ある方の名言。迷言ではない。

コミュニケーションとは、お互いが気持ちいいことだ。
という考えが非常に体に、ポカリ飲むみたいに染み込む。

ブログコミュニケーションというのも全く同じかと。
だから、ブログでなんかコメントするとか、
トラックバックするってのも同じことではないかと。

コメントが来るじゃないですか。
そしたら、それって気持ちいいかどうかですよね。
不快なものってそもそも、会話だと困るわけですしね。

その不快なもの=批判的意見とか、そういうことではなくて、
そこがポイントなんですよね。
相手にとって嫌なこともどこまで言えるかって。
それをブログでのコミュニケーションに求めるのは、
かなり「きつい」と思うので、ダメなんですけど、
ある程度読めば分かるかなあと。

そしてコメントするじゃないですか。
それってやっぱ、相手のコメントが返って来るなり、
またその返し方とかも、そうですし。

そこでお互いが気持ちいいコミュニケーションを
取れるかどうかだけなんですよね。
それは一般的なマナーだとか、そういうものとは
違っていて、それこそ読み逃げというのは、
コミュニケーションではないですね。

ああ、正確にいうと、
「読み逃げと思う人が」コミュニケーションをとれているかといったら、
それは違うよね、ということです。

コミュニケーションが取れてないのに、
コミュニケーションが取れていると思っていることは滑稽なことです。

つまり、読み逃げされることが嫌なのでしょうが、
そもそも相手がコミュニケーションを求めていない、
最もここで読むことはコミュニケーションとして、
相手を理解しようと、しりたいとか、何か思っているだから、
意味はあるし、一歩でもあるわけです。
その一歩に対して、見るだけであって・・・という指摘が、
読み逃げ批判なのでしょうが、それ自体がまず
コミュニケーションしているという幻想というか、
自分の想像の相手と話しているという一種の妄想に近いものを
感じます。ここで妄想というのはあまり悪い意味じゃないです。

だから、ネットで相手をどう考えようが思おうが勝手ですけど、
でも、お互いが気持ちいいことではないなら、
何か意味があるかなあと思います。

例えば町内会で役割を与えられてあまりやる気がしないのに、
なんでだよというような話はありそうですが、
お互いがこうすればいいんじゃないかっていえなければ
「良い」「町内会」などはできますまい。

同じように?、読み逃げといってる時点で
ダメ、つまり、良いブロガーなりにはなれないというか。
まあ、当たり前のことを言っている気がしていますが。

話はこれはいいとして、
仕事コミュニケーションも同様かと思っています。
チャンスというのものがあればそれに組していくというのは
良いことだと思っていますし、どう活かすかが鍵でしょうが、
やり方もあるわけです。

自分が納得なり、上手くないというところで
勝負していくのはやはりちょっと辛くて、
これなら自分でやっていけるってところで勝負する、
それこそそこで組していくのがいいかなって思います。

そういうコミュニケーションのとり方は、
自分の気持ちいいことだけ考えているのでは?という
批判なりがありそうですけど、そもそもの考え方として、
仕事=苦痛であるとか、前提なり先入観が多すぎて
話にならないということもあるわけです。

お互いが気持ちいいとは、ある意味では妥協でもありますが、
うまくいえば現実をみた理想でもあって、いいかなと思います。

そもそも、自分が相手に気持ちいいことを提供できないのなら、
コミュニケートできないというのはあるわけですし。


というわけで、ブログだろうと、現実の会話であろうと、
思うわけです。
つまり、本質は変わらないと。
ならば、よりリアルで、痛みを、そして逆に笑いもある、
直接話すというのがすごくすごくコミュニケートの原点であり、
生であり、本質だと思うわけです。

変な話をすると、やはり、文字でうまく話せる人は、
やはり現実でも普通に話せるというか、
その落とし込みは人によりますけど、
相手を捕まえた?と思ったら、それはぶれないですね。
決め付けじゃないっすよ。

というわけで、お互いが気持ちいいことを
目指すというか、それってすごく楽で、気分がいいですよ。
肩が凝らない関係ってすごく素敵ですよね。
否定的な意味合いから持っていきたいわけじゃなくて、
落ち着けるっていいじゃないですか。