反射とは沸騰したお湯が入ったヤカンに素手触った際に、
あちっ!といって、手を引っ込めるような、脳での思考がかなり
迅速かつ、ふっとんで処理されることだ。

洗脳というのは、何か思想なりを植え付けてしまうことだろうが、
洗脳と反射というのはすごく関連性が深い、いやまさか同様ではないかと思える。

洗脳するには、外部からの刺激をなくすことがまず重要だろう。
新聞も読まなければ、社会に何がおきているかは分からない。
最も読んでも字が読めないから分からないということはある。
人と話をしなければ、どういう人かも分からない。
もちろん、その人が目線を合わせて会話してくれないということもある。

反射は、考えるということがそこにない。
だから、洗脳とは、思考の反射を求めているといってもいいのではないか。
本当は違っていそうだが、ここでは一応オッケーとしてみる。

例えば、よくある話だが、ダイエットや健康にきくという製品がでると、
それを信じているかどうか分からないが、また試してみて検証する人が
多いのか分からないが、それは売れるようだ。
その時に、仮に、「ダイエットに効く」という言葉なりを、
脳を使わず、反射で捉えて、「効くから買う」だとなっていると、
これはすごく問題である。何が問題かというと、製品がすごく売れてしまうから、
効くものなら、いっせいに皆スリムになるから、ダイエットの価値がなくなる。
効かないなら、売れるだけで、自然的にやせた人がその効果を唱えることになる。

反射の人間的機能は面白いが、それを悪用すると、
おそらく自分自身も反射されて、誰にも相手されなくなるかもしれない。