すでに第5回を終え、少しずつファンも増えてきたが(ファンとは関係するすべての人の意である)、
話を聞いていると、似たようなものも多いと聞く。
では、それらとどこが違うかを整理してみた。以下にまとめる。

まず、整理するカテゴリとして、
公開の状況、ターゲット、お金、感覚、外へのベクトル、目指すものの6つを書き出してみた。

カタリベカフェという場では、
公開の状況 どなたでも
ターゲット なし
お金 非営利
感覚 仕事的
外へのベクトル 少しずつ広げていく
目指すもの 人と本と人をつなげる

すでにあるもの(例えば、身内でやっているサークル、同好会など。
読書会、朗読会はかなり様子が異なるだろうが、ここにひっくるめてみる)
公開の状況 近しき人
ターゲット 限られた人?
お金 非営利
感覚 趣味
外へのベクトル 身内で完結
目指すもの 本の話をする

というところになる。
大きく違うのは2つとなる。
それは、外への発信を意識的にするかどうかで、
これはそもそも「サークル」などの設立趣旨などで変わってくる気がするが、まあいいだろう。
カタリベカフェは外へとにかく関わりたいと思っている。
そうしなければ、常に死(死というのは、成長しないということ)が待っている。
また、小さきものとして存在するためにやっていない。
もちろん、最初は誰も小さいのだが、小さくとどまるとか、そういうのとは別の話だ。

感覚として、仕事的か趣味的かというところも異なる。
もちろん、仕事という考えがいろいろあるので、語弊はでてくるだろうが、
趣味というのは、そこで完結していいというものだ。
もちろん、仕事以外をすべて趣味としてもいいが、
村上龍的にいえば、趣味は老人のするものでしかないというのは、
なんだか分かる気がしてしまう。まあ、これは僕の意見でしかないけど。

多くの人を巻き込んでいくというのは、若い人間だからできることかもしれないし、
若い人間しかできないかもしれない。
どちらでもいいが、とにかく考えたことを形にしていくという感覚は、
麻薬のように中毒性がある。
すなわち、自分の頭の中の世界が現実化するのだ。
これは、間違った方向へ持っていけば、間違った人間になることは間違いなしだが、
残念ながら、僕はあまり間違った人間ではないらしいので良いとする。