ダンスが好印象。
山風な物体が動くには、かなりびびった。
最後の観客上を後ろから覆う形のパフォーマンスは圧巻。
あれは、あの黒ビニールの中で、人が人の上に(多分ほぼ直立に近いはず)
で、4人くらいの高さにはなってた。
どっかに、折りたたみ棒とかあるんだろうと思ってたけど、
あのビニールの形状からして、多分「塔」なんだろうけど、
棒とかはありえん。人がやってる。すげ・・・。
中国でみた雑技団って、ピンポンを11個くらいカチカチやるんだけど、
なんかそういうのとは違うんですよね、とか思ったり。

内容はニュータウンの話。
この話惹かれるのは、コミュニケーションというところで、
自治会とかの機能性について考えてしまった。

その後そのまま食券のある店で飯を。
食券自動販売機ってあまり好きじゃないのは、
例えばコミュニケートを客としていこうと考える店は
多分「手間」(精算とか結構面倒でしょう。レジでやるとか。)が
かかっても、それは導入しないような気がしてきた。

面白いのは、ネットで注文しようが、誰かが必死に運んでいるということ。
誰かとは、飛行機のパイロットでも、トラックの運転手でも、
バイク便ライダーでも、郵便局の流通ネットワーク!でも、
なんでも、最後は人と人が、FaceToFaceということを感じた。

ほら、食券って買っても渡すじゃないですか。
僕はその「渡す」という行為がなんかいいなと思ってしまった。

嫌いなことをこれに関連して思い出すのは、
延滞したからっていってもバレますけど、ビデオとかDVD借りて、
それを「店が開いているのにもかかわらず、返却ポスト」とか
入れる人っていそうです。

図書館をよく学生の時に使っていたとき、
開館しているのに、返却ポストに入れていく人がいた。
面倒なのか、受付で返したくないのか、よく分からないが、
何か「格好悪い」なあと感じたものだ。

今でも変わらない。

その行為は、結局、食券自動販売機でいえば、
食券を買ったら、その食券を渡すことなく、
調理場にメッセージがいって、店員が運んでくるか、
もっといえば、機械が運んできてもいいってことになる。

うわ。そんなの嫌すぎ。
そういうのがいいんだろうか。と、ふと思う。

そりゃ、あんた、人がわずらわしいとか、一人でいたいって
ことはありますよ。
でもね、あんた(誰?)、基本、生きるってことは、
人に関わってくんだよ。嫌とかあるだろうけどさ。

そういうのって、逃げ切れるものじゃあないよ。
といっても、我慢しろっていう話でもないんだからさ。


K・D ハポンへ潜入。
朗読を味わう。うむ、これぞスローな生活だ。
主催ニシムラ氏、ゲスト谷籐氏での3本朗読が展開。

個人的には、朗読をどう楽しむかが課題。

とりあえず、ニシムラ氏朗読の「増補版 時刻表昭和史」は、
すげー読みたくなりました・・・。
朗読部分は、7月か8月あたり(1945年、つまり終戦年)で、
天皇の玉音放送でしたっけ、あの時も列車は普通に動いていた・・・
というようなところが印象的。

多分、列車が好きとかじゃなくても、昭和史とか旅とか
面白そうだと思ったら読め!ってレベルな気がしてきた。

谷藤氏朗読の「雨降り舞踏団」は・・・詩集か、
普通に「雨」の中で、傘もささずに・・・というBIG-Oの台詞を
思い出しましたね。ええ(笑)

ニシムラ氏のサイト
AfroWagen

谷藤氏のサイト
谷藤氏は、つきそら書房という本屋ではない、朗読ソロユニットを
展開されているそうです。なんか、スローな感じでいいですね。


で、朗読の楽しみ方ですが、
これは、結局、本の楽しみかた、音読をやるのか、聴くのかとか、
で色々要素を入れていくと全然違うんじゃないかなあってのが
今の感じです。

スローとか、精読とか、じっくりとか。
味わうってことをもっと追求せねばいかんぞと思っているところです。
そういう意味で、朗読は参考になっています。


で、話は吹っ飛びますが、
最近は、30代に注目してみます。ぶっちゃけ、20代がつまらん。
それは自分の世代がダメとかではなく、
周りをみても、やっぱ20代って、「若い」って括られるんですね。
例えば、社会に出たひよこちゃん(笑)みたいな感じがあって、
僕にはそういう感覚はないのですが、事実ですね。
いわゆる、そうではないんだといっても、そうであるというギャップがある。

30代に注目する理由は、
色々なところで、見る見てきた人で、やっぱそれなりに
年齢なり経験なりってところを、コアに落としこんでやってこれる
人って、30代くらいでやっぱそれをやっていたりするんですね。
ちょっと分かりづらいかもしれませんが、
30代で、人を比較すると、結構分野ばらばらで、色々ですね。
例えば38の人がいて、でも、別のこと(ここでは仕事が主ですが)を
やっている35の人はこういう風に生きている。

そういうのって、人に会わないと、見ないとそもそも
想像すらできないので(本を読んでもそれは可能とは僕は思わなくて、
やっぱ物語に没頭する以上に、現実に没頭したいですよね)、
やっぱ人は会うとか、話すとか大切ですね。

そういう30代をみていって、嗚呼この人いいなあって、
全然焦りがないなあとか、楽しんでいるなあとか、
イキイキしていいなあとか、これは自分も早速やれるかもしれないとか、
ここは違うかもしれないなとか、そういうことを考えるんです。

そうすると、人に会うのが楽しくてしょうがない。
それは、ちょっと間違えると「人を比較して遊んでいる」だけなんですけど、
でも、大分前に書いてた、選択肢の話からすれば、
つまり、選択肢というか、選べる、選んだことがどうつながっていくかって
すごく見えづらいんだと思うんです。
だからこそ、選択できるものって多いほうがいいかなと。

「お前はこの店を継がなきゃならん」
というところで、それ以外の道を模索せずに、その道に入れるかといったら
なんか違うような気が、あくまでも気ですよ、するんですね。
やっぱ、他の道考えたりして、最終的にこれだって。
そういう風なんじゃないかしらんと。旅。かもしれませんしね。

まあ、そうやって考えていくと、
同年代というか、同年齢の人がどう動いているかは
ほとんど興味が向かないのが実際のところです。
そりゃ、年近いってのはいいことのほうが多いですけどねえ。
でも、年齢はある部分はこう思い込みみたいなところで、
うまく隠してくれて、逆にそうじゃない点のギャップが面白いと
そう感じています。

というわけで、10代の人はしっかり勉強を(笑)
20代の人は選挙いきましょう。とりあえず(笑)
30代の人はもっとがんばってください(えぇ
40代以上の人は、若い人を応援してあげてくださいね。

というわけで、僕はもっと勉強しますねえ(!