気づいたらといってても意識してたのだけど、
4000エントリを突破した。

1円鳥(エントリ)の重さ軽さはこの際問わない。

昔お世話になった人、もう会うことはできないし、
会ったらとりあえず謝るのだが(笑)、その人の言葉は、
なんでも「1000」くらいやると、違ってくるかなーみたいなことを
いっていて。
100本ノックではなく、1000本ノック。
100記事ではなく、1000記事。

1000を超えると、もう、2000も3000も変わらないというか、
ある種、それをやらないと分からないみたいな、
そういう感覚がある。ちなみに、この口調、偉そうだなーと
思ったらおそらく、1000は無理だろう。

で、問題は質だが、量はもういいだろうとか思うので、
自分としては感じること、皮肉りたいこと、叫び!とジョーク、
しかもたまに鋭い指摘あり(ってなんかアホみたいな自画自賛だぜ!)、
で、読者は上手いブログだとか思ってるだろうと勝手に思ってるけど、
そういうことをいうと、議論系(笑)(これは考えを明確にうってきて、
さらに参考文献やブログ記事へのTBなどもきっちりやってくるタイプを全部こう呼びます。ちなみに、このブログは議論系ではなく、緩やかさん系です)
のブログだと、まだまだだなーみたいな反応のような。
ま、それはブログに限りませんね。

4000だからどーだかはありませんが、
コメントはちなみに996なんで、1/4はコメントついているんですねーって
そんな平均は全然あてにならないっすね。
1つのもので、がーとやるのもあればないのもある。
それに一喜一憂は本当のところ、ほとんどないんですが、
コメントあると嬉しいですよね。やっぱり、この嬉しさみたいなものは、
ブログやってる、書いている人しか分からんですね。

ちょっと思ったのは、そろそろ、自分の言葉を、
どんどん投げていこうかなーとか思ってて、
それをどういう形にするかは、おいておいて、
もっともっと自分を出して、それは自己表現という言葉ではなく、
自己を表現しているようで、実は読者・見る人が表現しているからなんだよ、
みたいなことをやりたいですね。参加型ワークショップとか、そういうのじゃないですね。多分ですけどね。

自分の想いって、リフレクションする。要は反射ですね。
相手を好きなら、相手が好きな可能性は考えるけど、
相手を嫌いなら、相手を好きになる可能性はなぜか絶望的に低くなる。

つまり、意思。意志?でしかなくて、
表現とかそういうことじゃなくて、何を言っていきたいか、狙いはなにか、
訴えたいものはなにかって、「言葉」ではなく、
感じるもので、伝えていくことってもっともっともっとできるんじゃないかと、
そういうことを「言葉」「文字」を「理屈」ではなくて、
感じるってところでできるような自信というか、
感じがでてきました。

これは、ブログ続けていることとか、
もう本当色々なこととリンクしちゃってるからいえるんですけど、
いいですよねーこうやっていえる場があるのは。わーい。


言葉を愛する人は、それがカッコイイですね。