これ。

暖かさを表現するには、
「暖かさ」を表現しようと思うのではなく、
自分がまず暖かくなること。

それが暖かさの表現ということになると思われる。

別に、痛みを感じたいなら自分を傷つけるとかそういうことでもなく。

本番では練習以上のものは仮に出せてもそれはマグレでしかない。
マグレが悪いわけでもなく、むしろ楽しいことかもしれない。
ただ、一定の質を保ちたいなら練習は必須だ。マグレだよりでは
常に質がばらばらだからだ。

自分を表現するとは、ある種「壊れる」ことだ。
だから、「酒」「夜」「疲れる」という状態になると、
だんだん本音が出てくる。
「あーこんな仕事したくねー」とか(笑)
「あーこんな仕事したくねー」とかね(笑)

別に仕事が嫌なわけではなく、仕事にもイロイロあるわけだ。
どんな楽しそうなこと、好きなことでも嫌なことはある。
それは何度言っても、とくにこのブログでいっても、
伝わるべき人には伝わらないだろう。
それも一興だと思いながら、僕は書き続けることにしよう。

表現とは、コントロールできない状態にすることだ、という定義は
非常にしっくりきた。ありがとう。
外部の何かを、外部の声を、外の世界を、照れがあるとか、
それは不必要でもないが、意識とは自分の内面に行き、
コントロールできない、こうなってしまえ、こうなるのだという
状態にもっていくことだ。

それは非常に心地が良い。ある種の快楽という言葉かもしれない。
それはスポーツでもなんでも好きなことのために、
ある種の訓練、練習、エチュードなど、そういうことをするのと一緒だ。

だから、僕は何かを書きたいから、常にこうやって
書き続けるのだと思われる、というか、そうなるのだとメタメタ。


あと、幸せの定義、成功の定義は、自分なりの定義をしときゃええ。
ということを感じる。逆に、自分なりの定義が出来ずに、
お金もってりゃ幸せとか、人間関係が良ければ幸せとか、
自分のではない他人の尺度によるもの、他人の定義、よく言われるよーな定義に
振り回される人をみるとたまに涙が出てくる(嘘
でも、まだこういう人はいるんだなーと妙に懐かしく感じる。

だって、そんなこといってたら、おそらくほとんどの人は
不幸になるんだろうなあ。まあ、鬱屈した人間なら
そう考えてもいいけど、悪いけど、あたしは、そんなブロガーじゃないぜ、
舐めちゃいかんよ。

さらばだ明智君、また会おう!