図書館内乱に存在する本の話。
ネットで出会うという意味では、ユーガッタメールを思い出す。
聴覚障害というところで、いや障碍か、ピンポイントで
引用してみるとしよう。

ひとみ、という人物のメール文章になるのですが、 p.112
(前略) でも、知り合いの難聴者の人の話を聞くと、けっこう聾の人も私たちにきつかったりするんですよね。 手話は聾者の作り上げた文化だから、聾者の認める手話しか手話として認めない、とか。 (後略)
ま、よーするに、カテゴリの問題というか、マイノリティーの問題です。
普通、健常者は障害者を一括りにしますが、障害者の中で、例えば、聴覚障碍の人は、難聴や中途失聴と、日本語獲得前に障碍があって手話が言語となる人では、全く文化が異なると。言語が違うから文化が違うって感じっすね。

これは、障害者同士でいじめがあるとか、そういうことです。
別に健常者同士でいじめなんてありますので、それかなと。
これは「やや」ブラックな話に聞こえるかもしれませんが、
事実でしょう。実際に性格の問題というのは、健常者が障害者に適応しにくい。
それはなぜかというと、健常者がメジャーで、障害者はマイナーだからです。
これは、認識の問題ですが、その時点で、性格に焦点を当てる人は
少ないでしょうね。だから、福祉や介護といったところで、
障害者を人としてよく知っている人は、性格を見るでしょうね。
そうではない人は、つまりは一般の健常者は障害者としてしか見ないでしょうね。

何かを認識するとき、情報があればそいつを適用できるかってレベルの話で、
あまり、深い意味はない話です。

自分を障害者と思ってない障害者もいるでしょう。
そもそも、周りを認識できなければ、自己の世界の客観視は難しいですからね。
これは悪い意味でもいい意味でもなく。


おそらく、ハンダ、ではなく、ハンデを抱えた人は一杯いると思いますし、
コンプレックスやネックや弱点を持っている人も一杯いると思います。
しかし、それらのせいにして何か行動を抑えているなら、
やはり健常者だろうが障害者だろうが、誰だろうが、やっぱ面白くないでしょうね。

人はおそらく何か乗り越える・・までいかなくても、
経験するなり、考えるからそれに強くなるんだと思われます。
そうなると、おそらくその人の強みや良い所はやはりその人の良いところであって、
その人の文化、歴史を感じることでしょう。

レインツリーの国、ええ話ですわ。

ああ、新潮社とメディアワークスのコラボってところで、
そこも面白いですね。著者の営業手法が気になるところです。どうやってやったんだろ・・・

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有川 浩

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