年齢というのを意識するようになった。
それは、?する年とかそういう一般常識はどうでもいいので、
そうではなくて、年上か年下かである。
例えば、親はいつまでたっても自分のことを子ども(大人ではないという意味ではないのだが)だと思っている。
それは「勘弁してよう」みたいなことだけど、実にほほえましいことでもある。
帰りに、地下鉄が混んでいて、ベビーカーをひいたお母さんがいて、
混んできたから子どもをおぶって、ベビーカーを畳むことになった。
一人では当然できないから、近くのおばさんが、
おぶりましょうか?といって、おぶっていた。
例えばこれは一都会の地下鉄の風景なのだが、
周りの乗客を観察すると、笑顔があった。
おそらく、何度も書いているように、これが社会だと、
支えあいではないかと、原理的なものがここにあると思っている。
困っている人がいたら「助けてやる」のではなく、
「声をかけてみる」くらいの感じで言う。
そんな感じがいいと思う。
で、年上か年下かだが、
圧倒的に、立場的なものと、力関係か、利害か、コミュニケーション度か。
色々トータルすると、僕は誘われることがほとんどないことに気づいた。
どうも、誘われるタイプではないらしい(笑)
誘うことが圧倒的に多い。
つまり、
「?しないか」「?しようぜ」「?するんだけど、どう?」
「こういうことするんだけど、どうかな」
というのが多いわけだ。
といっても、別に誰からも誘われない人間でもない。
たまに誘われて、うまい断り文句が出ないときがあるくらいだ(断るのかよ!
ま、それはおいておいて、
年上の人を誘うのはちょっと「心意気」?がいるような気がする。
年上から年下を誘うのは、自然に見えることが多い。
仕事かプライベートかで完全に分けるというのは
おそらくムリで、コミュニケーション率みたいなので、
直観で判断している。
話したいなら誘う。そうじゃないなら、誘わない。
二元論でもないのだけど、僕は人間ですからねえ。
好き嫌いあるわけでーというところで、この話は終わる。
で、飛び込むとは、誘っていくか、
それとも、誘われるのを待つかーみたいな話かな。
ワンチャンス思想でいくと、誘う方が多い方が
健全な気がする。そういう意味で自分は正しいと
勝手に思うわけだ。
別に誘われるのが多い人がダメなわけじゃないので。
というわけで、どんどんどんどんどん誘っていこう。
拒否される、断られることに対して、免疫がついてしまうま。
それは、?する年とかそういう一般常識はどうでもいいので、
そうではなくて、年上か年下かである。
例えば、親はいつまでたっても自分のことを子ども(大人ではないという意味ではないのだが)だと思っている。
それは「勘弁してよう」みたいなことだけど、実にほほえましいことでもある。
帰りに、地下鉄が混んでいて、ベビーカーをひいたお母さんがいて、
混んできたから子どもをおぶって、ベビーカーを畳むことになった。
一人では当然できないから、近くのおばさんが、
おぶりましょうか?といって、おぶっていた。
例えばこれは一都会の地下鉄の風景なのだが、
周りの乗客を観察すると、笑顔があった。
おそらく、何度も書いているように、これが社会だと、
支えあいではないかと、原理的なものがここにあると思っている。
困っている人がいたら「助けてやる」のではなく、
「声をかけてみる」くらいの感じで言う。
そんな感じがいいと思う。
で、年上か年下かだが、
圧倒的に、立場的なものと、力関係か、利害か、コミュニケーション度か。
色々トータルすると、僕は誘われることがほとんどないことに気づいた。
どうも、誘われるタイプではないらしい(笑)
誘うことが圧倒的に多い。
つまり、
「?しないか」「?しようぜ」「?するんだけど、どう?」
「こういうことするんだけど、どうかな」
というのが多いわけだ。
といっても、別に誰からも誘われない人間でもない。
たまに誘われて、うまい断り文句が出ないときがあるくらいだ(断るのかよ!
ま、それはおいておいて、
年上の人を誘うのはちょっと「心意気」?がいるような気がする。
年上から年下を誘うのは、自然に見えることが多い。
仕事かプライベートかで完全に分けるというのは
おそらくムリで、コミュニケーション率みたいなので、
直観で判断している。
話したいなら誘う。そうじゃないなら、誘わない。
二元論でもないのだけど、僕は人間ですからねえ。
好き嫌いあるわけでーというところで、この話は終わる。
で、飛び込むとは、誘っていくか、
それとも、誘われるのを待つかーみたいな話かな。
ワンチャンス思想でいくと、誘う方が多い方が
健全な気がする。そういう意味で自分は正しいと
勝手に思うわけだ。
別に誘われるのが多い人がダメなわけじゃないので。
というわけで、どんどんどんどんどん誘っていこう。
拒否される、断られることに対して、免疫がついてしまうま。
hirohiro様には
気持ちの良いコミュニケーションを
取っていただいてるzubosi★です。
私の目安箱だと思って読んでください。
「慣れ」って一言でいうと
ここに尽きます。
市民活動をしていると
寄付を、頭下げてお願いすることや
「利益にもならない!」と思ってる地域の人や
「袖ふりあうのもナントカさんの人」にも、
こちら側の、勝手なお願いをしに行くときは
殆ど断られるであろう。と想像して行きます。
「断る」方も勇気がいるのだ・・と思って
何度も、行く事もありますよ。{走る}
「いい加減に、や?めた!」という気持ちにならないのは、どうしても避けられないものが
自分に信条としてあるのだ。
とだんだん理解して行きます。{カギ}
で・・殆ど「祈り」に近いもので{すいません}{日の出}
人様に接して、お願いバザーをします。
そうすると、だんだん余裕が出てきます。
人と対面するのに余裕が出てきます。
じっくり、相手様の間も解るようになります。
それが、
「言葉のいらないコミュニケーション」になる気がします。
相手の空気を読むことや、タイミングなど
何もデパートや会社の営業レクチャーを
受けなくても身についていきます。
まるごと、相手を包む構えが出来てきますよ。
「慣れ」は回数を必要とします。
たくさんの人と回数を交わすには
バザー参加はオススメですよ。{にっこり}
そのバザー品と心意気が人と
交流できるツールになります。
また、その売り上げが「支えになる人」に
少しでも「助け」になれば
単純に
「気持ち良い」と思います。よ?。{りんご}