その人道主義を説いた革命も結局失敗に終わるということか。

共産主義でもない資本主義でもない革命という台詞に期待したが、
ソ連が手を引いたことで経済崩壊。
結局、経済なしで自国で完結できないならば、
資本主義に頼らざるを得ない。

日本も同じく。自給率とくに食料自給率が100%でなければ、
それが必須物資ならば、輸入に頼らざるをえない。
そもそも貿易とはお互いにないものを補う発想だと思うが、
必ず差異は格差を生み、そして貧困と金持ちを生み出すか。

宇多田ヒカルの曲に確か、誰かの願いが叶うころ、
誰かが不幸になるみたいな歌詞があったはず。
あれはなぜそうなのかが問いたいところだが、
じゃあ、資本主義は必ず二層に別れるかと。
そうして、セーフティーネットというフォローを
国がしてくれるという前提がある。

政府がおかしくなれば、人は一体何を信じればいいのか。

結局、ゲリラ戦だろうが、何だろうが、
暴力を使ったらダメなのかと感じる。

戦争を美化する気はないところで、
反戦を感じた先達は何を祖先である我々(なんていうと右翼っぽいが
別にじいちゃんの話なら身近なわけで)は、
何をそこから学ぶかは、腕のミセドコロだ。

もう、8月夏、終戦の日が近づいている。
一体誰が、戦争を望んだのだろう。
非国民と誰が言うような文化、誰が日本語を強制して、
誰が人を殺し、誰がその頃何を思っただろう。

主義はある種の運動でしかない。
そこに生命とくにというよりも、人間の生命保存でしかないが、
運動が主義という言葉に隠れているだけだ。

もっと学べ学ぶのじゃ!