結果は大事だが、
そもそも結果とは何か。

ループ思考(ついに思考化)によれば、
結果はない。常に過程になる。
売上1000億達成も過程でしかない。
世の中の経営者というよりも、起業家にはそういう感覚が
おそらく多いと思われる。だから、赤字になってもそれも過程で、
次の過程で立て直せるねー。みたいな。

結果は与えた形、与える形で目に見えるものかもしれないし、
上でいえば1000億ってやっぱ数字だけで、お金があるわけでは
ないわけで。

結果が全てというのを本当に主張すると、
おそらく、僕は過程の含有率が気になるだけさ。
10のうち8が過程なのか、9.9なのか、それとも3くらいなのか。

結果を出した!と心で思ったとしよう。
でも、それはループの中での些細な、ちょっとした大きな過程、
にしかすぎない。
ならば、結果は出し続けつるしかないということになり、
これもまた「辛い」ことではなく、N1の過程とN2の過程は
ほとんど差異がない。これを人は「徐々に成長する」というらしいが。
そのN1・・・NNまでというとき、Nは飽きるか、死ぬかみたいな(笑)

打てば響く。
そんなのって、生の人間にしかありえなくて、
その響き具合が鈍ければ鈍いほど、
レバレッジがきいてくるような気がする。
いわゆる、ダムの決壊と同じような、水の馬鹿力。

そういう風にかんがえていくと、
結果は出し続けて当たり前となる。
結果なんて、ほかっておいても出るんだから、
非常に意味がない言葉である。

まあ、結果=良い結果、というふうに使うのだろうけど、
そもそも、良い結果も、常に意味が変わる。

こういうこともあるわけだ。
自分が良いとおもった、結果が、実は
後からの自分にとっては悪い結果になることもある。
というところから、結局、結果は結果としかならない。
だが、されど結果で、たかが結果であり・・。
結果結果結果!

結果オンリー野郎になるのも一興。
それを結果マンと呼ぶことにします。

結果マーン。