天邪鬼でい続けろ。そう電波をキャッチした(笑)
電波だわっしょい。

さて、それはともかく、天邪鬼であれというのは、
一つの理屈がある。

例えば、誰かが肯定をした場合、
それに対する否定をしようというのが天邪鬼であるが、
それは理由があるのではないか。
肯定をしようとする人に対してではなく、
肯定する言葉はその人がもう消化吸収してしまったのかと思わせてしまう。

何々っていいよね、というと、
本当にそうかと思ってしまうわけだ。

いいと言った瞬間にすくえないものと、すくえるものがあるわけで、
もちろんすくえるものが多いから「いい」というわけだろうと思うが。

逆発想という視点が大事、いや、発想とは常に逆であると、
師匠はいった(誰だ?