タイトルをみて、「ははーん、現実は甘いかどうかって話だな」
って思った人は、かなりこのブログを読んでいる。できるな、お主!

それはちょっとかするけど、今回は別。

現実は厳しいという言葉は、想定していたものとか、
理想的な世界とか、状況とか、その通りとか、ほぼその通りに
いかなかったときに、吐かれやすい台詞だ。と思われる。

では逆に、その人の理想的な状況とは?
これが意外にないのではないかとか、
もっといえば、そもそも「そこまでの世界」がないのに、
現実は厳しいということか。

ここでいう現実は厳しいとは、本当にその通り感じた時、
だから、そう思ってそういった場合の話なのだけど、
その場合に、どういう現実を描いて、どういう世界を別現実として
描いたかが気になる。

で、
現実を甘く見積もっているひとは、厳しさをより感じるし、
厳しく見積もる人は、ほとんど厳しさを感じない。

これは心理学で、嫌い→好きか、好き→嫌いの
パタンかと思っているのだけど、
最初からうまくいかない、だめだ!ってことじゃなくて、
うまくいくって基本ポリシーはあるけど、でも、そこをあえて、
本当か?本当か?本当か?と5回メラミを唱えるように、
問う。問え。問えええええええ!

そういう感覚なんだけど、
これはどうも「一般的に」厳しい見方になるようだ。って、
そう思わない人は、おそらく・・・お主できるな!だ。

相対的だ。
ある現象で、厳しいと思う人がいれば、そうは思わない人もいるって
単純な話にもできる。
あと、キャパシティーの問題もある。
自分の現在地を確認できてないのに、キャパシティーなど増えるものか。
また、成長などできるものか。

追い込むといいなんてのは、追い込んでいるっていう認知ができて、
自分が一杯一杯だって分かるものがなきゃ、ただの過労でしかない。

鶏が先か、卵か先かではないけど、
認知と行動、考えと知識みたいなのは、どっちも追い越し合う関係、
いわばライバルの関係にあるんだーって考え方は、
本でもどこでも聞いたことないぞ。おお、オリジナルテイスト!ぐっど!

自分を振り返れる観点ってのが1つあれば、
どこまでもどこまでもやれるような気がする。
これは限界がないというわけではなく、学びがなくなることはないってこと。
おそらく、年配で圧倒的に優しい人は、そういう感じがあるネ。