力はどこにでも生じる。
圧力とはその相対的なものから生まれる力だ。
だから、格差というものがあれば、必ず弱いと思われる人も
レバレッジを効かせるはずだ。

はず、というのは、そもそもそのケース(状況)が
全く違うからだ。

経済格差というのと、小遣い格差では話が違うというわけだ。

具体的なことはいえないが、というか分からないが、
最近ぱったり見なくなったが、一時期ビジネス書らへんで
流行っていた、えーと、あ、でてこない。
なんとかの法則。数学とかのあれ。あー。でてこん。まあいいや。

それは、結局、軍隊とか戦争の話が基だからアレだけど、
例えば、自分が弱いなら、1v1で闘うとか。
1v多勢はばか者であるとか、そういうの。
まあ、兵法ですね。あ、思い出した。オペレーションリサーチ。OSね。
そこから解釈?して、上の1v1とかの話。
あ、思い出した。ランチェスターの法則だ。おお、さすがRM。
書きながら思い出す。この力強さ(謎

だから、まあ弱いものには弱いものなりの戦いがある。
ある人物、それは大統領でも、首相でも、友達でも、赤の他人でもいいが、
僕を憎むとしよう。で、殺してやりたいと思うとしよう(やだなあ・・・。
で、その場合、大統領なら、きれいに僕の住んでいる建物ごと
ふっとばすミサイルを打つかもしれない。
そうなったら、僕は「天を仰いで」「まあしゃあないか」とか
思うかもしれない。絶対的な強さだ。こちらは何もできないだろう。

しかし、そのようなケースはほぼありえない。
事故にあう確率の方が高いだろうし。

じゃあ、そうでないケースなら、僕はどうするか?
殺しにくるなら、バリケードをつくったり、仲間を呼んだり、
助けを求めたり、敵?の動きを、情報を探るだろう。

軍事力をもって何かと考えている人々がまだいるのかと
そういうのは、そもそも海外では当たり前のように紛争やらが
おきていて、戦争も、暴動もそうだし、
全く「静的」ではない。そこで「静的」に、軍事力はいらないというと
ギャップがあるわけだ。
もちろん、分かるが、そもそも、次元が違う話を同じ次元にもってきて
しまうところで、ディメンショントリック!があるわけだ。
論理の飛躍と、詭弁とほぼ同様だろう。

おそらく、そこまで本気ではない、それは、考え方の相違ではなく、
本気度の問題だと考えている。
それは学ぶとか。

例えば!
原爆を落とされた人間は、当たり前だが、戦争賛成するわけがない。
するのなら、相当記憶力のイカレタ!人間だろう。
逆に、戦争を推進、もしくはしてもいいというのは、
自分が戦争に参加しない前提があるとか、戦場には行かないとか、
自分が弾に打たれない位置にいるとか、
自分は戦争をしたことはないとか、話も聞いてないとか、
自分を神のごとく考えて、国民のためとか、「うそぶく」とか、
単に経済的に軍事費(これはアメリカとかですかー)で、
ウハウハになるとか、そういう類のことしかないような。

というか、必然的にそうなる。

ただ絶対の反論は、
攻められたらどうするか。攻撃されたらどうするか。なのだが、
国を守るとか、歴史を紡いでいくとかって、
本当に軍事力がなければできないかというのは、
かなり問い詰めていきたいところだ。

ちなみに、軍事力がなければ、攻められ、国は衰退するが、
一時的にそうであれ、必ず力があれば、復活する。
このスパンはおそらく長い。人の一生とか軽く超えるか・・。

いくら、ITが発達しても、街が出来る、人が集まるとか、
そういう諸々の「街が生まれる」ことの期間はきっと、
変わらない。人が集まって生活して、というのは、
結局昔から単位があるかどうかで、1日とか、そういうのが単に
5日だったり、1ヶ月だったりしただけなんじゃないかといえそうだ。

そうなると、たまに見聞きする考えだが、一番好きなもので、
新しい世界観を出していくというところだ。
しかし、これは日本人は厳しいと思われる。
日本人がダメなのではなく、そういう人が政治や外交のシーンには
おそらくほとんど手をあげてやろうとは思わないのじゃないかと。
いても、ほとんど潰されてしまうのではないかと。マンパワーも含めて。
そうなるから、提示はできないだろう。

というわけで、国民レベルでつながるというところ、
いわゆる国際交流ってやつを、強力に推し進めていけば、
面白いものができる気がしている。

そこはもうコミュニティで括れないものだ。
そういう方向に世界は進んでいるんじゃないかと。

まあ、英語が必須になってきそうですよね。

で、これらをやるには、やっぱ力強さと優しさがいるような。