エンロンエンロン。

それはいいとして、負荷をかける場合、
その見返りやリターンが見えているのと見えていないのとでは
全くその効率や感覚が異なる。
当たり前なのだが、問題は、リスクヘッジ的な考え?を取り入れて、
事象が起こる前に考えられるかだ。

例えば、負荷がかかっていて、「あーなんでかなあ」では
遅すぎる。それでは、50m走を走り終わってからなんで遅いんだろうと?
いっているようなものだ。走らないときにいろいろやれることはあると。

負荷をかけるまえに負荷をかけるのはこうだと明確にしておけば、
きっと負荷が多くなろうと乗り越えられるだろう。
もちろん何事も限界があるけれど。

なぜ?と問うことは、恐ろしさを感じる人がきっといるだろう。
なぜとは子どもっぽい、子どもらしさが常にあるからだ。
ああ、うん、そうだよね、というふうに知っているのが大人だと。
でも、それは残念ながら、幻想の大人であって、
好奇心とか探究心というのは、なぜ?と思わなければ出てこない。

なんで歩道橋なんてあるの?
なんでポッドキャストがあるの?
なんでブログなんか書く人多いの?
なんでコーヒーを飲む大人が多いの?
なんでなんでなんで?

さあ、askwhyという旗を掲げよう(どっかからぱくっちゃったよ!)