前、書いたような気がするけど、あえて。

自分の思っていたことや感じていたことや考えたことが色々あるというか、
ない人はほとんどいないだろうが。

とくに、それらをどうやって実現していくか(夢ではなく、資格試験に合格というものでも)は
よく考える必要があるが、やらなくては何も始まらない。

ストレートとは、素直とか愚直とかいう意味で使うが、
ストレートにやったほうが結果的、これは精神的納得という意味で好ましい。
ちなみに物理的納得とは、理屈で理解する頭でっかちの納得のことである。
精神的納得は、理屈では理解できないが、ジクソーパズルのピースがはまるみたいに、
納得できていないそれと、これからするそれがはまるということだ。

ストレートは、精神的納得を助長、加速させる。

なぜアクションの重要性を説けるかというのは、
そうしなければ何も始まらない(これは文字通り)からだ。
実際に考えただけでは、それこそシミュレートしただけでは意味がない。
そういう意味で予想が当たる、こうしたいということを設定することは、
それにあわせて動くからあたるし、実現できるということになる。

だからやりたいことがない人はいないということがいえる。
毎日これしてあれしてこうするのが幸せだから、何もないよ、という人はいると思うが、
実際に「これ、あれ、こう」をしていれば、それがやりたいことになる。
設定ポイントが現在進行形で充足されているだけだ。
普通は「未来」でやりたいことを設定するかの違いだけで、本質的に違いはない。

ただ一番の問題、というかよくありがちなのは、
「これとかあれとか」しているから十分だとはいってないものの、
これあれしかできないからもうこれ以上は駄目だとか、あきらめみたいなものを
毎日、もしくはたまに感じているのに、何もしない人である。

自分で壁をつくって自分で閉じ込めるというパタンだ。
そのパタンで、その壁を壊すのは相当の労力がいるだろうが、
はて、自分で自分の中にこもっていては何もできないと、そういうことが言えてしまうわけだ。

自分に嘘をついてなきゃいい。
でも、自分に嘘をついてまで、自分を良く見せる人、みせたい人、みせる生き物、
現状を容認する人種?であるからこそ、そういっておくのだ。
自分をこれらのように客観視できている人はおそらく、壁は壊せたのも当然。
そうじゃない人はまず壁を作っているのは誰かから始めるか、
気づかずに「限界」のある人生を送るしかないだろう。

ちなみに、当たり前だが、これらの考えを適用することで、
活きてくるのは自分にであり、また他者にはより優しくなれると考えている。

さらにいえば、このブログに、説得力が0ではない兆しが感じられるのは、
文章の力でも、文体でも、文章量でも、更新頻度でもなく、
実際にやっているからだ。

リアルとその考えとネットという道具というものを踏み間違えない、
もしくは考えるということをすれば、きっとそのように感じてくれる人が多いだろう。