直観、茂木氏的にいうと、クオリアですかね、
で動くことがいい。というか、心地よい。
行く予定のことをやめるとか、別に行く予定だったから
行けばいいのだけど、気分が乗らないこともある。
乗らないときは相手に迷惑をかけるー以外は、まあ別に
機会損失(笑)とまではいかないから、いいんじゃねーの?みたいな
軽いノリで考えている。

ギャラリーへいって、創り手と会話し、その空気に触れる。
会話はあくまで支えでしかない。
作品を見る。実際に足を運ぶ。そこから得る発見は多い。
というか、そういう意味で、リアルの面白さと、
ネットの満足度は深いと思われる。この点についてまた言及予定。予定は未定な未定な予定。

女の人が好きな世界といっては失礼かもしれないが、
戦国時代とか、信長天下統一!とか、徳川江戸幕府とか、
三国志の諸葛孔明とか、項羽と劉邦とか、水滸伝とか、
戦前の商社の動きとか、そういう歴史をミニチュアで
再現する女の人ってやっぱいないだろうなあって、
(作品はそんなんじゃないですよ、念のため)

模型で、ゼロ戦!とか、大和!とか、
一時期作りたくなったことがあるが、あれは
戦争マニア的、模型GEEK的な人がやっているだけだと思っていて、
何を言いたいかというと、ゼロ戦プラモ創る人が
ゼロ戦載って戦争に行きたいとは思わないというか。

さあ、脱線しまくりんぐだぞ。

その作品の世界では、居心地の良い場所が展開されていた、
非常に納得できる作品だった、男の僕でも。
ただその作品世界を作り出す、もしくは作ろうと思うかは、
フィールドが違う感覚だ。が、残念ながら最後に一緒になるというか。

アーティスト、クリエイターは、形にすることで何かを表そうとする。
という意味で、直接働きかけるというのは一旦横においている。
僕はどちらかというと、直接働きかけるというところで、
それが形になればいいと思っている。

でも、最終的なゴールは社会というものに向けられてしまうし、
集団が面白いと感じてしまう。女性の給湯室会議は避けたいが(笑)

ある友人は、別視点で同じような「集団が面白い」といってたことを
覚えている。今でも納得できてないが、何を言っても、それ以上の
議論的価値、コミュニケーションレベル、掘り起こし価値みたいなものが
増えないなと感じたのも事実。

作品は、自分から逃避するためにあるんじゃない。
また戻ってこれるために、息抜きで、自分がほっとできて、
気分転換できるためにあるといっていいだろう。

また観にいきまーす。わーい。