一人芝居、一人で何役もこなす人は、人が嫌いというわけにはならないだろう。
個人で活動する人が人が嫌いというのもおかしいだろう。

中にはいてもいいけど、それは組織の中で動く人の嫌いな人もいるのだろうから、
あまり意味のある指摘ではない、とくにここでは。

一人では限界があるとは、誰しも一人で出来ないことの多さに気づいたときにはく台詞だろうが、
逆に二人以上集まれば、出来ることが色々増えるわけではなく、
出来ることもあれば出来ないこともあるのは、個人でも複数でも同じである。
ちなみにプログラミングでは、変数の配列の考え方からすると、
1つと2以上は明確に異なるが、2つと3つもあまり変わらないというか2以上は同じということがある。
テストケースとしての話は別だが、まあそんなものがあると。

なんでも一人で、何でも複数で、あらゆることを・・・というのが問題であって、
個人で動く人で幅広く動いている人は多くの人とつながり、同時に自分を見失うことがない。

それをやるとあれができないということはあるが、
できないのは、実際に不可能なのか、単なる停止なのかで全く話が異なる。
時差を設けることで、寝せて味がよくなることもあるわけで、
逆にラグはいらないからほぼ同時にやることでいいこともあるわけだから。

個人も組織もそれぞれメリットデメリットがある。
だから、メリットを活かしてデメリットをフォローしていけばいい。
それは正論だが、現実はなかなか。

協調性という言葉に未だに「腹が立つ」し、(つまり前から怒っていたわけ(笑))
一緒にやるというのも「完全な対等」などないよねと思っている。

人には色々な性質があるわけだから、
常に同じ人ではありえないという指摘はおそらく正しい。
そういう変わっていく自分、もしくは他人で、
どこが面白いか、どうあっていきたいかというのがポイントかもしれない。

皆で集まればいいものができるのは幻想だ。
同時に、一人で何でもできるのもおこがましい。

言い換えよう。
人と一緒にやるときは一緒にやる価値があるからであり、
一人では一人の動きやすさがある。
つまり、良いところを見ていくというのが大切で、これも基本的なことだ。