ということが100%ではないにしても、大体あるものだ。
というか、そういう問いが周期をもって現れる。
やつがきた!そうやつがきた!(笑)

やっつけるということは今回はしない。
宮本武蔵ばりの奇襲で破ってしんぜよう(笑)

という冗談はともかく、
自分がしたいことが明確にここにあるということは
スルーして、とにかく、今日思ったのは、
「自分がしたいことをするには、
毎日本1冊くらいは読んでないと全然駄目な」
気がしてきたことだ。

といって、本1冊軽く読める、スピードと知力(笑)(とくに知力)と
ユーモアと、お金(とくにお金)と、時間と時計(とくに時計)が
あるわけではないのだ。(ここ笑うところです)

まそれはいいとして、そのくらいの気概と覇気を持たねば、
なんていうか、世界が眠いままだ。

「未来形の読書術」の著者は、
2回くらい、精神的若さについて書いていて、
それは、読んだことない本でも、「見栄」で借りて読んだ風に
するらしいとか、すげー見栄っぱりだと思ったけど、
まあそんな見栄は自分にはないが、似たようなものはなくもない。
それくらいの気合いで読むというのは微笑ましい。見栄はやだけど。

精神的に年寄りというのは、もう興味も何もないや、みたいな人で、
それはもう終わりである。多分死んだ方がいいなんていうと、
本当は駄目なんだけど、軽く吐けちゃう言葉である。
興味がない人間は死ねってか!なんて恐ろしい反論だが、
それくらいの気合いが欲しいのだ。

どうもそこらへんの気合い(ああ、精神論じゃああ!)なくして、
何か成し遂げる、もしくはやり遂げる、成功させるみたいな、
そんな空気を感じることがある。

そう感じた瞬間、
「てかさてかさ」
といって、
「絶対無理だよ」
ということになる。

自分としては、そのような状態でほとんどやることはない。
なぜなら、まず、自分に問う。気合いについてだ。
そんなことをいうと、「チミはやりたいことしかやらないのかね?」
みたいな、大人な意見がでてきそうだが、
「ああ、当たり前だ。このやろー」である。
自分がやりたいことをやる。その上で・・・・って
このフレーズ、数年前に書きまくった記憶が。

怒るぞ。(いかるぞ)
オーラを出せ。
お前は誰だ?
お前はお前。俺は俺だ。

これは、僕自身の話のみではないと思う。
多分人は同じようなことを、きっとどんなレベルでも抱えているはず。
と、思うが、そうじゃないかも(笑)

とうわけで、今日は本1冊読んじゃおふ。
わあい。