何もやらずにいるなら、せめて吠えてほしい。
「ちくしょー」とか
「くそー俺は負け犬だよ!」とかでもいい。
とにかく、吠えるべきだ。

鳥人間コンテストで優勝できなくても、
優勝したいなら、まずコンテストに参加することだ。
そのために、人を、仲間を、道具を、材料を、知識を、
練習を、指示をしなければならない。

コンテストに出ずして、優勝しようとする人。
宝くじを買わずして、宝くじを当てようとする人。

この理屈は、
目の前のことをやれてないなら、
きっと目の前のもっと先、つまり、先のことは
できないということになる。

が、まあそんないつも決まったことにはならない。

が、大体そうなりやすい。

例えば、挨拶が出来ない人が、
コミュニケーションをうまく取れる確率は
非常に低い。いや、確率ではなく、できないといっていいだろう。

目の前にあることに追われていたら、多分
ずっとこの先も追われ続けるだろう。

この悪循環から逃げるのは、あまり賢明ではない。
が、逃げるのも一興であると認識すべきだろう。

賢明な方法は、解決を目指すところで、
循環の鎖を断つことである。
それは非常に難しい。

多分、自らの血肉も少しは注ぎ落とされて、
かなり痛いかもしれないからだ。

でも、吠えて欲しい。

これは僕の希望であり、
吠えなくても、できなくても、そのままでも、
誰も何も言わない。
多分、かわいそうだねと人から言われるか、
愚痴になるか、
あとは、自分がやられるか、だけである。

こういった感度、つまり、客観視をどんどんしていくには、
情報が必要。
それは感性量の総和でもあるし、思考量でもあるし、
想像量でもある。まずは量だ。

量をこなさずして、ぶーたれる人、それが単に多いだけである。

何度も言うが、
人の成長は時間がかかるのだ。
そこを踏み外したら何もできない。
逆にいえば、人の成長以外は結構なんとかなるかもしれない。
が、そのスピードに人がついていけるとは思えない。

だから、話は飛んでいないのだが、
「スピードハックス」でいくら早くやってもやれても、
その余り時間をどう使うかがなければ、意味なしホーイチである(座布団2枚。微妙。)

速読法というのがある。
あれも同じだ。人より本を読めるという満足感は、
多分意外に続かない。そのような「自己」満足感だけでは、
面白みが少なく、刺激が少ないからだ。
というか、人に自慢するために何かやるという行為自体が気に入らん(笑)
だから、速読法を活用している人は、きっと
速読してあまった時間を・・・活用できている人ということになる。
要は、速読して1時間あまって寝るなら、
1時間ゆっくり読んでいることと、同じだ。
もっとも寝ることをしたいがために、速読するということもあるが、
これは稀だろう。そんな動機付けできる人もいるかもしれないが、
学びとか学習の方向にいきそうだ。

とつらつらかいてしまったが、
とにかく、何もしないならせめて吠えろ。
これはすごく重要なことだと思われます。
コロンブスの卵なみ。