群れるのと集まるのは違う。
んなことどうでもいい。

さて、伝えていくというのは、
組織においてある種の暗黙裡だったり、良い習慣だったり、
同時に悪い癖も、特有の文化!とか。

年数は分からないが、1,2年ではともかく、
3,5年、10年経ってくると人の変わり具合が顕著になり、
組織の実態もまた違った捉え方になる。

個人的には、誰かもいってたけど、
少数精鋭のチームというものが好きだ。
が、集団心理とか、そういうものからいくとこれは不可能。
もちろん、集団心理なんてとっぱらっちまえばいいだけだけど。

ただ思うのは、
面白さみたいなものがどこにもそれなりにはあって
それを伝えることは大切だと。
それは会社とか組織の話でもなくて、もっと感じることを
率直にいっていけばいいというか。

ここにある種の思想や宗教や政治は入り込むことはできない。
最も教えを説くのは違うけど。思想は入るかなあ。

例えば自殺については、人生は楽しいよって
言っても意味がない。生きる<死ぬという式が出来たら、
数式のように実行して終わりだ。
現状ではなく、未来はこうだから・・・というのだが、
現状、いまこの瞬間が変わらないとダメだということだろう。

このフレーズどっかで聴いた事がある。
そう。ワガママな人って、すぐに結果を求める。
この場合の結果を求めるとは、自分の要求どおりにすぐならないと
怒り出すということでの意味合いだけど。

視野をいくら大きくしても、どんなに動いてもだ、
それに応じる人、賛同する人、一緒に動ける人がいなければ、
空回りするという感覚がなぜか分かってきている。
でも、同時にここからが重要だけど、
「それすら」できないようなら、できない。

お前に言われたかねーよって人に言われると
腹が立つことでも、別の人に言われるとすっと受け取れることは
大いにある。
あ、これどうでもいいなあ。

伝えていくこと。
そういうこととか、なんかこうしたいんだよねって
滅茶苦茶少ない。

実際にいるし、知っているんだけど、
なんでスタートラインに立ったばかり、もしくは
スタートライン付近でまだスタートしたばかりなのに、
どうして、アキラメに近い感情を抱くのか。

悟りにも無駄な悟りってのがあって、
スラムダンクではないけど、諦めたら試合は終了という、
試合=人生で語られるものがあるわけでしょう。
悟りとは無駄とかそういうのではないとかいったら終わりだけど。

ああ、やってやるさ、この野郎。
自己顕示欲に率直に生きる。
燃えるぜバーニング。