その鳥は光を求めている。
だが地下鉄を知っている。

地下鉄ではない鳥は光の中にいる。
そして光を知っている。だが地下鉄は知らない。


不自由の中の自由と、
自由の中の不自由は、
「自由」と「不自由」で全く性質が異なると思われるが、
実は、裏の裏が表みたいな発想で、
どっちも同じことを、別の言葉で言ってるよう気がする。

つまり、具体例を挙げれば、
不自由といってその不自由さを自由と思って楽しむ人がいる。
逆に、自由を楽しんでいる人がいるってこと。

てか、どっちも少ないんだろうなあ。
自由を楽しんでいるからなあ。

悲しき日本なり。