1年という区切りを設けた時、別に設けなくてもいいけど、あえて
設けた時に、その1年という期間は意外に短いだろうか。
それとも長いだろうか。

高橋歩がコメントしていた、確かAERAの記事だと思うが、
大分前にブログにも書いたけど、
なんでボランティアでわざわざ沖縄の離島だったかな、
に手伝いにいくのかーって、若い人がね。
それは、「圧倒的経験不足」という言葉で表現していた。

アレやって、これやって、それやってというように、
階段を上がるように経験を積み重ねることが、正しい?
んなことない。それは一つのパターンにすぎないと、
気づくにはどれほどの歳月がかかるか。まあ、がんがってくれ。

圧倒的に経験不足とか、圧倒的にこれはできねーと思った時、
人は動く。また、何度も書いてるのだけど、
人はピンチの時にどう動くかで人間の大きさが分かる。
小さきものほどよくほえるのだ。あー俺じゃん。いやん。

何事も全力で。
言葉で言うのはたやすい。はっきりいってそれは実践的ではない。
全力といって認識できているものが、ない人もいる。
「これ全力で頼む」といわれても、自分の全力とは、
4時間集中することなのか、それともスピードがUPするのか、
それとも効率が普段の1.5倍になるのか、などなど。
それが分からなければ、「全力」という言葉も、「頑張る」と同様、
具体的な表現ではない。あくまで、「普段より頑張る」という
頑張るという意味でしかなくなり、あまり意味がない。

世の中は広い。
自分の存在は小さいが、表現できることは無限だ。
無限は広さという定義できる領域をも超える。
すなわち、自分の存在は小さく、世界という世の中に所属しているが、
表現することで、世界そのものの大きさよりも、大きくなれる。
これが表現の全てだ。
がんがれ、全ての表現者。