集団で社会生活を営む以上、必ず友好的な人間とそうではない人間がでてくる。
この原理原則は変えられない。変えられるとしたら、自分が宇宙人であるときであろう。

友好的な人間についてはとやかくいうことはないが、そうではない人間については
色々いえる。例えば、友好的ではない人間を「敵」と仮定して、
その敵を作らないというのはどうなのかと。

敵を作らない人種というのはあって、コミュニケーションが洗練されているとか、
そういう良いイメージがある。癖がないから、人あたりが良いという感じでもある。

八方美人というのはまた別の意味になりやすい。自分の軸を壊してまで、
人当たりが良いのが八方美人で、敵を作らないのはうまく自分の軸を持っているところで
大差がある。月とすっぽんである。

敵を作らないのは本当にいいかどうかは実践してみないと分からない。
なぜなら、敵を作らないと敵が出てこないから、何かを倒すとか、潰すという
考えが消えてしまうか、潰す欲求を解消できなくなる。
つまり攻撃的でなくなるし、攻撃力が下がってしまう。男で攻撃的ではないのは、
いかがなものかと一度問うてみる必要はありそうだ。

敵を作らないにしても、敵を作るにしても、どちらも人生のトータルでみれば、
大差はないように思える。敵を作っても敵を攻撃できないのならば、
作る意味がなく、敵を作らないにしても、攻撃をしたいのならば意味がない。
要は自分は敵が作りたいのかどうかという問題にすりかえることができる。

ちなみに、敵を作らないからといって味方が増えるということもないのが、
悲しいところだ。