この記事は「日本本楽家協会」参加申込を兼ねています。

さて、先日、本楽家会長である、ちいらば氏のブログを発見した。
先も簡単に紹介したが、
本楽家通信「ふしぎなぽっけ」である。

本楽家の詳細は、「本楽家とはなんぞや」をみて頂くとして、
まあ要するに、本を楽しむ人々である。

この本楽家に惹かれたのは、会員を増やすのが目的ではないという主旨。
それに、本を楽しむという考え方である。

僕が独自に提唱(正確には独り言であるが)している、
めざせ一万冊は、今のところ会員2名である。
レアな人間が、私もやりたいと言ってきたのだ。こちらは勧誘していないのがポイントだ(笑)

その目指せ一万冊とは、一万冊を目指して読むということであるが、
多読が目的ではない。楽しみながら一万冊目指して、
死ぬ前に「くくく。わしゃやったぜ」と死ぬのが本望である。

本を楽しむというスタイルは意外にレアだ。
それはどういうことかというと、本について構えすぎる傾向があるのだ。
構えすぎるとは、習慣化しないというところでもあるけど、
別に好きなときに読めばいい、のだけど、その感覚が違う。
だから、本好きという言葉が出てくるのだろう。

だけども、人間なら誰しも文化的営みというものはあって、
どこかでそれをしないと非常に「つまらぬ人間」が出来あがる。
常に、現実=自分みたいな形で、余裕とか遊びがないとか。
車のハンドルの遊びと一緒ですよねえ。

道化やお笑いも会話に必要なように、
全て事務口調で対応されちゃ、きついような。別にお笑いをしろとはいってないのだけど。

そういう遊び的なものが、文化的営みであるならば、
おそらく僕にとっての本はそれになる。
こういう考えもあるかーとか、これは違うなーとか、
この世界は面白いから、実現しようとか、
学ぶべきことが多いなあー、
これは紹介したいなーとか、これオススメかもしれないなーとか、
これはこういう風に読めたし読んだよとか。
色々、自分の糧になる。

ある友人はいった。
「自家発電しろ」と。
これはつまり、自分でパワーを作り出し邁進!するということだ。
そういう意味で、本はエネルギーの源であり、
本楽家のどなかたかも、空気と同じようなものと書かれていたように、
それに近いものがある。空気なきゃ死んでしまいますからね。


では、僕にとっての本の関わりが激しくなってきたのはといえば、
それが学生時代にある。
僕はそもそも高校生までは、本よりもゲームをこよなく愛していたような
気がする。後、あまり読まなかったけど、漫画は好きだった。
漫画を色々集めて買う人間が高校の時は全く理解できなかったなあというのがある。今では分かるのだけど、でもあんま買わないけど。

大学は、受験に失敗したため、浪人することにした。
そこでの毎日は受験勉強漬けになるが、浪人生活をした人なら分かるが、
時間が多い。モラトリアムという言葉を知ったのも、
確か小此木啓吾氏だったかな?の本で知ったけど、多分このときだろう。

小論文とか、現代文の予備校の講義が異様に面白かった。
ちなみに、筒井康隆の唯野教授の本は、小論文の講師に教えてもらった。
すごく変わった先生だったけど、面白かった。ありがとう。
現代文は、文学作品が中心だけど、例えば、評論文の読み方とか、
読解というところで、何か無性に文章が面白かった。
考えが書かれているというところで、大げさにいえば感動していたのだろう。

その浪人生活から、徐々にだが、新書などを買うようになり、
大学時代に突入して、というかブログのバックナンバーにはないけど、
HPにも確か残っているはず。
うーむ、ない。ぐは。

大学入学して3ヶ月くらいして、すぐに夏休みに入ったが、
その期間を振り返って、「こりゃ自分でやんねーとダミだこりゃ」
なんてことを言ってた。
大学時代の親友とは、そういえばいつ頃からか、本の話をしていたな。
その頃は、何を読んでいたか、忘れてしまったけどね。

自分でやらないとダメというのが、勉強ということで、
もっといえば学ぶというところ。
学生は講義を受けるがひたすら受け身で、レポートを出す意味が
わかってない気すらした。遊ぶのはいいけど、何で学んでるのよと、
親友には大いに語った記憶があったなあ。親友はもちろんそんなショボイ人間ではなかった。

今でも覚えているが、ある同級生が、レポートというか、
本の感想文を出さなきゃいけないから、前受けてたんでしょう?
ならレポート見せてくれっていってきた。
見せるのはいいんだけど、
「てか、本の感想くらい書いたら?読むだけじゃん」
といったら、何か面倒くさいからというようなことをいってたかな。

「何。おぬしは自分が面倒くさい作業を俺に代行させるのか!」
とは言ってないが、思ったものだ。
結局、本を読んでそこから何か得られるかもしれないじゃないか・・・
という感覚はないのかなあ。
というか、これは本だけじゃないぜ。
あらゆるものがそうじゃないか。刹那的ってのはこういう人かもね。

っていって、結局あげたな。電子データだったからね。
ま、それはともかく。

学ぶのはやはり自分が動いて色々やっていく必要があると。
それを3ヶ月の大学生活で思ったのが大きかったような。

それから、本は買って読むの繰り返しで、
いわゆる本を買って読むってことを今までやってこなかった僕にとっては、
えらく楽しかったようで。名古屋弁では「どら楽しいがや」です。
さあ皆さんも一緒に・・・。何も聞こえてこないですね。
続きを。

大学1年時は大学に慣れるので終わった気がしますね。
実質半年だし。1年の終わりには、チャリダーと化して、
湖一周とか色々やりましたな。で、親友も刺激したらしく、
チャリダーと化して、本読むチャリダーとなったのですな。

例えば、琵琶湖一周野宿旅でも、文庫本を持っていって、
自転車のライトで読んだりしてたりと。まあ、旅には本は基本ですな。

2年時には、哲学に目覚めたのか、哲学入門書とか、結構読んだような。
カントの講義が面白かった。形而上学なタイトルの岩波の本ね。懐かしい。

そうやって大学では本は色々読んで、
とくに印象に残ってるのは、何かなと。
やはり、「野比」とか「5分後の世界」とかかな。
「戦艦大和ノ最後」もよかったな。
全部戦争ものですけどねえ。やっぱいいと思う。

哲学的というのはどういうことか?
やはり考えることであって、これは人間らしさ、
いや自分というものの、アインデンテテーであると。
存在する意味なんて要らないといえばそれまでだけど、
意味づけしたくなるのが・・・自分だなと。

結局哲学で何か説明できるわけじゃない。
疑問や問いを立てることで、色々な視点で見ることがでいるし、
世界が広がる。本を読むことで世界が広がる。
人生が豊かになるのと同じことかな。

学びってのは結局そういうことになるのだと確信したなあ。
今でも思うので、学んでない人間、いや
学ぼうとしない人は嫌いっすね。

さて、かなり脱線しているけれど、本の楽しみとは、
やはり学びであって、そこから色々学べるから読むのだと考えています。

楽しみ方には色々あって、現実逃避的でもいいし、
息抜きでもいいし、なんでもいいと思うのですが、
結局、僕には学びが楽しいですね。


この本を楽しむという感覚が共有される本楽家の皆様に愛をこめて。
よし、これで本楽家兼RMになって、役職アップ。
とりあえず、天下統一の夢に近づいたような気がする(何それ