チャレンジとは、何もないところで始めるということも意味する。
環境もお金も人もそろって出来ることをやったら
多分それは「あーそうなんだ」ってレベルになる。芸がないのだ。
そいつのユニークさがでてこないから、面白くない。

そこで、ビジネス本とかにありそうな、
人脈もお金も何もない人が、今じゃお金もってるよーんって
本があるけど、あれは嘘ではないだろう。

でも、あれは意味がない。
なぜ意味がないというと、人の生き様、もっといえば人生の一部を
本の活字にすることに無理がある。
そこには、誇張と曖昧さしかないといったら、著者は怒るだろうか。

お金を持つことが幸せというのは、
お金を持ってないから欲しいから、それを手に入れると
「欲しいもの」が手に入れられるからだろう。
でも、欲しいものって何さ・・・。

お金お金みたいな人はきっと金儲けは出来ないだろう。
これは、がめつく、利益を出さねば、お金に厳しい、どうやったら
人が来るか?売れるか、という考えとは、全く関係がない。
人間性の問題といったら終わりだろうか。


1からやっている人とか、挑戦している人が励みになる。
逆にそうしてない人は、怒りをもたらす(笑)
別に誰にでもそんな怒りは感じない。ただサボッテイル感が腹が立つだけだ。
最近そういう意味でも、怒ってない気がする。

僕をある種の場面でしか知らない人間は、冷静だ、クールだという
印象を受けるだろうが、
実は短気で怒りっぽく、そして嫌なことをいう人間だったりする。
自分には甘く人に厳しい人間は大嫌いだが、そうなってたりすることがある。
まあ、しゃーないかと許せる自分がいるのでOKなのだが、
そういう短気さとか、そういうのよりも、「あーそうなんだ」という
認識が最近は早く知覚するようになっている。
また、キライな人間についてあーだこーだいうのも好きだが、
それは結果的に整理のためであって、ベクトルは好きな、面白い人間しか
見ていない。だから、愚痴は99%ない。素晴らしい。

自分ほど狂った人間はいないなーという自信があるが、
まあ、そういうのはうまい具合で消化されればいいような気がする。
例えばそれが、引きこもりとかそういうのとかになると困るな。
あ、自分が困るってことですけどねえ。

さあ、1からやってみよう。
まずは、縄跳びからかな(ぇ