たまに、うつ病や、何かしらのココロの病にかかっている人だと
思われるブログ(ブロガーがそう書いているのだから真実だろう)を
読んだりすることがあるが、
なるほど、確かに健康ではなさそうだ。
これは、偏見とかそうではなく、そう思っただけ。

というと、思ったことを述べるなーとか来るかもしれん、こええ。

それはともかく、なんでそう感じるか。

おそらく、いくつか要因はあるのだろうが、
世界が結局こうであるという、こうであるとは、
楽観的では決して無い。悲観的である。
悲観主義者はおそらく、そういう悲観的ではない気がする。
悲観することで、自分を励ますとか、そういうことは、
おそらく健康じゃないとできない。
自虐ネタがそのままどうにもならずに蓄積していくような、
そういう人が多いような気がする。

なぜか。
事実と現実、状況を冷静に捉えるということを
おそらく苦手か、そもそもそういう「性格」ではないか、
切り替えが下手か、色々ありそうだ。

でも、誰にとっても現実というのは1つしかないというか、
別人からの視点はあくまでバーチャルでしかない。

まるで自分が生きてないような、生き方というのは、
やはり魅力的ではない。
だから、自殺する人もいるわけで、
どういうことかといえば、

それくらい辛いということだ。

手に取るようにそりゃーそうさーと思うことも、
本人にはまるで???ということは、
何かしらの知識とかでもありうることだし、
そういう心理状態というのもよくありうる。

話がそれまくり。

力をつけていくとは、
結局、仮説と検証みたいな話にしかならない。
PDCAとかPDCサイクル回すとかでもいいけど、
なんでもいいけど、TryAndErrorとか試行錯誤とかでもいいけど、
それをやっていくしかない。

現実に自分の脳内をぶつけてみる。
そういうことをしないと、僕も含めて、
人は大きくなれない。そして成長できない。
成長を止めたいんだ。もうほうっておいてくれと
言い続ける人間はさすがに、病的だろう。これは悪く言う言葉かもしれないが、
現象をただいっているだけである。

健康か病気か。ただそれだけだ。2つに1つでもない。

力をつけて、また同じ世界を見たいと思う。
きっとそこにはまた別の世界が見えているわけで、
それがやはり人生の面白さじゃないかなと、思うわけカモ。