という感覚を味わったことがある人ならば、
結構「ずうずうしく」なっても言っていくものだと思われる。

時に、議論で声が大きい人が勝つような場合の微妙な意味も、
それは悪いことではないこともあるわけだ。

つまり、言ってみたら意外にいけたってことはいいことなわけで。

確かそういうのは以前からあって、
実際にこう書けるのはまたメタ的にいいことなのだけど、
よくあるのは、
「自分がやりたいこと」があるといって、
それを言わない人、誰でもいいと思うけど、誰かに言わないと、
それはできないよーみたいな話がある。

その人はそれをやりたいんだと、いわゆる意思表示のレベルだけど、
それを意外にやらない人は多い。

さて、決意表明ではないが、それをしたら、
次はそれをすることである。非常にシンプルだ。

本を書きたいなら、本を書くために何か書くとか、
そういうことを実際にすることだ。
意外にこの段階でやらない人は多い。

別にいいのだ。世の中の人が全て本気になってもらっても
困るような気がするけど、でもそれもまた狭い見方なわけなので、
ここでは全部を受け入れて、いや、やってみたら?ということにしておく。

迷ったら言う。
多分これは良い習慣だろうと自負する。

というわけでいってみる。

ドリコムブログについて検索すると、
以前のドリコムブログがちっと荒れた感じがしたのは
どうも「炎上」というカテゴリになるらしい。確かに100はコメントついて
いたような気がするが。

どうだろう。炎上とはいかないまでも、
どこまで無料だろうが、ユーザに対して対応するかは、
プロの仕事としてみると「甘かった」ように思われる。

そのコメントに指摘があったように、
確かにドリコムブログを使っている人は最近ほとんど見ない。
たまたまそうであろうが関係ないのだが、
実際に僕がドリコムを愛しているわけはなく、
義理や縁という、誰かが「しがらみ」(笑)というであろうものが
作用している。

だから、最近、「引越し」という言葉に食指が動いたりするのだ。
まあ、記事は確かにとっておいて、後からバカみたいに、
書いたよなーと笑うために欲しいくらいで、
ドリコムに未練はなくなっているのは正直なところ確かだ。

引っ越すのが面倒だという意味で確かに「獲得ユーザ」として?
僕は移らないのだろうけど、たまに自分のブログを見ようとして、
結構頻繁に「重く」て、そして「ページがみつかりません」と
出るのに、編集ページは見えるというのが、結構辛い。
辛いというのは、見る人には激しく重いだろうなあと(笑)
読者視点に立った場合はそうなる。

たまたま読者を無視というところが(笑)
僕と利害が一致したかもしれない。っていうか、なんだそりゃな
話で、皮肉もたっぷりきいているが、どうだろう?

心機一転で、ブログ移行というのもいいんだけど、
めざせ一万冊からのリンクが全部ダメになるのは正直きびしい。

というわけで、引っ越せないわけだ。

まだ付き合うとしよう。
唐突に送られるメールマガジン風なものはいつも意外な感じがする。
定期発行物ではないのか、まあどうでもいいか。

がんばって下さいとはいわないなあ。
様子を見る。そして見続けてみんとす。