結局自己満足とかそういうことは脱せられるし、
そもそも自己の枠、フレームに留まっているのは自分が
自分だけの自己評価としてしか分からない。
だから今まで「自己満足じゃないか」と人にきたことは、
どういう風に着地するかだ。
それは「そうではないよ、こういう想いがあるんだ」という
相手が語ってくれるスイッチでしかないのだろうと感じる。
だから、逆に「自己満足っていうけど・・・」という答えが
くるときに心外な気分がしたわけだ。
クリエイターではなくても、表現をするならば、
これでこういうことをいいたかったんだというのが、
あるはずである。なきゃ、表現したくないわけで。
そういう人に自己満足という言葉は全く通用しない。
表現はそもそも他者へのメッセージだからだ。
という意味でこの「自己満足」という言葉。
リトマス試験紙に使える気がした。というか使おう。
で、自問自答。
「自己満足じゃないですか?」
「うるせーばかやろー、俺はやりたいようにやるんだ(笑)」
あ、で、デザインできるかってのは、
どこまで企てを凝縮できるかと。
一個のリンゴの絵にそれをどこまで入れられるかみたいな話で、
企ての裏を取るのもありだけどねえ。
そもそも自己の枠、フレームに留まっているのは自分が
自分だけの自己評価としてしか分からない。
だから今まで「自己満足じゃないか」と人にきたことは、
どういう風に着地するかだ。
それは「そうではないよ、こういう想いがあるんだ」という
相手が語ってくれるスイッチでしかないのだろうと感じる。
だから、逆に「自己満足っていうけど・・・」という答えが
くるときに心外な気分がしたわけだ。
クリエイターではなくても、表現をするならば、
これでこういうことをいいたかったんだというのが、
あるはずである。なきゃ、表現したくないわけで。
そういう人に自己満足という言葉は全く通用しない。
表現はそもそも他者へのメッセージだからだ。
という意味でこの「自己満足」という言葉。
リトマス試験紙に使える気がした。というか使おう。
で、自問自答。
「自己満足じゃないですか?」
「うるせーばかやろー、俺はやりたいようにやるんだ(笑)」
あ、で、デザインできるかってのは、
どこまで企てを凝縮できるかと。
一個のリンゴの絵にそれをどこまで入れられるかみたいな話で、
企ての裏を取るのもありだけどねえ。